1-4 神に捧ぐ市(後)
「いやはや、お嬢様は商売のなんたるかを分かっておられないと見受けられる」
商業ギルドに着いた私は、早速ギルド構成員からの洗礼にあっていた。
私の向かいに座っているのは、ギルドマスターのバセリオさんと新興商人のダルネスさん。
ダルネスさんは人が良さそうな微笑みの下で、明らかに私のことを見下している。
隣に座るティノはハラハラとした様子でこちらを窺い、ソファの後ろでシェラは……小さく舌打ちをした。
シェラの隣に立つハーゲンさんが鋭い視線を向けると、彼はわずかにたじろぐ様子を見せる。
大丈夫。この程度のことは想定内だ。
「お嬢様、お話を伺いましょう」
慇懃無礼な態度を向けてくるダルネスさんとは違い、バセリオさんは伯爵令嬢である私に一応の礼儀をみせてくれる。
「ありがとうございます。ティア・ディルーナ期間中の全体的な価格の引き下げをお願いしたい――これはもちろん私個人の意見ではありません。父であるリュメール伯爵からの嘆願でございます」
ひるんだら負け。
一言一言、しっかりと言葉を音にする。
視線はしっかりと相手を見て、だけど、睨んでいると思わせてはいけない。
「だから、なぜ価格を下げろなどというふざけたことを伯爵様は仰るのですか。数日後には祭が始まるんですよ? こんな土壇場で言うことではないでしょう」
選ぶ言葉こそ丁寧ではあるが、ダルネスさんの声色は苛ついている。
わかる、わかるよ。私も同じこと思った。
「順を追って説明します。まずはこちらが、ここ数年のティア・ディルーナの時期の流入人口の記録です。そして、こちらが同じ時期の店舗の売り上げを記録した帳簿になります。これを見て、何か気付くことはありませんか?」
父が私にしたように、私はバセリオさんとダルネスさんに問いかける。
ダルネスさんは形だけは帳簿に目を通す素振りを見せるけれど、多分きちんとは見ていないだろう。
一方で、バセリオさんは私が持ってきた帳簿にじっくりと目を通す。
「……お嬢様、そして伯爵様の言いたいことは分かりました」
少しの後、バセリオさんは帳簿を閉じてこちらを見据える。
皆まで言う必要もなく、ある程度こちらの言いたいことは察してくれたようだ。
「あの、僕、今日用事でこの辺を歩いてたら、旅の人が“ティア・ディルーナに来たことを後悔してる”“来年はもう来ない”って言ってるのを聞いちゃって……」
私の目配せに反応したティノが、おそるおそる口を開く。
――それはつい数時間前のこと。
ティノが港で用事を済ませていたところ、一人の男性がえらく落ち込んだ様子に見えたので思わず声をかけたという。
彼はリュメール領からは遠く離れたアルヴェーン侯爵領からの観光客だった。
水の御柱であるディルーナ様を信仰しており、幼い頃からティア・ディルーナに来ることを夢にみていたと話してくれたそうだ。
しかし、お金を貯めて、ようやく念願のティア・ディルーナに来ることができたと思ったのも束の間、祭の物価に彼は驚いた。
祭という特殊な環境下では、物価が高騰することはよくあること。
もちろん彼も、そこを考慮していなかったわけではなかった。
しかし、ここ数年でティア・ディルーナにおける物価の高騰は旅人の予想を遥かに超えていた。
移動にかかる費用や宿泊費は決して安くなく、帰路にかかる費用を差し引くと彼の財布には祭を満足に楽しむだけの余裕はないと肩を落としていたということだった。
「僕、なんだか可哀そうになっちゃって……」
「そんなことは個人の事情の範疇だろう。我々が価格を下げる理由にはならないと思いますが」
ティノの言葉を遮るように、ダルネスさんが声を発する。
そう、分かる。
観光客の彼に同情はするが、ダルネスさんの言う通り個人の事情の範疇にすぎない――それが、ティア・ディルーナという場でなければ。
「ダルネスさん。確か貴方は、三年前に移住してきたんでしたよね」
「そうですが、それが何か関係ありますか?」
「ダルネスさんは、ティア・ディルーナの本質が何であるかご存じですか?」
「神事でしょう? そのくらい知っています。まさか、お嬢様は私のことを余所者だと馬鹿にしているんですか? それは新興商人全体に対する侮辱ですよ?」
刺々しさを増す語気。
大人の男の人に強く言われるのは、怖い。
無意識に膝の上で組む手にぎゅっと力が入る。
それに気付いたのかどうかは分からないけれど、私をかばうようにティノが少しだけ身体を前に出してくれた。
後ろからはハーゲンさんが一歩にじり寄る音がする。
(しっかりしなきゃ)
ティノの背に守られているだけでは、任された仕事をやりきったとは言えない。
――とにかくひるむな。
出発前に父から言われた言葉を思い出す。
ゆっくりと息を吸って、数秒……細く呼気を吐き出す。
「……馬鹿になんて、していません。ただ、見ているものが違うと認識しております」
ダルネスさんが間違っているとは決して思わない。
単なる商いの場であれば、利益を追求する、それは至極当たり前のこと。
