第2話

「誰だぁ、てめえ。出てこい」

 すごむように大声を投げてみる。

 ごうごうと吹きすさぶ風の音以外、返事はなかった。やはり、誰の姿もない。

「気のせいか」

 風が強いせいで、聞こえた気になったのかも知れない。そう思いなおすと、俺はごみの始末を続けた。

「……神様じゃないの?」

 今度は確かに聞こえた。か細く高い声。

肩で息を整え、懐中電灯を向けてゆっくり振り返る。

ぞうっと背筋に冷たいものが走った。

「何だ、お前」

 子ども、だった。

 肩より長い髪を垂らした、白いワンピースを着た女児が草むらに立ち尽くしていた。年のころは十歳くらいにみえる。生気のない真っ白な顔が気になった。今は秋、小学生なら夏休み明けだ。ほとんどの子どもが日焼けしている時期に、気味が悪いほど白い肌をしている。

 まさか、『生きてない』なんてことはねえよな。

 ひとけのない真っ暗な橋の下なんて、化け物のひとつでも出ておかしくないシチュエーションだ。

 一瞬浮かんだその言葉を、俺は笑いとばした。死人が出て来る訳がない。ましてや見も知らぬ俺の前に現れて、どんな意味があるって言うんだ。

手っ取り早く区別する方法がある。そう口にして軽トラックに戻ると、俺はくそまずいパンをひとつ掴んだ。ぼんやりこちらを見ている見知らぬガキに、それを押し付ける。

「食え」

 目を丸くして、女児はパンをみつめる。それからうかがうように俺を見て、こわごわ端に噛り付いた。

「おいしくないね」

 一言そうこぼす。その言葉を合図に、野犬のようにパンをがっつき始めた。

 ほうらみろ。腹が減ればまずいパンでも食うなんて、間違いなく生きている者だ。面白いのでパック牛乳もくれてやる。そっちも全部飲み干して、やっとガキがガキらしい顔で笑った。

「なんでここにいる」

「神様を待ってる」

「バカなこと言ってねえで、ガキはさっさと家に帰れ」

「うん、でも、神様がいないと、帰れない」

「はあ?」

 意味が分からない。が、相手が腹をすかせたただのガキだというなら、気にせず仕事を終わらせるだけだ。それきり女児を無視して、荷台のごみ袋を次々と投げ捨てる。暗闇にすべてが吸い込まれると、俺は軽トラックに乗り込んだ。

 まだガキがこっちを見ている。気味が悪いが知ったことではない。

「さっさと帰れよ」

 エンジンを回すと、俺は橋の下を後にした。

 ……そんなことがあってから、さらに一か月ほど経った頃だ。

その日も俺は橋の下に向かっていた。秋雨の降りしきる夜で、ずいぶん冷え込んだのを覚えている。前回と同じ場所に軽トラを停車し腰に懐中電灯をさげると、雨合羽を羽織って車から降りる。雨にはうんざりするけれど、人目を避けるには都合がよかった。

 この間捨てたタンスの前に、トランペットとごみ袋が放置してある。誰だ、散らかしやがったのは。睨みつけると、その位置をめがけて運んできた廃材を放り込んだ。

 軽トラとの往復を繰り返し、数十分経った頃だろうか。雨がいっそうひどくなって来て、さすがに今夜は帰ろうかとそう思い始めた時だった。

「……あ?」

 雨の中に、何かがいた。

 そっと拳を握り、息を詰めてゆっくりそれに懐中電灯を向ける。

 したたる雨のさなか、懐中電灯が照らしだしたのは傘を深く差した女の姿だった。ヒールを泥だらけにした、真っ赤なワンピースの痩せこけた女。それが、いつの間にか自分のすぐそばに立っていたのだ。いったいどこから現れたというのだろう。足音にはまったく気づかなかった。

 ゆっくりと、女の傘があがる。その下の顔がこちらを向いた。

傘の下のその顔は、若いようにも年老いているようにも見える。その区別がつかないほどに、眼窩が落ちくぼんで生白く薄気味が悪かったのだ。それなのに口紅だけは異様に赤い。もし幽霊なんてものがいるとしたら、こんな顔をしているだろうと思える顔だった。

 ざあざあと降りしきる秋雨の中で、女はじっとこちらを見つめている。

真っ赤な唇がゆっくりと動いた。

「ねえ、ねえあんた、子ども見なかった?」

 低く震える声で、女が俺にそう尋ねた。

「ああ? なんだって?」

「小学生の、女のガキ」

 先月見た女児の顔が頭に浮かぶが、言う理由もないから黙っていた。

「あ、ああのガキ、使いのひとつもできやしない」

 忌々し気に髪をかき乱し、女が吐き捨てる。振り乱す長い髪が、化け物じみた様をより強くした。

「じゃあさ、男見なかった? こう、こんな、帽子被った、細くて若い感じの」

「知らねえよ。なんなんだてめえ」

 そういえば以前追い返した男がそういう姿をしていたが、わざわざ教えてやる義理もない。俺の言葉を聞いて、女はあからさまに動揺した。傘を取り落とすと、瘦せこけた両腕で自分を抱くようにする。薄っぺらいワンピースの袖から前腕がちらりと覗いた。青い鬱血の跡がいくつも見える。がりがりと腕をかきむしると、ふと女がこちらを向いた。

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