第3話
「お奉行所とは何でしょう?」
「菊の御紋のお奉行所ですよ。木下様にお頼みされた場所です」
不思議そうに、尼が首をかしげる。
「奉行所も木下様とやらも存じません。私は、少し下った先の寺に住まう尼でございます」
「へ?」
「山菜摘みに出て足を滑らせたところ、あなた方を見かけて声をかけたのです」
「では、駕籠の方とは違うとおっしゃる?」
いっそう不思議そうに、尼が丑之助を見た。ゆっくりと手が上がり、その指が御簾のあがった駕籠の中をさす。
「駕籠の方、とは、あれのことでしょうか」
指さす先を、丑之助は見た。
朱塗りの豪華な駕籠の中、鎮座するその姿。
「お地蔵様だと?」
石造りの地蔵菩薩がひとつ、ぽつんと中に置かれていた。
狐に化かされたような顔つきで丑之助は何度も駕籠の中を見回す。しかし、他には何ひとつのっていない。そりゃあ、いくら問いかけても返事がない訳だ。
「なんだって俺たちは、お地蔵様を運ばされてるんだ」
怪訝な顔で問いかけてみたが、寅太郎も首を振るばかり。
せめて金ぴかの仏像や珍しい食物というのなら、籠で運べ、中を見るなと言われても納得がいく。だがこんなどこにでもある石地蔵など、運んだところでなんの意味があるのというのだろう。
「こりゃどうするんだよ、丑の字」
「とにかくこの尼御前を寺までお運びしよう。地蔵についてはそれからだ」
いったん地蔵を草むらに置く。まったくもってただの石地蔵だけに、持ち運ばれる心配はしなくてよさそうだった。代わりに尼を駕籠にのせ、山道を下る。ほどなく、古寺が見えてきた。
駕籠を担いだまま、山門をくぐる。思いの外中は広く、庭に整えられた無数の菊がちょうど見頃だった。
「へえ、思ったよりも立派な寺じゃないかよ」
境内の正面で、駕籠を下ろした。すぐに尼が駕籠から出て来る。
「見事な菊ですねえ」
「ありがとうございます。こんな山奥の寺ですが、この花だけは自慢でございます」
皺深い顔で尼が微笑みかける。
「お礼できるようなものはございませんが、せめて茶でも召し上がっていってください」
「お言葉に甘えたいところだが、俺たちはあの地蔵を奉行所まで連れていかなきゃならないんですよ。どういう理由かはさっぱり分からねえんだが」
丑之助は寅太郎の方を向いた。
「さて、じゃあお地蔵様を拾いに行くか」
声をかけた寅太郎が、真っ青な顔でぶるぶると震えている。
「どうした、寅公」
「なあ丑の字、もしこのまま地蔵を奉行所へ連れてったら、どうなる?」
「どうって、どうなるんだろうなあ? 奉行所が石地蔵に何の用があるってんだ。お裁きするにしても口もきけなきゃ身動きもしやがらねえ」
奉行所が石地蔵に用があるわけがない。奉行所が用があるとしたら、そいつは人のはずだ。身代わりにするにしても、地蔵では意味がないだろう。
そこまで考えて、丑之助は気が付いた。
懐からもらった銀子を引っ張り出す。ぴかぴかの銀。なんだか大きく見える気がするそれ。
大きさに変な違和感があるのは、もしや、本当に寸法が違うのではないだろうか。
「にせもの……」
木下は決して中を見るなと言った。
もし中が誰だか気づかぬまま、奉行所へ運び込んだらどうなるか。駕籠にのっているはずの下手人が地蔵に代わって、駕籠かきが贋金を懐にいれていたら。
「俺たちが逃がしたと、そう疑われるんじゃねえのかよ」
ああ、割のいい話なんて信じるもんじゃあねえ。自分と寅太郎は、木下にはめられたのだ。だからといって放り出して逃げだしたら、それはそれで追手がつくに違いない。
行ってもお縄、行かなくてもお縄。
頭を抱えて思案する丑之助のまなこに、一面の菊が飛び込んできた。
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