第4話

 翌日の昼下がり、八つ時に差し掛かった頃。

 菊の御紋の奉行所の前に、朱塗りの駕籠が駆け込んできた。

 駕籠をかくのは、もちろん丑之助と寅太郎だった。神妙な顔つきで奉行所の門構えを見つめると、丑之助は大声を張り上げた。

「中之坊様! 中之坊様! 木下様から承りました早駕籠にございます! ただいま参上いたしました!」

 重々しくいかめしい音をたて、奉行所の大門が開いた。

 目の前には白い石の敷き詰められた白洲が広がり、そこから一段高い場所に畳敷きの広間が見える。その左右にひとりずつ控えている者は、同心かそれとも与力だろうか。ちらちらと目を配りながら、白州の真ん中に駕籠を下ろし丑之助は膝をついてかしこまった。

「中之坊様! 駕籠が参りました!」

「ええい、うるさい!」

 下手の襖がからりと開いた。不機嫌そうな生白い顔で現れたのは、あろうことか木下松五郎だった。

「大声で名を叫ぶな!」

「木下様ではありませんか! なぜこちらにいらっしゃるんです」

 目を見開き、丑之助は大げさに驚いてみせた。なるほど、山越えの道を行けと言った意味がようやく分かった。最初から馬で街道を先回りする気だったのだ。

「お前たちがちゃんと駕籠を運んだか、確認するために決まっている」

「それはそれは、ご苦労様でございやした。見ての通りでございます」

 丑之助の満面の笑みに、木下がうなずいてみせる。

「それより木下様、中之坊様はまだにございますか」

「本日のお裁きは山岡様、中之坊などという名の者ではない」

「おや間違えておりましたか。そいつは申し訳ない」

「ご本人を前にして粗相をするでないぞ。いったい誰からその名を聞いてきたのだ」

「それは」

 その時、上手の引き戸が開いた。菊の御紋の裃を身に着けた役人の姿に、木下がかしこまる。この方が裁きのお役人に違いないと、そう見定めて丑之助は頭をさげる。

 広間の中央に役人が正座すると、ぴりりと場の空気が引き締まった。

 丑之助を見下ろし、役人がひとつ咳ばらいをする。

「先ほどから中之坊と呼びまわっていたのは、貴様か」

「へい、申し訳ございません」

「誰から聞いたのかは知らぬが、……まあ構わぬ。それより駕籠はこれか」

 左右に控えていた者が、示し合わせたように駕籠へと近づく。御簾をあげようとかけた手を、丑之助がはっしと抑えた。

「お待ちください、お役人様!」

「どうした、なぜ邪魔をする」

「まだ見るには早いんじゃねえかなー、なんて」

「何を言っている。駕籠の中の者に用があるというに」

「中のお方はものすごく恥ずかしがりやなんでさあ。何しろ、話しかけても一度も返事を下さらないと来た。だから、心の準備がいるんじゃあないかと思いやしてね」

 そう言うと、丑之助は駕籠に向かって呼び掛けた。

「駕籠のお方、駕籠のお方、御簾を開けてもよござんすか」

 駕籠の中からは返事がない。

「そう恥ずかしがらずにウンとかスンとか申してください。御簾を開けてもよござんすか」

 何度問いかけても、駕籠の中からは返事がない。

 丑之助は木下の方へ目を向けた。

「どうにも返事をしてくださいやせん。どうしたものでしょう、木下様」

「下らぬ時を費やしてないで、さっさと駕籠の中を見せるがいい」

「いやいやお待ちくだされ! どうかどうか」

 駕籠に近づく者たちを横っ飛びで制し、丑之助はその場に土下座してみせた。

「申し訳ございません! この駕籠にはどなたものっていないのです!」

 うずくまったついでに唾で目の下を濡らし、芝居がかった泣きまねをしてみせる。

 ほんの一瞬、木下がほくそ笑んだのを丑之助は見逃さなかった。

「そんな世迷いごとがあるものか、この大馬鹿者めが! この駕籠に乗っていたのは贋金造りの大罪人だ」

「なんと! 高貴なお方だとおっしゃっていたでありませんか」

「ぬけぬけとそんな嘘を。この駕籠には大罪人がのっていると、そう申し伝えたはずだ!」

 目を吊り上げて木下が怒鳴りつける。

「山岡様、この者たちをお調べください。きっと金でも掴まされ、下手人を逃がしたに違いありません」

 ふむ、とうなずき、役人が丑之助を見た。左右の者が丑之助を抑える。ころんと懐から転げ落ちた銀子を見て、木下が目をらんらんと輝かせた。

「その銀をお確かめてください! 贋金に違いない」

 銀子が役人に差し出される。みるみるその顔が険しくなった。

「偽の銀子である。これはいかがした」

「木下様からの前金にございます。そうでございますよね?」

 押さえつけられたまま、顔だけ木下に向ける。

「重ね重ねも嘘偽りを! このような大噓つきの言うこと、真に受けてはなりません」

「少し黙っておれ」

 木下を制すると、役人が首を振った。押さえつけていた者たちが丑之助から距離を取る。膝をついて座り直し、丑之助は役人を見返した。

「その駕籠は空だと、そう申すのか」

「その通りでございます」

「そうは言うが、中を改めない訳にはいかぬ」

「どうしても、とそうおっしゃるなら、今御簾をあげてご覧にいれましょう」

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