防波堤の彼方に
雨宮 巴
防波堤の彼方に
海辺に立つと、灰色の防波堤がずらりと並んでいる。
それはまるで、形を持たない波を必死に押し返す巨大な壁だ。
波は毎日やってくる。穏やかな日もあれば、嵐のように荒れ狂う日もある。
防波堤は崩れかけながらも、ただそこに立ち続ける。
私にとっての希死念慮もまた、波のようなものだ。
不意に押し寄せては、足元をさらい、心を海の底へ引きずろうとする。
理由などなくても、突然に。
それは風景の一部のように、長い間、私のそばに在り続けてきた。
けれど同時に、私の中にも防波堤がある。
それは誰かの言葉だったり、過去に書き残した文章だったり、図書館で開いた一冊の本だったりする。
どれもコンクリートほど強固ではなく、ひびだらけで、しばしば波に呑まれそうになる。
それでも繰り返し打ち寄せる波の前で、かろうじて私を岸にとどめてきた。
防波堤の表面に残るひびは、決して醜くはない。
そこに海の塩が結晶して白く残り、光を受けるときらめくこともある。
私の心の傷も同じだと思う。
消えることはなくても、その跡があるからこそ見える風景がある。
もし希死念慮を「消す」ことができないのだとしたら、私はそれを抱えたままでも生きていく方法を探したい。
波を止めるのではなく、防波堤を少しずつ補修しながら、崩れないように保ち続けること。
そうしているうちに、波の音に耳を澄ませる余裕が生まれるかもしれない。
ざわめきの向こうに、かすかな鳥の声や、潮風の匂いを感じられる日が来るかもしれない。
コンクリートの塊が海辺で黙って立ち続けるように、私もまた今日をやり過ごす。
大きなことはできなくても、防波堤の一部としてここに立つこと。
その姿を見て、誰かが「まだ踏ん張れる」と思ってくれるなら、私の存在にも意味があるのかもしれない。
波はこれからも押し寄せる。
けれど、防波堤はそのたびに立ち向かう。
そして私は、その防波堤に寄り添う一人として、静かに生き続けていきたい。
防波堤の彼方に 雨宮 巴 @amemiya_tomoe
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