1-3 神に捧ぐ市(前)

「悪い、サフィラ。ちょっと嫌な頼まれごときいてくれるか?」

 

 昼過ぎ、仮眠をとって少しすっきりとした表情の父が声をかけてきた。

 私は物資の目録から顔を上げ、ドアから顔をのぞかせる父に向き合う。

 

「嫌な頼まれごとって、なに? 怖いんだけど……」

「商業ギルドに行って、祭期間中の価格調整を依頼してきてほしいんだ」

「価格調整? 下げるってこと? 何かあったの?」

 

 神妙な面持ちの父。

 それはそうだ。値下げを依頼する、なんて、穏やかではない。

 商売の本質は、売り上げをあげること。

 もちろん、商売はお金とお金のやりとりだけじゃなく、商品を通してそれぞれの文化を交わすこと、商談を通して心と心のやりとりをすることも醍醐味だと私は思っている。

 だけど、慈善でやっているわけではない以上、儲けを度外視するというのは商売の根幹を揺るがすことだ。

 しかも祭は三日後に始まる。

 こんな土壇場で言い出すことでは到底ないだろう。

 

「これを見てくれ」

 

 父が手に持っていた帳簿をこちらに差し出す。

 私がそれを受け取ると、早く見ろと言わんばかりに顎をしゃくる。

 一体なんだっていうの……?

 父の真意が読めないまま、私は帳簿に目を通していく。

 

「この帳簿って、去年のティア・ディルーナの?」

「そうだ。それ見てどう思う?」

「どうって……そうだなあ……」

 

 去年のティア・ディルーナを思い出しながら、書かれている数字を目で追う。

 そこで感じるひとつの違和感。

 ここ数年、ティア・ディルーナの時期にリュメール領を訪れる人数は年々増えていっていたはずだ。

 流入人口の数と比例するように、宿や飲食店の売り上げは上がっている。

 それなのに……。

 

「なんか、土産物とか屋台の売り上げが思ったより上がってないなって……思う」

「その通りだ」

 

 少しだけ表情を柔らかくした父に促され、商談室の革張りのソファに腰を下ろす。

 隣に座った父はぱらぱらと帳簿をめくりながら、ふぅ、と息を吐く。

 

「さっき外から戻ってきたティノに言われたんだ。旅の方が、ティア・ディルーナに来たことを後悔していると話していた……って」

 

 ティノはリュメール商会で下働きをしている少年だ。

 歳は私の四つ下で十三歳になる。

 主に商会のお使いや連絡係としてトゥレーナの町を走り回るのが彼の役割。

 子犬のように町を駆け回り、時には人の声、そして時には余計なトラブルを拾ってくることもしばしば……。

 そんなティノが今回拾ってきたという旅の方の声は、確かに聞き捨てならない。

 

「後悔って、どうして……?」

「その答えがこの帳簿だよ。人は来てる。なのに売り上げが上がらない。なんでだと思う?」

「買わない理由は、単純に買いたい物がなかったからってこともあるとは思うけど……」

「うん」

「遠方から来る観光の方は宿代や移動費で大金を払ってるはずだから……欲しい物があっても手が出せなかった、とか……」

 

 父は帳簿をテーブルに置くと、ぐぅっと身体を伸ばした。

 言葉はないが、きっと正解なのだろう。

 いつもかけている眼鏡をはずし、親指と人差し指で鼻筋をつまんでぐるぐると凝りをほぐしていく。

 

「今年のティア・ディルーナも沢山の人で賑わいそうだ。遠方からの旅人も多い。宿も食事も、それだけで出費がかさむ。宿と食事に払った後で、さらに高値の商品なんて買えるはずがない」

 

 両膝に肘をつき、組んだ両手に額をおしつける。

 祈りとも、懺悔ともとれる父の姿。

 思わずその背に手を伸ばしていた。

 ここ最近、やけに疲れた表情をしていると思っていたが、父に圧し掛かっていたのは実務的な忙しさだけではなかったというわけだ。

 

「このままじゃティア・ディルーナはいつか衰退する。それはだめだ。この地を訪れる人に楽しんでもらいたい。そして、“また来たい”と思ってもらいたいんだよ。この町を愛してくれる人を増やすために――それが結局、一番の利益になる」

 

