《演算2》

[1]

 整然と並んだ机とイスについた制服姿の男女が、真剣な表情で手を動かしていた。

 シャープペンが紙をこする音と、生徒達の息づかい、わずかな衣擦れの音が教室に響く。

 教卓で腕時計を見ていた中年男性が、「やめ!」と声を張り上げた。

 一斉に弛緩した空気とざわめきの中で、解答用紙が最後尾から教師の手元へ集まっていく。

 自分の答案を前に回した梓は、ん、と大き伸びをした。

 授業終了の鐘が鳴り、答案を回収した教師が「今日はこれまで」と言って教室を出て行く。

 ほぼ同時に、昼休みを謳歌しようと、あちこちで生徒達が席を立ち始めた。

「おーい、どうだったー?」

 背後から、ひょっこりと友人が顔を見せた。

「って、まぁ、梓に限って悪いって事は無いか。演算、使いまくりだったもんね?」

「あはは……わたし、小テストでも悪い点だと、エルデ先輩に怒られちゃうから」

 からかうような友人の言葉に、梓は渇いた笑いで返す。

 演算都市では、演算の使用を前提とした高度な教育を行う学校が大半だ。

 高校二年生の梓達の授業は、外で言う難関大学受験レベルや大学レベルである。テストも演算での解答を想定されており、答えそのものを共有しない限りは、カンニングにはならない。

 もっとも、演算光には個人による割り当て制限があるので、必ずしもすべてを演算で解決できるわけではなく、思考力や計算力、記憶力なども当然ながら要求される。

 実際には、演算の直接的な能力だけでなく、演算をいつどこでどのように使用するかといった〝管理力〟もまた、演算都市においては重要な能力だ。

「自力で点数取れないなら、無駄な事しないで演算の練習にしなさい、って」

「うわぁ……ウトーピア先輩らしいというか。パンがなければお菓子を食べればいいじゃない、って雰囲気ねぇ」

「ところが、エルデ先輩、テストは全部自力でやってる人だから……」

「ちょ、え、あの人、確か学年主席じゃなかったっけ!?」

 梓が頷くと、友人は信じられないとばかりに首を横に振った。

「あの人もむしろ演算はどんどん使えって言われる立場でしょ? 遠慮しなくていいと思うんだけどなぁ……というか、あたしだったらそれこそ湯水の如くバンバン使うよ、梓みたく」

「いや、別にわたしも無駄遣いしようとしてるわけじゃないんだけど……」

 人聞きの悪い友人に、梓はむっと唇を尖らせる。

 と、通りかかった女子生徒の肩が、梓の背中にぶつかった。

「わ、と」

 何とか堪えた梓に、女子生徒が小さく舌打ちをした。端正な顔を苛立たしげに歪め、剣呑な視線を梓に投げつけて立ち去っていく。

「えっと……」

 梓は、呆然とその背中を見送る事しかできなかった。

 同じクラスになるのは初めてで、梓は彼女の事をよく知らない。刺々しくもハキハキした言動で周囲を引っ張るリーダー的存在で、なぜか梓にいい感情を抱いていない、という程度だ。

 だが、今回の態度は、彼女が初めて見せた明確な敵意だった。

「なにあれ」

 友人が、忌々しげな声を漏らす。

「ってか、あんたも少しはリアクションしなさいよ。怒る場面よ、ここ」

「あっと……いや、なんかよく分からなくて……」

 梓は小さく頬をかく。友人は何度か目を瞬かせてから、「まったくあんたは……」とため息をついて梓の肩をぽんと叩いた。

「あいつ、魔人館の採用試験に落ちてるから、あんたに嫉妬してんのよ。ただのひがみ。気にしないでいいよ。あんたはきちんと演算使ってるんだからさ、もっと堂々としてなさい」

