第16話 それは不浄物ではありません

セリナの暴走を「筆頭秘書官」という名の首輪で一時的に鎮めることに成功し、束の間の平和(という名の猶予期間)を手に入れたディオ。

しかし、彼の貞操防衛戦線に休息はない。

次なる脅威は、彼を唯一神と崇拝し、その純粋さ故に何をしでかすか予測不能な聖女、プリム・リリアーナだ。


「さて、次はプリムか…」


現実世界。

ディオはいつものようにゲーミングチェアに深く身を沈め、もはや日課となった攻略サイトを開いていた。

戦々恐々としながら「プリム・リリアーナ」のページをクリックする。

そこに表示されたのは、「バッドエンド4:聖骸布のエデン」という、不吉極まりない文字列だった。


詳細を開くと、血の気が引くようなテキストが画面を埋め尽くす。


『通称:プリム聖骸エンド。トリガー条件:ディオが『神に相応しくない』とプリムが判断する、俗な欲望や娯楽に興味を示した場合に蓄積される『不浄ゲージ』が最大値に達することで強制発生。ゲージの上昇要因は多岐にわたり、恋愛小説を読む、ギャンブルに興じる、過度な飲酒などが確認されている。イベント発生後、プリムは『ディオ様の魂は永遠に清らかであるべきです』という思想のもと、ディオの肉体を聖なる炎で浄化(物理的に殺害)し、その遺骨を聖遺物として大聖堂に祀り、永遠に祈りを捧げ続ける』


参考CGには、ガラスケースに収められた真っ白な骸骨(おそらくディオのもの)に、恍惚の表情で祈りを捧げるプリムの姿があった。


「肉体滅ぼして魂だけ救うとか、どんな発想だよ!それただの殺人だからな!?」


モニターの前で絶叫し、頭を掻きむしる。

掲示板には、プレイヤーたちの断末魔が並んでいた。


『酒場で一杯飲んだだけで不浄ゲージ上がったんだが?』

『恋愛小説読んでたら部屋ごと浄化されます』

『骨にされて祈られるとかどんなご褒美だよ(白目)』

『聖女様、清らかすぎて逆に怖い』


とにかく、彼女の前では聖人君子を演じ続けなければならない。

俗物的なものは全て排除する必要がある。

彼はその決意を胸に、再び深い眠りへと落ちていった。






異世界で目覚めたディオは、すぐさま行動を開始した。

彼の脳裏には、先ほど見た「聖骸エンド」の恐怖が焼き付いている。

目的地は自らの私室に併設された広大な書斎だ。

ベルンハルト家の歴代当主が集めた、ありとあらゆるジャンルの書物が壁一面の本棚を埋め尽くしている。


「さて、検閲開始だ」


巨大な麻袋をいくつか用意すると、ディオは額に汗を浮かべながら、それらの「不浄物」を本棚から抜き取り、次々と袋に放り込んでいった。


「『恋のメロディ』…アウト!」

「『ウホ。変態男爵の秘め事』…ダブルでアウト!」

「『熱血!男たちの騎士道』…これはセーフか?いや、暴力描写が不浄判定されるかもしれん、アウト!」


一冊一冊を手に取り、少しでも俗っぽい要素があれば即座に処分対象とする。

その作業は、まるで爆弾処理のようだった。


全ての「不浄物」を袋に詰め込み終え、これをどうやって屋敷の外に運び出して処分するかを考えていた、まさにその時だった。


――キィ…


背後で、音もなく書斎の扉が開いた。

ディオがぎくりとして振り返ると、そこには純白の衣服に身を包んだプリムがいつもの表情で佇んでいた。

彼女の瞳は、ディオが抱える麻袋と、そこから僅かにはみ出している本の背表紙をじっと見つめている。

その背表紙には、『ポンコツ騎士と囚われの姫君、愛の逃避行』という、どう考えてもアウトなタイトルが金文字で刻まれていた。


(まずい、見られた!)


