『魔導書』編 『焼キ尽クス書』

 液体=インクが無限に出る特殊なペンを縦横無尽に走らせる。書くことしか使い道が無いこの『魔具』から溢れ、意思を持った液体が手の甲に刺さり、尚且つ紋章を作る。

 出来上がった『魔導書』には、この紋章が入るのだろう――

 気に入らない。

 全くもって気に入らない――

 過去の私を思い出せば、今の状況は非常に恵まれている。いや、奇跡に近いと言っていい。

 関係する人間から殴られ、蹴られ、引きずられ、犯され、四肢を切られ、芋虫の様な姿にさせられ、あとは畜生に喰われる運命だった。

 汚い存在である私を拾ってくれた――

 だから、私はこの『魔具』を止めることなく動かし続けなければならない。

 救われた事を忘れない、その行為でもあるから――

 後頭部が痺れる。

 少し疲れたのかもしれない。

 でも、手を止めることは出来ない。



 長い時間、動かし続けたので右手の皮膚が擦れて肉が見える。血は出ない。どういう仕組みに変えられてしまったのか分からないが、痛みが無く、紙が汚れなければ問題は無い。

 視線は白紙のページに固定され、私の知らない文字で内容が書かれていく。

 失われた文字、これから生まれる文字を様々な法則で組み入られ、この『魔導書』に書かれている内容を簡単に解読出来ない様にしている。

 これは私の意思ではない。『魔具』と『魔導書』がしている。しかし、執筆している私には内容が分かる。これらの情報を独占することが出来れば、その存在が世界を簡単に掌握出来るだけの力を得られる。その代償として、新たな脅威に自身が晒されることにもなる。

 諸刃の剣である以上、相応の覚悟が必要。

 私なら――どうする?

 死角の端で極彩色が流れる。どこかの景色なのか、それとも、この空間を監視する存在が周囲を移動しているだけなのか――

 まあ、私には関係無いか――



 あの少女――が、来ない。

 身体の感覚が曖昧―― 

 見えているのは文字と、傷の再生を繰り返す手。後頭部に感じていた痺れも無い。

 ――あれ? 何だろう、視界が徐々に狭くなって――




 甲高い鳴き声が空間に響く。


「どうしたの?」

 少女の声に反応した、背が非常に高く、大きな羽根を持った虫が悲しそうな声を出す。

 普通の人間なら気が狂ってしまう音に、少女は笑みを浮かべる。


「完成したみたいだね……」


 虫が身体をゆっくりと動かし、執筆者の身体を丸めていく。骨が折れる音、肉が潰れる音が小さく響き、『魔導書』に堕とされる。

 白紙部分、白い海に落ちたことで『魔導書』は完成となった。

 ゆっくりと閉じられていく書。完全に閉じられた瞬間、凄まじい音が生まれた。見た目以上の重量で存在することになった『魔導書』

 表紙の中では溶岩が絶えず流れており、その中で熱せられている白い翼を持つ、美しい魔物が醜く焼けただれ、苦悶の声を背表紙から上げている。

 虫がゆっくりと『魔導書』を持ち上げ、しばらくして手を離した。

 空間を突き破り、何処かに消えた。


「綺麗な『魔導書』だね。名前は……『焼キ尽クス書』かしら……」

 小さな笑い声が続く。


「誰が手に取ってくれるのかしら……。想像出来ないけど、素敵な世界に変えて欲しいわ」


 少女の言葉に反応する様に大きな虫が頷く。

 空間が消失した。

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