 ばしん、と背中を叩かれ、梓は小さく悲鳴を上げた。

 そんな梓の様子に笑いながら、友人は「で、お昼どうするの?」と尋ねてくる。

「あ……ごめん、エルデ先輩達と約束してる!」

 梓は、慌てて鞄に手を伸ばした。

「ま、仕事の付き合いもあるし仕方ないけど。落ち着いたらあたしにも付き合いなさいよ?」

「うん、ごめんね!」

 友人に手を合わせて、梓は昼休みの喧噪の中に飛び込んでいった。



 昼食時の中庭の一角。

 数個あるテーブル席の一つで、エルデ、梓、ひとみは昼食を摂っていた。ネイはいつも通りエルデの背後に控えている。

 ダシの利いた薄味のきんぴらを箸で口に運びながら、エルデは梓の話に耳を傾けていた。

「……とまぁ、そんなことがありまして」

 昼休みに入った直後の出来事に関して、梓はそう話を締めくくった。

 ゆっくりときんぴらを咀嚼してから、エルデは「それで?」と首を傾げる。

「あなたは、意見を求めているの? それとも理不尽だと同意して欲しいの?」

「え? いや、えっと……別にそういうんじゃなくて……その、会話のネタというか……」

「それにしては重いわね。何か思うところがなければ、選ばない内容だと思うけれど」

 エルデは、白いご飯を口に運び、梓に視線で「どうなの?」と問いかける。

 だが、梓は困ったように箸で弁当箱の隅をつつくだけ。なかなか口を開こうとしない。

「いやいや、それはもうどう考えても理不尽ですよ!」

 それまでじっと梓の話を聞いていたひとみが、ぐっと拳を握って声を張り上げた。

「自分の努力不足を棚に上げて逆恨みだなんて! なんで梓先輩はそこでガツン! と言い返さなかったんですか。まったく梓先輩は甘い、甘すぎます、というわけで玉子焼きもーらい」

 一瞬の早業で、ひとみの口の中に玉子焼きが消えた。ひとみはんぐんぐと口を動かしながら、びしりと親指を立てる。

「ちょ、あんた、いきなり何を!? せっかく楽しみに取っておいたのに!」

「いやーうん、梓先輩の気持ち分かりますねー。これは楽しみになりますよ。お寿司屋さんの玉子焼きまんまですからねー。さすが、自分で食べたくて練習しただけの事はあります」

「それだけ分かってて取ってくなんて、いい度胸してるじゃない!?」

 梓の手がひとみの弁当箱に伸びる。しかし、ひとみは間一髪で弁当箱を持ち上げた。

「ふっふっふ。狙いを定めた瞬間、その視線は、そなたの心をすべて物語るのだよ」

 ひとみは芝居がかった調子でにやりと笑う。梓はそれを憎々しげに睨み、再び箸を構えた。

「お二人とも、そろそろ自制なさっていただけませんでしょうか? これ以上、お嬢様のお食事時に騒がれるようですと……私も相応の対応をいたしますが?」

 水筒のお茶をカップに注ぎながら、ネイが静かな声で言う。

 梓とひとみは揃って凍り付き、互いに目配せをしてほぼ同時に姿勢を正した。

 エルデは、ネイから受け取ったホットのお茶をゆっくりと口に含む。

「……ひとみは言い過ぎにしても、確かにその子の態度は、少し一方的ね」

「ですよね、ですよね!?」

 勢い込むひとみを、ネイがじろりと睨む。ひとみはびくりと震えて肩を縮こまらせた。

「私達は、確かに大量の演算光を使う特権を与えられている。そして、演算を守り、その発展に貢献する義務を負っている。演算を使う使わないだけではなく、あらゆる判断、言動が、演算の発展に貢献している事――それが私達、魔人館の人間に課せられた使命よ」

 言い終えたエルデは、そっとカップを置き再び端を手に取る。

「……硬い話をしてしまったわね。今は食事を楽しみましょう」

 エルデが小さく笑うと、息を呑むように聞き入っていた梓とひとみも緊張を解いた。

 そうして昼休みも半ばを過ぎ、食事を終えて談笑をしていた時だった。

「あ、進上先輩、いた!」

 そんな声とともに、バタバタと数名の女子生徒がエルデ達のテーブルに駆け寄ってきた。

「進上先輩、助けて下さい!」

 挨拶もなく女子生徒の一人がそう言った時には、梓はもう腰を持ち上げていた。

「どうしたの?」

 言いながら、梓は歩き始めている。

 そんな梓を見て、エルデは深くため息をついた。

「演算を使う時は、考えて使いなさい……という話をしたつもりだったのだけれどね」

「まぁ、梓先輩ですしねぇ……」

 苦笑しながら、ひとみが梓の荷物を素早くまとめる。

「そうね……でも、少し言っておかないとダメかしらね」

 もう一度エルデがため息をつくのと同時に、ネイが梓達を追って車いすを押し始めた。

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