第6話 説得

 友哉の家は、二階建てアパートの二階にあった。

 僕は深呼吸してから、扉をノックした。

 

 (コン、コン)

 

 しばらくして、扉が開く。

「聡、まーじできたのぉ?」

 友哉が現れた。少し足元がおぼつかない。

「飲み過ぎだろ」

 肩を貸して中に入ると、一人暮らし用の狭い部屋。

 大柄な友哉には、余計に窮屈そうに見えた。


 テーブルに視線を落とした瞬間、息が詰まった。

 

 酒ではない。錠剤の薬がいくつも散乱していた。

 全て空にはなっていない。

「おい、何錠飲んだ!?」

 問い詰めると、友哉は左手の指を五本、ゆっくりと広げてみせる。

 (五錠か……命に関わる量じゃないな)

 とっさに水を探すが、部屋にペットボトルはない。仕方なく蛇口からコップに水を注ぎ、差し出した。


「友哉、これ飲め」

 素直にごくごくと飲み干す友哉を見て、胸の奥でため息をついた。

 (やっぱり、放ってはおけない)


 明日の準備と寝袋を取りにいったん家に戻り、今夜は友哉の部屋に泊まることにした。

 

 ◇

 

 ――朝。額にパキッと痛みを感じ、目を覚ます。

「……いってぇ」反射的に手を当てると、横で友哉が笑っていた。


「デコピンで起こすなよ。もっと優しくしてくれ」

「はは。おはよう。俺、もう行くから」

「早いな。まだ六時だぞ」

「建設業は朝が勝負なんだよ」


 毎日こんな生活を続けているのかと思うと、胸が重くなった。


「休みはないの? この前も休日出勤だったろ」

 身支度を整えながら、友哉が答える。

「納期からかなり遅れててな。ここしばらく休んでない」

「死ぬぞ、そんな働き方じゃ」

「まあ、そうなったら労災も下りるし。生命保険も多めにかけてあるしな」

「そういう問題じゃないだろ。お前、母親一人なんだし」


 僕の言葉に、友哉の手が一瞬止まる。

 高校時代に両親が離婚し、それ以来、母親と二人で暮らしてきたことを僕は知っている。妹は父親に引き取られていた。


「……お前には関係ねえだろ」

 語気が少し荒くなる。


 それでも続けた。

「心配なんだよ。昨日、田中洸平と話してさ……」

 恐る恐る切り出す。

「田中くん、一年前に太陽建設を辞めたらしい。体壊したんだって」

 友哉は目を伏せ、ぼそりとつぶやいた。

「辞めたのは聞いてたけど……体を壊してたのか」


 僕は勢いをつけるように言った。

「田中くん、会社よくないって。『早く辞めた方がいい』って。友哉も考えた方がいいんじゃないか? 辛いんだろ? もし体を壊したら――」

 言いかけたところで、肩を強く掴まれた。

「俺がどこで働こうが勝手だろ! お前に関係ねぇ!」

 声が一段高くなる。

「昨日から色々うるせえんだよ。家のことまで持ち出して……」

 眉間に皺を寄せ、睨みつけてくる。

「心配してくれるのは嬉しいけどさ、度があるだろ」


 僕の胸の奥で、何かが切れた。

「お前が死んだら……俺はどうしたらいいんだ!」

 テーブルを叩く音が、狭い部屋に響く。


「……っ」

 友哉の目が険しくなり、無言で僕の寝袋を持ってきた。


「ほら、これ! もう帰れよ! 俺も仕事遅れるだろ!」

 腕を引っ張られ、玄関へ。靴を履く間もなく外に押し出される。


 バタン――。

 勢いよくドアが閉まった。


「……また連絡するから」

 ため息をつきながら、重い足取りで自宅へ戻る。

 ドアの向こうでは、友哉がしばらく黙って下を見つめていた。

 

 ◇

 

 ――月曜日

 頭がぼんやりしたまま会社に着いた。

 集中力がまるでなく、こんなんじゃ仕事にならない。


 気分転換にフロアの外の自販機へ。

 ちょうど里見優香さんがジュースを買っていた。


 ゴトン。

 彼女が取り出したのはお茶だった。


「あ、コーヒー買うんですか? ブラックは売り切れみたいですよ。カフェラテならあるかも」

「……あー、ブラックが飲みたいから、他行ってくるよ。ありがとう」

(なんで僕がブラックコーヒー買うってわかったんだ?)

 気になって尋ねてみた。


「なんで分かったの?」

 彼女は小さく笑いながら答える。

「眠そうな顔してたから。それに聡さん、よくここでコーヒー買いますよね」

「まあ、遠くまで行くの面倒だし……。でも、よく覚えてるね」


 笑おうとしたが、頬が引きつるだけだった。

「じゃあ」

 軽く手を振り、階下の自販機へと向かった。


(彼女と話しても、何も感じない……。今は考える余裕もないな)

 

 ◇

 

 ――定時後。

「……はぁ、なんとか終わった」

 心身ともに疲れ切っていた。


(友哉にラインしとこう。とりあえず謝らないと)

 スマホを取り出し、メッセージを打つ。


『昨夜はごめん。言い過ぎた。また謝りに行きたい』

 スタンプも添えて送信した。効果があるかは分からない。


 家に帰ると、コンビニ弁当を温めて食べた。

 実家は遠くないが、姉と妹がいるため、早く一人暮らしをしたくて専門学校を出てすぐに独立したのだった。


 シャワーを浴びた途端、猛烈な眠気に襲われる。

「……疲れてるな」

 パソコンをいじる気力もなく、そのまま眠りに落ちた。


 ――深夜。

 暗闇にスマホが光った。

 友哉からのライン。


 その頃の僕は、夢の底に沈んでいた。

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