《演算4》
[1]
昼休み。
中庭に設けられたベンチで、ひとみは食後のお茶を――ペットボトルだが――飲んでいた。
穏やかな陽光に表情を緩めながら、「はふぅ……」と骨からとろけるような吐息を漏らす。
「……ババくさい」
隣で缶コーヒーを飲んでいた夏美が顔をしかめた。ひとみは頬を膨らませる。
「うるさいなぁ……いいじゃない、ようやく博覧会のシフトから解放されたんだから」
博覧会が終わって三日。
まだ後処理などで繁忙状態だが、少なくとも魔人館の仮眠室とシャワー室と自分のデスクが生活空間、そこから登校、という生活からは夕べ解放された。久しぶりに自室のベッドで休み、休み時間も書類仕事に追われずに済んでいる。
「まぁ、声かけたら殺す! って感じだったもんねぇ、ここ三日」
「あはは……むしろ終わった後の方が大変で……。どこから湧いてくるのかってくらい書類と雑務とトラブルが……」
梓が、必死になってエルデを引き留めていた理由が、心の底から理解できた。誰か一人でも休んでいたら、恐らく仮眠時間すら取れなくなっていただろう。
せめてもの罪滅ぼしと思った事が、更に大きな迷惑になったかもしれない――そう思うと、最善の行動とは何か、と考えずにはいられない。
迫り来る火球を前にした時、ひとみは、確かに訓練通りに動いた。戦うためには、間違いなく最善の動きだった。
――背後に、守るべき都市住民さえいなければ。
エルデのお陰で事なきを得たが、それは運が良かっただけだ。たった一つ歯車が違っていただけで、大惨事になっていただろう。想像するだけで体が震えてくる。
「そっか……っと!」
ひょいと、夏美が缶を投げた。あ、とひとみは思わず声を出しそうになって、夏美のイヤリング型の蓄光器が光を放っている事に気づいた。
缶が描く軌跡は、どう見ても途中で地面に落ちる。ゴミ箱は、ひとみ達が座っているベンチから、だいぶ離れたところにあるのだ。その上、ちょうど木が遮蔽物となっている。
しかし、夏美の横顔は、入る事を確信していた。
カン、と気の抜けた音を上げて缶が花壇の縁に当たった。そのまま跳ね上がった缶は木の横を抜け、その向こう側にあるベンチの背もたれにぶつかる。
更に缶は高く跳ねて、校舎の二階同士をつなぐ渡り廊下の壁に当たって、くるくると回りながら、吸い込まれるようにゴミ箱の中に消えた。
「っし!」
「ちょ、ちょ、え、何、今の?」
ひとみはゴミ箱と夏美の間で首を振る。
「軌道計算だけど……知らないの?」
「そうじゃなくて! なっちゃん、軌道計算を実行するの苦手だったじゃない!?」
軌道計算は、演度二の演算。その通りに体を動かすのは、感覚操作もしくは感覚強化という演算三の演算が必要となる。
しかし、今の動きは、加えて演度四の演算、身体操作能力の向上が必要だ。この演算で筋肉を効率よく動かし、普段以上の筋力を発揮する事で初めて可能となる。
ひとみが知る限り、夏美は演度三を何とか使いこなしているレベルだ。演度四に挑戦はしてみたけど、到底無理――と夏美自身が言っていた。
「実はこっそり練習してた」
その言葉に驚くひとみの視線から目を逸らして、夏美は照れくさそうに笑う。
「いやね、博覧会で面白いもの見てさ。ダンスみたいなんだけど、こう、三人の女の子が、一つの生き物みたいにぴったりと動いててさ。ああ、すごいな、こういう事できる人もいるんだって……見てたんだけど、一カ所、失敗しちゃって。足ひねったみたいで、すごく痛そうなんだけど、でも、諦めないで続けるの。すごく一生懸命で……いっぱい練習したんだろうなぁ、って思ったら、どうせできないし、なんて思ってるのがなんだか恥ずかしくなっちゃって」
少し早口でそう言い切った夏美は、くすぐったさを堪えるような顔で頬をかく。
「それで、もう一回……もう一回くらい、頑張ってみてもいいかな、って。このまま諦めるんじゃ、なんか納得できなくなっちゃって」
「そっか……うん、そっか、ありがとう」
「……へ? なんであんたがお礼?」
疑問符を顔中に浮かべる夏美に、ひとみは「何となく言いたくなった」と笑みをうかべた。
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