涙の軍艦

しまえび

涙の軍艦

 午前中、私は恋人に振られた。

 半年の付き合いだった。マッチングアプリで出会い、趣味も合って、交際までは驚くほど早かった。

 何度か飲みにも行ったし、彼の好きだった釣りにも付き合った。朝釣りに出たあの日、私が初めて釣れたと喜んだとき、彼は子どもみたいにたくさん褒めてくれた。彼は「そんな昔のことは忘れた」と言っていたけれど、私はまだ鮮明に覚えている。


 けれど今日、突然告げられたのだ。


「やっぱり別れよう」


 少し前から、すれ違いが多かったのはわかっていた。

 社会人同士で休日は合わないし、彼からの連絡はいつも遅い。返事を待ち続ける夜に、心が擦り減った。あの遅さに苛立ちをぶつけてしまった夜もある。


 理由を並べれば、納得はできる。

 でも、胸の奥に広がる空白だけは埋まらなかった。


 だから、私は寿司屋に来た。

 昼下がりの回転寿司。奮発して、一人でカウンターに座る。流れていく皿の色彩が、なんとか心を和ませてくれる気がした。


 だが今日の気分は決まっていた。甘えび軍艦――ぷりぷりの身と、わずかに甘い香りが舌に広がる一皿。


 皿を取って口に運ぶ。

 その瞬間、目が止まった。


 ――赤い粒が、きらりと光っている。


 いくら。

 いつもの甘えび軍艦にはいないはずの、数粒の宝石。


「……え?」


 ほんの数粒。

 口に含めば、ぷちりと弾ける音と、舌に散る海の塩気が重なる。甘えびのやわらかさに、いくらの濃さがすっと重なり、驚くほど自然に調和した。


 たまたま盛り付けの手元が滑っただけかもしれない。

 でも、それでもいい。

 こんな些細な偶然こそが、人生を輝かせるのだと私は知っている。


 えびといくらが偶然一つの軍艦に収まったように、人生にも思いがけない巡り合わせがある。

 彼との時間は、ただの通過点だった。

 私の人生を決めるのは、私自身だ。


「お寿司って、ほんと奇跡の連続だよね」


 私は笑った。涙なんて、もうとっくに乾いている。

 次にどんな奇跡が来ても、私は胸を張って受け止めるだろう。強く、自由に、私の生きたいように生きてやる。


 視線を回転レーンに戻す。皿はまだまだ巡ってくる。

 タッチパネルに指を走らせる――えんがわ、しめさば、そして茶碗蒸し。

 ――今日は思い切り食べてやろう。これが、私の新しいスタートだ。

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涙の軍艦 しまえび @shimaebi2664

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