ディオの背中に冷たい汗が流れる。

プリムはゆっくりとディオに歩み寄ると、その麻袋の中身を一瞥した。

そして、まるで汚物を見るかのような冷たい視線をディオに向けた。






「ディオ様」


プリムの声は絶対零度の静けさを湛えていた。


「神聖なる貴方様が、何故このような…俗悪で、不浄な物語の数々に触れておいでなのですか?」

「い、いや、これはだな……」

「これらの穢れた文字は貴方様の清らかなる御魂を汚し、蝕む毒に他なりません」


彼女の言葉と共に、その白い手のひらの上にゆらりと聖なる浄化の炎が灯った。

全てを焼き尽くし、塵すら残さない神聖な炎。

しかし今のディオにとって、それは自らの命を焼き尽くす地獄の業火にしか見えなかった。

炎はプリムの感情に呼応するかのように、その勢いを増していく。


「私が、貴方様を蝕む全ての穢れを今ここで浄化いたします」


彼女が炎を宿した手を、麻袋へと振りかざそうとした、その瞬間。


「待てッ!」


ディオは、咄嗟に魂からの叫びを上げていた。

プリムの動きがぴたりと止まる。


彼はこの絶体絶命の状況を打開するため、脳をフル回転させ、欺くための詭弁を捻り出す。


「プリム、君は勘違いをしている」

「…勘違い、ですか?」

「そうだ。これは穢れなどではない。これは…民を知るための重要な『資料』なのだ」


ディオは出来る限り荘厳で慈愛に満ちた表情を作り、ゆっくりと言葉を続けた。


「私が導くべき民は、決して清らかな者ばかりではない。彼らは時に欲望に溺れ、愛に悩み、くだらない物語に心を慰められる…か弱き子羊たちだ。彼らを真に理解し、正しき道へと導くためには、まず彼らがどのような文化を持ち、どのような価値観の中で生きているのかを為政者である私が知らねばならない。この本はそのための教科書なのだ」


我ながら無理がある、と内心冷や汗をかきながらも、ディオは自信に満ちた態度を崩さなかった。


ディオのあまりにもそれらしく、そして深遠に聞こえる理屈に、プリムは一瞬、虚を突かれたように目を瞬かせた。

彼女の手に宿っていた浄化の炎がふっと消える。

そして、その瞳には、先ほどまでの軽蔑の色に代わって、熱烈な尊敬と感動の光が宿り始めた。


「な、なんと…!このプリム、あまりに浅慮でございました…!」

「わかってくれたか、プリム」

「はい!ディオ様はただ娯楽のためにこのような俗物に触れておられたのではなく、我ら愚かなる民を救うという、あまりにも気高き目的のために、あえてその御身を汚す覚悟で…!」


彼女はディオの深遠な考えを理解できなかった自らの未熟さを恥じ、その場で深く頭を垂れた。

ディオの神格は、彼女の中でまた一段階、引き上げられたのだった。





なんとか最大の危機を乗り越えたディオは、その夜、心身の疲労を癒すため、ベルンハルト邸が誇る広大な大浴場でゆったりと湯船に浸かっていた。

完璧な防音と防犯魔法がかけられているこの場所だけが、今の彼の唯一の安息の地だった。


「ふう…やっと一息つける…」


しかし、その平和は唐突に破られた。


ドッゴォォン!!


湯気に霞む浴場の扉が、轟音と共に内側から弾け飛んだのだ。

そこに立っていたのは、湯上がりで肌を上気させ、一枚の薄いバスローブだけを纏ったプリムの姿だった。

彼女の手には、なぜか巨大な木の樽が軽々と抱えられている。


「ディオ様♡」


彼女は恍惚とした、妖しい表情で微笑んでいた。


「日中、貴方様の御身に付着してしまった俗世の穢れを、このプリムが特別に祝詞を捧げた聖水にて、隅々まで洗い流しに参りました」


彼女が掲げた樽からは、甘く、どこか脳を痺れさせるような香りが漂ってくる。

ディオの脳裏に、現実世界で見た『プリムは媚薬(という名の聖水)を大量に所有している』という情報がフラッシュバックした。


聖水(物理)で浄化(物理)されるか、聖水(媚薬)で浄化(意味深)されるかの二択。

どちらもバッドエンドだ。


「……ッ!」


ディオは考えるよりも早く、転移魔法ショート・ワープを発動。

全裸のまま、一瞬で脱衣所へと避難し、間一髪で貞操と尊厳を守り抜いたのだった。


脱衣所で濡れたまま服を着る彼の耳に、浴場から聞こえるプリムの悲痛な叫びが、いつまでも木霊していた。


「ああ、ディオ様!どこへお隠れに!穢れが染みついてしまいますよ!ディオ様ーーーー!」

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