第6話

 背中から声がかかったのは、夏山とうどんを平らげた頃だった。

「ナツ、あんたなに油売ってんだい」

 ガラガラ声に驚いて振り返ると、親方と富士がこちらに近づいてきていた。小柄な女性に似合わないはきはきした声が特徴の富士だが、今日は風邪のせいでずいぶん辛そうだった。

「親方、それに富士さんも」

「油なんて売ってないですよ、豊子さん。仕事前の腹ごしらえってやつです。それより風邪具合どうです? ひどい声っすけど」

「今日はもう帰って寝るよ。ナツ、あとは任せたよ。くれぐれも不正がないように」

「もちろんですとも、安心してお休みください」

 調子のいいばかりの夏山に、チカイチは内心呆れかえる。

「ほら行くよ、ナツ」

 富士に促され、いそいそと夏山がテーブルを立った。

ちらりと富士がチカイチを見やり、ポケットから出した飴を手渡して来た。まるっきり小さな子ども扱いだった。

「ハネダもチカイチも、用が済んだらさっさとお帰り」

「分かった。じゃあね夏山さん」

「おう、また近いうちに、な」

 意味ありげに言う夏山に背を向け、チカイチは親方とトラックへと乗り込んだ。エンジンをふかしてその場を離れ、二人が済むアパートに向かう。

 走り抜ける夕暮れの街は、煮詰めた飴のような鈍い色にくすんでいる。

「ねえ親方、今度の休み、トラック貸してもらえないかな?」

「あ? 何に使うんだ」

「ちょっと欲しいものがあってさ、歩きじゃ遠いんだよ」

 夢の島に入りたいから、なんて口には出せない。

「しょうがねえなあ。まあいい、使ってもいいが、ガソリンは満タンにしとけよ」

「やった、太っ腹だな親方」

 意外とあっさり許可が出て、チカイチは内心小躍りする。追及されたら何と答えようかと、少しびくびくしていたのだ。

 スマホをとりだして、チカイチは次の休みを確認する。

「休みは明後日の火曜日、と。親方は休日どうするの?」

「俺はあれだ、ちょっと出かけて来る」

 親方の出かける先は、だいたいいつも決まっていた。

「また奥さんのところ?」

「何度も言うが奥さんじゃねえよ。もうずっと前に離婚してるんだからな」

 離婚している割には、親方がしょっちゅう元妻のもとを訪れていることを、チカイチは知っている。よりを戻せばいいのにと心中思っているが、口には出したことがない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る