第15話 その愛は執務室に
前夜の一件で、ディオは対症療法ではいずれ限界が来ることを痛感していた。
セリナの有り余るエネルギー、卓越した能力、そして自分に向けられた強烈な独占欲。
これらを放置しておくのは時限爆弾を抱えているようなものだ。
(彼女の情熱を、俺の貞操以外のもっと建設的な何かに向けさせなければ…!)
そう考えた彼は、現実世界に戻るや否や、再び、攻略サイトへとアクセスした。
藁にもすがる思いで開いたのは、「セリナの暴走を止める方法考察」というスレッドだった。
『セリナ様、マジでどうすりゃいいんだ?』
『わかる。俺は庭で花を愛でてたら「その花はどこの女に捧げるのですか?」って真顔で聞かれて危なかった』
『恋愛脳にさせたら終わりだ。あの人、愛が重すぎて物理的に潰しに来る』
『じゃあどうすんだよ!』
『仕事を与えまくれ』
一つの書き込みが、ディオの目に留まった。
『セリナは根っからの支配者気質で完璧主義者。その能力はガチ。恋愛脳にさせるより、むしろ大量の仕事を与えて領地運営に没頭させた方が安定する。ディオへの忠誠心が仕事へのモチベーションに変換されるから、領地は豊かになるし、主人公は安全になるしで一石二鳥』
『その手があったか!ヤンデレをワーカーホリックにするのか…』
これだ、と彼は膝を打った。
セリナを自分の貞操を狙う脅威から、領地を発展させるための有能なパートナーへと変える。
これ以上の策はない。
異世界に戻ったディオは、計画を実行に移すべく、朝一番でセリナを自らの執務室へと呼び出した。
「ディオ様、朝早くからお呼び立てとは、どのようなご用件でしょうか」
執務室に現れたセリナは、ディオに呼び出されたという事実に隠しきれない喜びで頬を上気させ、期待に満ちた瞳を彼に向けている。
「もしや、昨夜のお紅茶がお口に合いませんでしたでしょうか…?」
「いや、それとは別の話だ」
ディオはそんな彼女に対し、あえて厳粛な領主としての顔を見せた。
彼は執務机の上に山と積まれた書類の束を顎で示す。
それらはベルンハルト侯爵領の今後数年間の運命を左右する、税務改革案、大規模な治水工事の計画書、近隣領地との新たな交易協定に関する草案など、外部には決して漏らせない重要機密書類の数々だった。
「これは…領内の最重要機密書類?」
セリナがその重要性を理解し、息を呑んだのを確認してからディオはゆっくりと口を開いた。
「セリナ・フォン・クライネルト。今日この時をもって、君を私の『筆頭秘書官』に正式に任命する」
「…え?」
セリナは驚きにサファイアのような瞳を大きく見開いた。
「ひ、筆頭秘書官、ですか…?わたくしが、ですか?ですが、そのような大役、他家の、しかも女であるわたくしには……」
「適任者は君しかいない」
ディオは構わず、彼女の動揺を見透かすように言葉を続けた。
「君の過去については、我が家の諜報網を使って調べさせてもらった。君が、病弱だったクライネルト公爵に代わり、実質的にあの広大な領地の運営を一人で差配していた時期があったことを知っている」
「それは…」
「そして、君の父親や、あの愚かな元婚約者よりも、君の方が遥かに為政者として有能であることも私は知っている」
彼は重厚な執務机を回り込み、セリナの目の前に立つとその両肩にそっと手を置いた。
「このベルンハルト領は広大だ。私一人の力で全ての民を幸福に導き、完璧に治めるには限界がある。私には君の卓越した知性と、誰にも真似のできない精密な判断力が必要なんだ。セリナ、私には君が必要だ」
『私には君が必要だ』
その言葉は、呪文のようにセリナの心の奥深くまで浸透していった。
誰にも認められなかった自らの能力。
父親にさえ疎まれ、王子には裏切られ、ただ美しいだけの飾り人形であることを強要され続けてきた彼女の半生。
その全てを肯定し、渇望していた言葉を、今、最も敬愛する人物から与えられたのだ。
セリナの大きな瞳から、一筋の透明な涙がこぼれ落ち、白い頬を伝った。
しかし、その表情に悲しみはなく、魂が救済されたかのような至上の喜びに打ち震えていた。
「っ!」
彼女は感極まった様子でその場で深々と膝を折り、ディオの手を取って額に押し当てた。
「はい、ディオ様…!このセリナ、この身命を賭して、ディオ様の唯一無二の剣となり、盾となり、そして貴方様が統べるこの世界の礎となってご覧にいれます!」
「頼む」
顔を上げた彼女の瞳には、もはや狂信的とすらいえるほどの強烈な輝きが宿っていた。
彼女にとって、ディオの筆頭秘書官になるということは他の誰でもない自分が彼の「一番」の存在になることと同義だったのだ。
そして、セリナは文字通り生まれ変わったかのように働き始めた。
ディオは彼女に、自らの執務室の隣にある日当たりの良い広い部屋を専用の執務室として与えた。
セリナはその部屋にほとんど籠りきりになり、驚異的な集中力で膨大な書類の山と格闘し始めた。
持ち前の完璧主義と超人的な事務処理能力は、ベルンハルト領の行政機構に革命をもたらす。
「ディオ様、数年来停滞しておりました北部の治水計画ですが、資材の調達ルートと人員配置を見直しました。この修正案であれば、工期は半分、予算は三割削減できます」
「…素晴らしいな、セリナ」
「全てはディオ様のお役に立つためです」
複雑に絡み合っていた税制は明瞭かつ公平なものに再編され、領民からの陳情書の一枚一枚にまで目を通し、的確な指示を出す彼女の働きによって、ベルンハルト領の行政はかつてないほど円滑かつ効率的に回り始めた。
そして、ディオの身辺にも束の間の平和が訪れた。
日中、執務室に籠っている彼女と顔を合わせる機会は減った。
ディオは自分の計画が完璧に成功したと信じ、心から安堵していた。
しかし、セリナの歪んだ愛情は消え去ったわけではなかった。
ディオの知らないところで、むしろ、それはより深く、より静かに、そしてより巨大な形へと変質し、熟成されていたのだ。
彼女はディオから与えられた専用の執務室を自分だけの聖域、ディオを崇めるための礼拝堂へと少しずつ改造していた。
ある日のこと、セリナは神妙な面持ちでディオに願い出た。
「ディオ様、一つ、お願いがございます」
「なんだ?仕事に必要なものなら用意させるが」
「執務に集中しておりますと、ふと、貴方様のお顔を拝見したくなるのです。そうすると、いてもたってもいられなくなり、集中力が削がれてしまいます」
「……それで?」
「つきましては、貴方様の肖像画をわたくしの執務室に飾る許可をいただけないでしょうか。そうすれば、いつでも貴方様のお顔を拝見でき、より一層仕事に励むことができますゆえ」
(…なんだかヤバい気もするが顔を合わせずに済むのなら)
「わかった、許可しよう」
壁の中央には、こうして手に入れたディオの巨大な肖像画が荘厳に掲げられた。
彼女は仕事の合間に、ふと手を止めてはその肖像画をうっとりと見上げ、まるでそこに本物のディオがいるかのように甘い声で話しかけるのを日課としていた。
「ディオ様、ご覧ください。本日の税収に関する最終報告書です。私が精査し、不正の可能性があった徴税官は三名、すでに解雇の手続きを取りました。お褒めいただけますでしょうか?」
「ディオ様、次の交易協定ですが、A案よりもB案の方が、長期的には我がベルンハルト領に莫大な利益をもたらすと存じます。私のこの判断は、ディオ様のご意思に沿えておりますでしょうか」
そして、夜。
全ての仕事を終え、使用人たちが寝静まった深夜、彼女は執務室の扉に内側から鍵をかけると、肖像画の前に設えた小さな祭壇に蝋燭を灯し、その前に跪いて祈りを捧げるのだ。
「ああ、我らが至高の主、ディオ様。今日も一日、貴方様のお役に立てたことを、このセリナ、心よりの幸福と感じております。この私がいる限り、貴方様の手を煩わせるいかなる些事も、貴方様のご威光を汚す愚かな者共も全て排除してご覧にいれます。貴方様はただ、その玉座にて安らかにお休みくださいませ。この世界は、私が貴方様のために、完璧で美しく、管理された楽園にしてみせますから…」
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