聖地巡礼
14時15分。千里の自宅。
千里は自分でも恥ずかしくなってくるような検索ワードでヒットしたページをパソコンで見ていた。
『初デート 場所 おすすめ』
検索で引っかかったキュレーションサイトには、少なくとも70点は取れそうな場所が紹介されていた。大抵の検定試験ならば70点は合格点だろう。
ただ、定番すぎる。どうせなら唯衣だから喜んでもらえる場所に連れていきたい。
「うーん」
よさそうな場所が決まらず唸っていると、
「仕事中かと思ったら、速水さんとどこにデート行くかで悩んでいたんですね」
後ろから怜が覗き込んできた。
「まあ、ちょっと息抜きだよ」
「息抜きになるんですか? 今後の進退を決める重要なイベントなのに、息抜きでやるようなものではないと思いますけど」
正論だった。
「……仕事中もどこがいいか考えてしまって仕事にならないんだよ」
「それで今はそっちが本職なわけですね」
怜からの視線にやりづらさを覚えつつも更にあちこちのサイトを見てみるが、やっぱりしっくりこない。
「……多分どれも悪くないんだけど、逆にどれもしっくり来ないんだよな」
「最初のデートで失敗したら、その場でただの他人に戻りかねないですからね」
今日も怜は容赦ない。
「プレッシャーかけないでくれよ……」
「別に難しいことを考えずに、速水さんが喜んでくれそうなところに連れていけばいいと思いますよ。全く話したことない人と交際してるわけじゃないんですし」
「うーん」
腕を組んで背もたれに体を預け、改めてもう一度考えてみる。
ケーキはこの前食べた。
鍋は水炊きが好きと言っていたが、デートで鍋はさすがにどうなんだろうか。
服屋に行っても間が持たない。
何かいいアイディアが落ちていないか、唯衣と初めて出会った時から記憶を再生していく。
ドアの前で初めて会って、香折の部屋に行き、好きな作品はベクタースターだと言っていた。
しかしこれも好きだからといって全話一気見もさすがにない。万事休すか、と思った直後。
「待てよ……」
いい場所があることに気がついた。
◇ ◇ ◇
関東の外れにある駅で、千里は唯衣を待っていた。駅は無人で、簡易改札機しか設置されていない。
場所が場所なだけに、千里の家から電車で1時間。唯衣の家からは更にかかるところにある。
周辺は閑散としていて、一応首都圏内ではあるものの、高いビルもなく視線を上げると白んだ山が見える。
改札前で唯衣が現れるのを待っていると、約束の時間10分前に唯衣が現れた。
「すみません。わざわざ遠いところまで」
「ううん。大丈夫。途中まで特急使ってたから小旅行気分だったし」
千里は未だに唯衣に対してタメ口を使うことに躊躇が残っているが、唯衣は慣れてしまったようだ。
普段唯衣は髪の毛を下ろしているが、今日は後ろでまとめていた。
それだけでなんだか雰囲気が違う。さながら避暑地にやってきた良家のお嬢様のようだ。あいにく季節は冬なのだが。
と、そこで香折からのアドバイスを思い出した。
「唯衣さんが髪型や服装を普段と変えていたら、絶対に話題にして褒めちぎってください。桐山さんはまだ『不合格ではない』と判定されたに過ぎないんですから、『褒める』という簡単な加点要素は絶対に逃してはダメです」
千里も分かっていた。自分と付き合ってよかったと唯衣に思ってもらわなくてはならない。髪型を褒めるだけならそんなに難易度は高くないはずだ。
「その髪型……似合ってるね」と脈略なく言葉を発する。
「ありがとう」
唯衣は微笑を浮かべた。少なくとも悪い反応ではないが……これでよかったのだろうか。
「すごく似合ってる」
加点できていないような気がして、さらに褒める。
「ありがとう。……でもそんなに何度も褒めてくれなくても大丈夫だよ」
「あ……」
やってしまった。何度も同じ内容で褒められたら逆に嫌味に聞こえる。
気まずい。
「……と、とりあえず、行こうか」
「そうだね」
好感度ポイントを上げるどころか、他人に戻るまでの距離が近づいた気がしてきた。
しかし先行きが不安でもなんとかするしかない、マップアプリに登録しておいた地点に向かって歩き始める。
「のどか……。これくらいの田舎が住むのにはいいのかな」と唯衣がつぶやく。
地方の過疎地出身の千里からすると、飛行機や新幹線を使わずに在来線で都内へアクセスできる時点で田舎ではない気がするのだが、わざわざ口に出したりはしない。
しかし価値観や住む世界の違いを再認識して、うまくやっていけるのか不安になってくる。
そんな感情を抱えて住宅地に入り、やってきたのは何の変哲もない民家の前だった。
「……なんだか不思議な感覚」
新しくもない、かといって特別古いわけでもない民家を目の当たりにした唯衣の反応は、まるで実在しないと言われている伝説の建造物を目の当たりにしたかのようだった。
2人が来たのは、『ベクタースター』2話で破壊された民家の元となった家だ。3話では何事もなかったかのように復活し、数少ないファンの間ではネタにされ続けている。
かつてこの町に当時の制作スタッフがロケハンにやってきたようで、あちこちの風景・建物が作中に登場する。
しかし商店にポスターが貼られていたり、駅にパネルが設置されている……なんてことはなく、そして観光地でもなんでもないので、本当にただの住宅地だ。
さすがに勝手に写真を撮るのも気が引けるので、ただ、ぼんやり眺める。