 リュメール家は商人であると同時に、この地を守る領主であらなければならない。

 それは目先の利益にとらわれず、“領地の未来”のために短期の利益を手放す決断をする必要が時にはあるということ。

 父はソファに座り直し、姿勢を正す。

 つられて私の背筋も自然と伸びる。

 

「嫌なことを頼んで申し訳ない。本来なら俺が行くべきなのはわかっている。だけど、仮眠した分やらなきゃいけないことが山積みでなあ。カイトス辺境伯と打ち合わせもあるし……」

 

 商人として、そして領主として――。

 先を見据えるその姿勢に尊敬の念を抱いたところだというのに、この人は……。

 情けなく眉を下げ、両手を顔の前であわせてお願いのポーズをとる父からは、先ほどの威厳はもう感じられない。

 

「父さんの言いたいことは分かったけど……それって私に任せていいこと? お母様の耳に入ったら絶対怒られるよ」

「怒られるだろうなあ……でも、そっちは俺に任せればいいから。サフィラにしか頼めないんだ」

「……どうして?」

「この件に関しては領主家の力で抑えこむものじゃない。あくまで商人達の自己決定に委ねるべき問題だ。だが、俺が言えば命令になる。執政官が言っても指示になる。でもサフィラなら……お願いになる。領主家の娘とは言え、政治的な力があるわけではないからな」


 父が値下げを“強制”ではなく“自発”に委ねたいのは、商売における取引そのものが供物になるからだ。

 買う側は喜びを、売る側は誇りと感謝を――その陽の循環がディルーナ様に捧げる供物となる。

 けれど、強制された値下げからは不満や理不尽しか生まれない。

 だからこそ、商人達の心に委ねるしかないのだ。

 

「……わかった。父さんが私が良いって言うなら、きっとそれが良いんだよね」

「サフィラ~頼りになる娘で俺は嬉しいよ……! ご褒美に、ティーカップセットひとつなら買っていいぞ」

「ほんとに? 言ったからね? もうずっっっと買うの我慢してるんだから」

「いやだってお前、あんなにティーカップあって誰が使うんだよ……」

「観賞用」

「だったらちゃんと飾りなさい。箱に入ったままのカップが可哀想だ」

 

 軽口とは裏腹に、父から託された任務はとびきり重大だ。

 商人ギルドに価格引き下げの嘆願なんて、本音を言えば私には肩の荷が重い。重すぎる。

 だけど、父が信頼して任せてくれたと思うと、厄介だと思う反面、誇らしさもある。

 

「ギルドマスターのバセリオ殿は人徳者だ。トゥレーナ出身でもあるし、こちらの話も無下にはしないだろう。問題は新興商人の方だな」

「新しく理事になった方がいるんでしょ? トゥレーナに来て三年くらいなのに、あっという間に理事になったって」

「ダルネス殿だな。おそらく彼が真っ先に抵抗してくるんじゃないかと考えている」

「……手強い?」

「まあ、商機を見る目はあるんだろう。それを掴む力もある……やや強引に感じられるのは否めないが」

 

 父の言葉に、不安が押し寄せる。

 ただの貴族令嬢である私が商人達相手にどれだけうまく立ち回れるか甚だ疑問ではあるけれど、ディルーナ様に明るい祈りを届けるためにも失敗はできない。

 

「とにかくひるむな。お前は若い。しかも伯爵家の令嬢だ。それだけでも相手はとるに足らないと勝手に見誤ってくれる。それを逆手にとれ」

「自信はないけど……頑張る」

「ま、いざとなったらハーゲン殿に後ろから睨みをきかせてもらえばいいさ」

 

 父は別室にいる下働きのティノを呼びつけると、私に同行するよう指示を出した。

 ティノは旅の方の声を拾ってきた当事者ということもあるが、町の皆に可愛がられている子だ。

 何より“領民”という同じ立場にあるティノの声は、きっと人々の心を開いてくれるはず。

 父の中にはそんな期待があるんじゃないかと思う。


 


「じゃあ、行ってきます」


 父に見送られた私は、ティノ、シェラ、ハーゲンさんと共に港にあるギルド会館へと向かう。

 青嵐が悪戯に髪をさらい、祭を待つ町のざわめきの中へ踊るように消えていく。

 不安な気持ちを拭い去ることができないけれど――この先も、一日でも長く、この地の安寧が続いてほしい。

 靴の踵をひとつ踏み鳴らし、気合いを入れて、私は一歩を踏み出した。

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