“杖”を巡る物語
@youpyon
あなたはとある本を手に取った
週末。
街の喧騒から忘れ去られたような場所にある古本屋を見つけたあなたは、興味を惹かれて中に入ってみることにした。
いつもの歩き慣れた通りにもかかわらず、あなたはこんな店があるなぞ、まったく認識していなかったことに気づく。
本好きなあなたのことだ。街にある書店はおよそ知っているし、地元住民しか知らないような、路地裏にある隠れた名店も、あなたは知っているというのに。
店構えは古ぼけている以外、そこらに軒を連ねる昔馴染みの店と変わりなかった。
金物屋や雑貨店なんかが、ちょうど同じような店構えをしている。
店先には、かなり雨風にさらされたであろう、錆の浮いた棚が放り出してあり、本とは思えない、子どもの駄賃で買えるくらいの値段がつけられた本が、雑然と並べられていた。屋号も看板も掲げられておらず、その棚だけが、その店が古本屋であることを示している。
重い引き戸を開けて店に入ると、古書独特の、どこか甘いような、懐かしいような香りが鼻に飛び込んできた。
「いらっしゃい」
店奥から聞こえてきた声は、若者のものといえばそう聞こえるし、年を経た人のものであるといえばそう聞こえる、年齢がわからない声だった。
薄暗いなかよく目を凝らしてみると、小さな上がりに腰掛け、こちらに軽く会釈をする老婆の姿が見える。
こざっぱりとした服装をしており、髪の毛は綺麗に結えられていた。うっすら唇に紅を引いており、王侯貴族の老婦人といっても通るであろう、気品にあふれた姿をしている。
膝には猫が抱かれており、ぐるぐると喉を鳴らしながら、婦人の手に撫でられるがままになっている。真っ白な猫の輪郭が、薄暗い店のなかでぼんやりと、まるで月のようにひかって見えた。
あなたは会釈を返すと、所狭しと並べられた書架の森へ、その身を分け入れる。
哲学書、神学書、錬金術書、魔術書……。この店は、どうやらその類の本を専門に扱っているらしい。
この街にある古書店は基本的に、その店の主が、自身の専門分野に応じた書を扱っていることが多い。この店もそのようだ。
しかし、並べられている本は、あなたが読んだことのないものばかりだった。あなたは研究熱心だし、大体の専門的な本は読み終えているか、読んでいなくても書名ぐらいは聞いたことがあるというのに。
なかには、物語の中に出てくる、存在しない書名を冠した本もあり、あなたはこの書店が、いいかげんな店ではないのか、と訝しげに思い始める。
ありもしない不老長寿の薬を売り歩く店もあるほどである。この店もそういった、客を騙そうとしている店ではないのか。
あなたは、店に入る前の興味をすっかり失ってしまい、さっさとこの店を出ようと踵を返した。
ふと、右端の本棚に、ちらりと書影が見える。
いまにも崩れそうな背表紙だが、なぜかあなたはその本から目が離せなくなってしまった。
どうしても中身をあらためたくなり、あなたはそっとその本を取り出してみた。
簡素な装丁である。装飾もなければ、飾り文字もない。丁寧には綴じられているが、なんの変哲もない古い本である。
しかし、その表紙はしっとりと手馴染みがよく、ずっと触っていたくなるような滑らかさであった。さらに、よく磨かれた革靴のように、暗い書店内の光を一新にあつめ、にぶく輝いているように見えた。
“杖を巡る物語”と書かれてあるその本に、あなたは、どうしようもない興味を抱いてしまう。
なんの変哲もない、ただの古ぼけた本であるそれは、まるであなたに呼びかけるかのように、あなたの手に抱かれていた。
あなたは、おそるおそる、まるで、翅をやさしくつまんで蝶を捕えるときのように、本の表紙をめくった。
店の奥から、猫の満足げに鳴く声が聞こえてきた。
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