「商人の皆様にとってティア・ディルーナは大きな稼ぎを得られるチャンスの時なのでしょう。それを否定するつもりはありません。ですが、この地で生まれ育ってきた人や水の御柱を信仰する方々にとって、ティア・ディルーナは祈りの場なんです」
ディルーナ様に捧げる祈りは明るいものでなくてはならない。
水と感情を司るディルーナ様は、喜びと怒りの両面から世界に影響を与える。
彼の方に喜びで世界を満たしていただくことができるかどうか――。
それには私たちがどのような祈りを捧げるかが重要なのだ。
「はぁ……トゥレーナの住人に根付くその信仰心は一体なんなのでしょうね。信仰なんてただの虚飾でしかないでしょうに」
溜め息と共に吐き出された言葉に、思わず耳を疑った。
とてつもない暴言を吐かれた気がする。
ダルネスさんは絶句する私を見て、小馬鹿にするかのごとく鼻を鳴らす。
「トゥレーナの住人は皆当たり前のように水の御柱の存在を信じているようですが、神などいるわけがないではありませんか。まさかこの地を治める伯爵家のお嬢様が、そんなこともお分かりにならないのですか?」
どろりとしたものが腹の底に溜まるのを感じる。
私のことを馬鹿にするのは、不愉快だけれどまだ飲み込むことができる。
だけど、ディルーナ様を軽んじる発言はさすがに目に余るというもの。
「ダルネスさんは、開潮の儀を……、珊瑚宮殿が海の上に現れる様をご覧になったことはありますか?」
「もちろんありますとも。素晴らしい光景でした。客を集めるのに、あれ以上に出来の良い見世物はありません」
腹の底の泥がどんどん重く溜まっていく。
この人にとって、ティア・ディルーナはどこまでいっても金儲けの場でしかないのだということが嫌でも分かる。
唇が震えるのは、恐れからではない。
私達が大切にしてきたものを踏み荒らされる悔しさからだ。
「開潮の儀を観光の方々に公開しているのは、ディルーナ様の存在を沢山の方に知ってもらうためです。決して見世物にするためではありません。ディルーナ様の神秘を感じてもらうことで、彼の方への敬愛を深めていただきたいからです」
「そんなものに何の意味があるのでしょうね」
「人々の感謝や祈り、願い、そして楽しいという気持ちこそがディルーナ様へ捧げる供物となります。沢山の人が集まる祭に宿る力は計り知れません。だからこそ、悲しい思いをする人は限りなく減らさなくてはいけないんです」
「祈りで人々が守られるというのなら、なぜ飢える人がいるのですか? 人の生活を満たすことができるのは金銭以外にありえません」
「ですが、人の世が荒れる時には海も荒れ、人の世が栄華に満ちる時は海も安穏を保つというのは神殿にも記録が残っている事実です」
「古い記録なんて半分は与太話のようなものですよ。人の手でいくらでも書き換えられる。純粋なお嬢様によからぬ教えを吹き込むとは、神殿も随分と姑息な真似をするものですな」
ダルネスさんの考えは、現実的で、合理的で――商人らしいといえばそうなのだろう。
今のトゥレーナの賑わいが交易や商いによってもたらされていることは、紛れもない事実だ。
けれど、この地の歴史を振り返れば、海の災厄に幾度も晒されてきたこともまた事実。
その度に人々は祈りを捧げ、希望を手放さずに乗り越えてきた。
その心があったからこそ、今の賑わいも築かれているのに……。
「ダルネス殿、口が過ぎますよ」
私が反論するより先に口を開いたのは、バセリオさんだった。
「しかしバセリオ殿、値下げの要求というのはあんまりだと思いませんか? 神などという不確かな存在のために、なぜ私達が不利益を被らなくてはいけないのでしょう」
「信仰が根付くには相応の理由がある。与太話と切り捨ててよいものではありません」
威が備わった声は、たった一声で場を調停する。
ダルネスさんも、バセリオさんに楯突く気はないらしい。
納得しているという様子は一切感じられないが、それ以上何かを言うこともなく、足を組んで顔を背けた。
ダルネスさんが口を閉じたことを確認すると、バセリオさんは私に小さく頭を下げる。
「お嬢様が仰りたいことは、“祭における価格設定が限界に達している”ということでよろしいでしょうか?」
「はい。このままではティア・ディルーナはいずれ衰退します……いえ、もう衰退は始まっているんです。商機も、そして海の恵みも安寧も、そう遠くない未来に失われてしまう。リュメール伯爵はそれを懸念しています」
「あい分かりました。この件、ギルドマスターである私が責任をもってお預かりいたします」
バセリオさんは席を立ち、応接室の扉を開けて私達に退室を促す。
追い返すというわけではなく、これ以上私が攻撃されないようにという気遣いなのだろう。
部屋を出る間際、ダルネスさんを振り返ると忌々しいものを見るような目が私に向いていた。
父が領主の権限を使うことを避ける理由を肌で感じ、私は思わず身を縮こまらせる。
命令してしまえば、ダルネスさんのように納得しない層の不満が膨れ上がり、祭に影響を及ぼしかねない。
そう確信させるほどの強い感情がこめられた視線だった。
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