1 雨の揺籠

“雨の揺籠”


 ワンド。片手でたやすく持てる重量。

 銀とオリハルコン、魔晶石、絹糸、氷竜の魂で制作。

 雨を降らせる力が秘められている。

 術者の力を増幅させる機能は申し分なく、大魔法であっても耐え得る。が、扱いに少々注意あり。


 銀にかがやく全身より、しきりに冷気を漂わせるこの杖は、“雨の揺籠”と呼ばれる。

 片手で持てるほどの長さと重さであり、全体には微細な竜とその化身たちの細工が彫り込まれている。

 先端には魔晶石が安置され、まるで竜の爪のような台座に固定されている。

 魔晶石は青く輝き、なかには乳白色のもやが渦巻いている。もやはときおり、微細な雲母のように煌めく。

 冷気を常に放出しており、そのまま杖を持つと、とたんに凍傷を負う。そのため、持ち手の部分には、聖別された特殊な赤い絹糸が幾重にも巻かれている。それであっても並の術者であれば、ほんのわずかな、それこそ術を行使する間のみしか手に持つことはできないだろう。 


 この杖の制作者は、表向きには不明ということになっている。

 かの竜研究の大家である術師、故ジョージ・ペンシヴルが長きに渡り所有していたが、その死後は術者のとある団体に寄付され、旱魃にあえぐ地方の村々を渡り歩いてきた。そして、わたしの元へやってきた。

 いまでは作物の品種改良や栽培促成の術の進歩もあってか、昔ほど旱魃を恐れることはなくなったが、それでもなお、この杖の使用を求める声が聞こえてくることは多い。


 実は、この杖自身に雨を降らせる力が込められているわけではない。

 この杖の特徴は、“雨雲を集める”ということにある。つまり、この杖は、術者の立つ場所の近隣から雨雲を呼び集め、雨を降らせているのである。

 そのため、この杖を用いた村には雨が降るが、近隣の村からは貴重な雨雲を奪うことになり、結果として旱魃のなんの解決にも至らない、というなんとも使い勝手の困るものであった。

 ただ、大雨や台風などを呼び寄せ人の住まう場所に起こり得る災害を避けるために、洋上などでこの杖を使うこともあり、そういった点では役に立つ場合もある。


 実は、この杖は、秘密裏にペンシヴルが作成したという話をご存知だろうか。

 ペンシヴルといえば、『竜学入門』をはじめ、『竜の生態と駆逐について』や、『竜と財宝についての一考察』など、術者を志したものであれば必ず養成課程で目にする名著の作者であり、竜の討伐と被害の防止にその一生を捧げた人物としての印象が強い。しかし、彼の生い立ちを紐解けば、この杖の制作過程に行き着くのである。

 これは、ペンシヴルの一番弟子(ペンシヴルは生涯子を生さなかった)であり、今や宮廷で術師として出仕する人物か聞いた話であり、まごうことなき事実である。


 ペンシヴル家は、北の辺境に根ざしている、いわば下級貴族であった。

 この地域にはしばしば氷竜が飛来し、村を襲うということが繰り返されてきた。ペンシヴル家は、この北方の災害が、国の中心まで至らないように北限で食い止める、いわば防人のような役割を担っている貴族であった。

 ペンシヴルがまだ年端も無い少年であった頃。いよいよ氷竜の猛攻は止まず、防衛戦をこえ、ペンシヴルが住まう居城にまで襲いかかる事態になった。

 ペンシヴルの父である、ラウド一世は、幼い息子と妻を守るために決死に氷竜に立ち向かい、なんとかその首を落とした。しかし竜から負った凍傷がもとで、帰らぬ人となってしまう。

 成人の儀を前にして領主となったペンシヴルであったが、その類まれなる術の才のみならず、人心を掌握する対人技術にくわえ、領主として土地を治めるあらゆる手腕に優れており、それ以上に優秀であった母である女王の助力も経て、ペンシヴル家を中央でも名高い北の名主と言われるまでに発展させた。

 その功績のひとつが、氷竜の住処を突き止め、巨大な岩の下に封印したことである。それまで氷竜の被害をしのぐだけだった北の領土が、平和に過ごせるのも、彼のおかげだといえよう。

 彼は片腕を失う凍傷を負い、また彼以外の同行した仲間をすべて失いながらも、氷竜の討伐に成功したのであるが、どうやら氷竜となんらかの対話をしたという記録が残っている。

 竜は、ほかの生き物とは異なり、人語を理解する力をもつ。

 彼と氷竜がどのような対話をしたのかは定かではないが、そこで竜から、まだ孵化していない卵をたくされたというのである。

 ペンシヴルは、秘密裏に、この卵を育て、そして孵化させることに成功した。

 彼の本に記される竜の生態が、妙に生き生きと、まるで見てきたかのようにつづられていることに、わたしは学士時代から疑問を持っていたが、彼は研究の末にそれらを突き止めただけではなく、実際に観察していたというのである。


 自分の仇である氷竜の子どもを育てるとは、どのような気分なのだろうか。

 彼の著作によれば、幼生期の竜は、愛くるしく人懐こい部分もあるとのことである。自分の仇ながら、自分を求める目の前の命に、彼は何を思ったのだろうか。


 ひろく知られている通りペンシヴルは、それまでの北の都をあらため、より中央に近い場所へと遷都している。どうやらその過程で、氷竜の子どもの魂を魔晶石に封じ込め、この杖を作ったとされているが、その詳細は一番弟子もよく知り得ないらしい。


 あくまで想像であるが、やはり人と怪物、相容れない部分があったのだろうか。それとも。


 弟子によれば、ペンシヴルは“雨の揺籠”を滅多に人目に触れさせることはなく、自室の、さらに奥の小部屋に安置していたそうである。

 そして用事がないときは、日がな一日杖を眺め、何事か語りかけている様子もあったという。

 “雨の揺籠”と名前をつけたのもペンシヴル自身であった。

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