第9話 乳母マリーが語る、アレクセイ様の過去と心の深さ


王城から戻った日々は、特に何事もなく穏やかに過ぎていった。


相変わらず、アレクセイ様は食事の時間も共にしてくださるし、眠るまでそばにいてくれる。怖いというより、その静かな存在感に心が落ち着く。しかし――それ以上に、私とアレクセイ様との距離は、なかなか縮まらない。




欲張りなのは分かっている。けれど、せっかく女神様から与えられた出会いなのに、向こうからのアクションは何もないのだ。


――これは、私から動かなければ。




そう思った午後、館の静かな一角で、私はそっとアレクセイ様の乳母であるマリーに声をかけた。




「マリー様……あの、アレクセイ様のことを、少しお聞きしてもよろしいでしょうか……?」




マリーは静かに目を細め、穏やかに頷く。


――まだ少し警戒されている気配がある。でも、嫌がってはいないようだ。




「分かりました。私の知っている範囲でお話ししましょう」




私は小さく頷いた。




「アレクセイ様には……奥様や恋人はいらっしゃらないのですか?」




マリーは深く息をつき、落ち着いた口調で語り始めた。




「ええ、いらっしゃいません。若い頃、婚約者はいたのですが……恋愛感情というより、家の都合によるものでした。アレクセイ様は常に誠実に、相手を大切にされていました」




耳を澄ます。冷徹で孤高に見える公爵様が、そんな面を持っていたなんて――




「しかし、婚約者の女性からすれば、アレクセイ様は真面目すぎて堅苦しく、冷たい人に映ったそうです。そして十八歳の頃、結婚を考え始めた矢先、その女性は恋人を作り、駆け落ちしてしまったのです」




思わず息を呑む。


――その出来事が、今の冷静さや孤高さの一因なのかもしれない。




「それ以来、アレクセイ様は女性に対して慎重になられました。遊びで関係を持つことはあったそうですが、心を揺さぶられる相手には、出会わなかったようです」




私は小さく頷く。


――それでも、目の前にいる公爵様は、こんなにも優しい……




マリーは私の様子をじっと見守り、柔らかく微笑んだ。




「ミレイ様……あなたは、アレクセイ様にご興味がおありのようですね」




その言葉に、胸が高鳴る。


私は少し頬を赤らめ、でも正直に答えた。




「……はい、気になっております」




マリーはゆっくり頷き、私の肩にそっと触れた。


――彼女は、応援してくれている。アレクセイ様に幸せになってほしいと心から願い、私の気持ちにも寄り添ってくれている。


その温かさに、胸の奥がじんわりと満たされる。




午後の館の一角。


そっと息を整えながら、私はアレクセイ様のことを思った。




――もっと知りたい。


――そして、少しでも彼の心に近づけるなら……




胸の奥に、静かで穏やかな期待が灯る――そんな時間だった。






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