しかしいつまでも見ているわけにもいかないので、次の場所へ移動する。
「こっちに『あの通学路』があるよ」
千里が歩き出し、唯衣は後を追う。
住宅地を出てすぐのところにある、高校へ向かう坂道。作中で何度も登場した場所だ。道路標識のサビ具合から、放置されたシャッターの降りた商店まで、作中とそっくりだ。
千里もこの町の存在自体は知っていたが、来るのは初めてだった。いわゆる『聖地巡礼』に意義を見いだせなかったからだ。
しかし今聖地巡礼の醍醐味が分かった。
ただ立っているだけで、作品に深く触れているような気がしてくる。
唯衣も同じようで、千里の横に立ち、無言で風景を眺めていた。脳内でシーンを再生しているのかもしれない。
「次、行こっか」
「そうだね」
次の目的地へ向かって歩き出す。
町並みに何か目を引くものがあるわけではない。日本のあちこちにありそうな風景だ。しかし千里には異国の地を歩いているかのような高揚感があり、唯衣も四方八方に視線を送りながら歩いていた。
「――来てよかったな」
唯衣が発した一言は、きっと何気ないものだったのだろう。しかし千里からすると、自分はちゃんと彼氏をやれているんだなという実感を得るのには十分すぎる一言だった。
「……よかった。でもこれからだよ」
千里は視線で道の先を示す。前方には左方向の曲がり角があり、角を曲がった瞬間、唯衣は右手に現れた公園へ速歩きで向かいはじめた。千里も後を追う。
そして2人は色褪せ、塗装が所々剥げた看板の前で立ち止まった。
今まで作中に登場した場所を巡ってきたが、今回は何気なく道を歩いていたらいつの間にか異世界に迷い込んでいたかのような感覚があった。
「この公園も、本当にあったんだ」
独り言のように、唯衣が言葉を発する。
「初めて来たのに、そんな感じしないよね」
「うん……」
2人は自転車が入れないよう設置された逆U字の柵の間を通り抜け、公園に足を踏み入れる。そして示し合わせたように公園の一点へ向かっていく。
たどり着いたのは、古びた巨木だった。太い根が地表近くに伸びており、下を見ずに歩くと足を取られてしまいそうだ。
この巨木の前は『ベクタースター』の主人公、裕一がヒロインのヌルに告白した場所であり、最終決戦前に2人が抱き合った場所でもある、まさに『聖地』だった。
作中では裕一が向かって右側に立ち、ヌルが左にくるのが定位置だ。千里と唯衣は無意識のうちにか、それぞれ右と左に立っていた。
とはいえ自分はもう告白済みだしな、と千里が思っていると、
「もう一歩前かな?」
「え?」
「裕一が立ってた場所はもう少し前だったと思う」
「これくらい?」
一歩前に出る。
「ちょっと行きすぎかな? あと、すこし木に近寄りすぎかも」
どうやら唯衣は千里より『ガチ』のようだ。
「これくらい?」
向かって左手前に半歩ほど移動する。
「もう少し手前かな?」
「こう?」
「うーん、そっちじゃなくて……あ」
じれったくなったのか唯衣が千里に向かって歩き出した直後――唯衣は根に足を引っ掛けてしまった。
「危ない!」
千里は唯衣に駆け寄り、抱きとめた。
――小さい。
それが最初に抱いた感想だった。
唯衣の身長は20代女性の平均身長とだいたい同じで、これまた20代男性の平均身長とだいたい同じ千里と比べると、身長も、肩幅も、腕の太さも違う。加えて千里が過去に女性とまともに触れ合ったこともないのも相まって、ひときわ小さく感じたのだ。
そして甘い香りがした。柔軟剤なのか、香水なのか、はたまた唯衣自身の匂いなのかは分からないが、吸い込むと胸の奥がのぼせ上がってくるような感覚を抱いた。
理性ではすぐに離れたほうがいいと思った。いくら付き合っているとはいえ、これは事故で、そして早急だ。
しかし『好きな女の子を抱きしめる』という行為は想像以上に気持ちよくて、離したくなかった。
だが「事故だった」と許してもらえる時間はすでに過ぎているだろう。ゆっくりと唯衣から体を離し、唯衣の顔を見ずに「ごめん」と謝罪する。
「あれ、原作再現のつもりじゃなかったの?」
「え? いや、なんていうか……ごめん」
唯衣の言う通り、木の前で裕一がヌルを抱きしめるシーンがあったが、意図したわけではない。仮に実行に移そうとしたとしても、付き合い始めでやることではない。
いい調子だったのに失敗だ。自分の存在が恥ずかしく思えてくる。
「ねえ」
声をかけられ、何を言われるのだろうかと恐る恐る唯衣を見る。
「……ちょっと驚いたけど、別にイヤじゃなかったよ」
唯衣の表情は何かに戸惑っているようで、気持ちを落ち着けるためか指で髪の毛をいじっていた。
普段のクールな唯衣でもなく、ケーキを食べているときの無防備な唯衣でもない、別の顔の唯衣。
衝動的に抱きしめたいと思ってしまった。唯衣がこう言ってるのだから、別にそれくらいなら問題ないのではないだろうか。
千里は唯衣に手を伸ばしかけ、止めた。
もちろん抱きしめたり、それ以上のこともしたいとは思う。しかしそれは、唯衣との関係に不可逆性の変化が生じることを意味する。変わるのが、怖かった。
「それならよかった。そろそろ……行こうか」
「そうだね」
あえて唯衣の発言はさらっと流し、2人は公園を後にした。
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