故郷の香水
キートン
金木犀
窓を開けると、懐かしい香りが流れ込んできた。
それは、故郷の庭に咲き乱れていた金木犀の匂い。この都会の片隅で、まさか再会するとは思わなかった。
香りをたどってベランダに出ると、隣のマンションの庭に、背の低い金木犀の木がひっそりと花をつけているのが見えた。小さなオレンジ色の花が、秋の柔らかな日差しを浴びて、控えめに輝いている。
その花を見た途端、胸が締め付けられるような想いがこみ上げてきた。故郷を離れて十年。あの頃は、金木犀の香りが当たり前すぎて、その価値に気づかなかった。
受験勉強に追われ、早くこの場所を出たいと願っていた。上京すれば、もっと刺激的で、自由な世界が待っていると信じて疑わなかったのだ。
そして、その通りになった。毎日が忙しく、多くの人と出会い、様々な経験を積んだ。だが、満員電車に揺られ、ビルの谷間を歩くたびに、心のどこかにぽっかりと穴が空いたような感覚があった。埋めようのない、何か。
金木犀の香りは、その穴を容赦なくえぐり出した。故郷の家の縁側で、祖母と二人で月を眺めたこと。庭に落ちた花を拾い集めて、瓶に詰めたこと。幼馴染と、金木犀の香りのする道を自転車で駆け抜けたこと。忘れかけていた記憶が、次々と鮮やかに蘇る。
ああ、私は何を捨てて、ここに来たのだろう。何を手に入れたのだろう。
金木犀の香りは、故郷への望郷の念を募らせる。だが、それは悲しいだけではない。遠い故郷の家族や友が、今も元気でいることを願う、温かい気持ちも含まれていた。
やがて、風が向きを変え、金木犀の香りは少しずつ遠ざかっていった。だが、その香りは、私の心に深く刻まれた。
都会の喧騒の中、一人ではないこと。遠く離れた場所にも、私を想ってくれる人がいること。
その夜、私は久しぶりに実家に電話をかけた。受話器から聞こえる母の声に、私は「ただいま」と言いたくなった。それは、きっとまだ帰れない、私だけの望郷の言葉だった。
故郷の香水 キートン @a_pan
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