時給三万円のバイト。とあるマンションに住んでいただくだけで結構です。
青霊
第1話
カラカラと窓を開けて背伸びすると、右隣の部屋から挨拶される。
「おはよう。今日はずいぶん早いんだね。」
「おはようございます。そうですね。早いです。」
このマンションに住んでいる”人”に話しかけられたら、絶対に応じなければいけない。
早い…のか。そうなのか。
今は午前の五時頃だ。
早いのか。隣人からしたら。
「そういえば君はどのぐらいここに居るんだっけ?」
「えーっと…今日が四月の七日で、私がここに来たのがちょうど大晦日の日だったので…大体四か月ですね」
「四か月か。月日の流れは速いね。来たときはすごかったもんね。君はボロボロだったし。」
隣人はしみじみと語る。
きっと隣人からしたら私の苦労なんて些細なことだ。
別に分かってほしいわけでもないけど。
「ここでの生活はどう?」
「色々大変なこともありますけど、楽しいですよ。」
「そっか。それはよかった。短期の人でもすぐここを出ちゃうから空き部屋でいっぱいなんだよね。まぁ給料がいいから来る人も多いんだけど。君にはなるべく長くいてほしいよ。」
「ここに来た当初も言いましたが、私はここを離れるつもりはありませんよ。他に行く場所がないので。」
「そっか。そう言ってくれると嬉しいよ。私も含め、ここに居る”人”は、人がいると嬉しいからね」
にこやかに笑う隣人が目に浮かぶ。
私は隣人とそんなに会ったことがないけれど、私が見た限りでは隣人は女性に見えた。
多分このマンションの中ではどちらかというと害がない。
「はぁ~…にしてもこの前は大変だったよね。君から見て左隣の隣人が殺しちゃったんだからさ。」
隣人はあっけらかんと言った。
まるで、人が死ぬのなんていつものことだというように。
「まぁそうですね。」
どうやってあのご遺体が片付いたのかは聞かない方がいいだろう。
あの人は短期入居者の一人だった。
「でも死んだ奴もバカだよねー。わざわざアイツを訪ねる時点ですでに相当頭おかしいけど、”お供え物”すら用意しないなんてさー。アイツはああいうのにうるさいからね。君も気をつけなよ。まぁそもそも行かないのが一番得策だけどね。」
「そうですね。気をつけます」
「じゃあね。」
隣人はそれだけ言って部屋に戻っていった。
私はベランダに出て、下を覗いた。
このマンションは十階建て。
築年数は五年ほど。
オートロックだし、部屋もエントランスも綺麗だし、エレベーターもついている。
駅近というわけではないが、近所にスーパーと割と大きめの本屋がある。
徒歩二分ほどの距離にコンビニもあるし、かなり充実していると思う。
好立地、割と新築。誰からも好かれそうな物件なのに家賃は一万円だ。
しかも空き部屋が多い。
このマンションは全部で五十個の部屋があり、私が知る限りその三分の二が空き部屋だ。その他は、短期入居者、私のようにずっとここに居る人、隣人のような”人”が住んでいる。
「なになにー?さっきからずっと下向いてるけど、死にたいのー?」
その声にバッと顔を上げる。
この声の主は左隣の部屋に住んでいる住人だ。
「あ…おはようございます。」
「おはよう、
そう言ってニコッと笑う隣人。
この”人”は私が知る中で唯一私の名前を知っていて、呼ぶ”人”だ。
まぁ村の人たちは除外するが。
ちなみに私は、この”人”に自分の名前を名乗った覚えがない。
「早いですね。
天野というのが私のもう一人の隣人だ。
ちなみに、左隣も右隣も、住んでいるのは人間ではない。
というか、この七階には正真正銘の人間が私以外、いない。
「いや~たまたま目が覚めてね。花粉かな?それより閃花ちゃん、死にたいの?」
「死にたいとはここ三ヶ月、思ったことはありませんよ。ただの人間の気まぐれです。」
「ふーん。」
天野さんが面白くなさそうな声をする。
「なんですか。天野さんは私に死んでほしいんですか」
「いやいや!違うよ!」
「冗談ですよ。それでは、失礼します。」
ベランダから出て、窓を閉める。
完全に締まり切きる直前に天野さんが声をかけた。
「閃花ちゃん。」
「はい?」
「死なないでね。」
「はい。」
それは久しぶりに聞いた天野さんの真面目な声だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます