初恋論    4/6

「好きな人ができた?」

 狼狽しなかったのは我ながら偉いと思います。

 近頃すっかり毎晩に近く鍵をそっと閉めていることを関知しているわけではないらしい母が続けました。

「ごめんね、最近、大人っぽい表情をするから」

 大人っぽいとは何でしょう。たしかに、この痛みを知るのと知らないのとでは、雲泥の差がある気はしますが。

「ない?ないならいいの」

 完全に恐る恐ると言ったその対応に、とりあえず否定しておくことにしました。親戚の中でも歴代屈指の恋愛体質と言われた母のこと、自分で実績がある以上、余計に私を心配するのでしょう。確かに私は今思春期で、何を隠そう、初恋に溺れていました。

 実際にあれ以降、直哉に呼ばれる夢の中で、あるいは私が呼び出す幻の中で、突発的にとはいえ何度も、死んでもいいと本気で思っているので、血の恐ろしさに苦笑するほかはありません。

 ただ、母は結局は恋を果たしていますし、母が生まれている以上歴代の方々も何らかの形で病を違った形に昇華させているのですから、一時身に入れた毒はどこかのタイミングできちんと栄養に転じてその心身を健やかにしているようでした。

 けれど私の場合、それは望むべくもありません。どれほどこの恋を消化し一つになりたくとも、それが叶わないことを知っていました。初めから私は、毒を栄養にしようとすることを諦めていました。吐き出すことも溶かすことも諦めて、ただ体中を何周も巡っているのを、発熱しながら感じます。ましてや私が口に入れたのは、この世で最も甘くて美しい凶悪な猛毒でした。何度でも患い直して、深く深く蝕まれるだけ蝕まれて、自己完結した病のその激しさは却って、誰にも知られないうちに静かに群を抜いていくようです。


 毎晩毎晩夢幻の中で、肌すら超えて直哉と自分を攪拌しているものですから、私の頭は徐々に霞がかります。視覚に、聴覚に、触覚に、嗅覚に、味覚に、ごくわずかずつ、直哉が混じるのです。

 例えば授業中、ノートをめくっても紙の白さに、うっすらとした罫線の青に、じわりと直哉の首筋が浮かび上がります。さらさらとしたその触感が指の表面をくすぐると、直哉の歯や舌に、熱い息に包まれた感覚がふっとよぎります。感覚が近いかどうか、似ているかどうかは関係がありません。似ていなければ似ていないで、ああ、直哉に似ていないなと思いますし、似ていれば似ているで、ああ、直哉みたいだと思います。そこにはびこる違いの一つ一つすら、直哉で説明しようとします。直哉に似ているような似ていないようなノートに、似ても似つかない水性のインクボールペンでメモを取ろうとすると、しかしそのグリップの吸い付く感触は少しばかり似ているような気がして変な力がこもり、そのまま白と青の何も書かれていない紙に押し当て、その先端が紙をわずかずつひっかくのを、インクがにじみ出てゆっくりとしみこんでいくのを、ただ享受します。隅の日付を書く欄の月の部分にひと筆で6と書き入れ、ペンを持ち上げると、ぴちゃり、とインクが名残惜し気にノートから引き揚げられる音がわずかに聞こえます。これはどことなく、あの指の唾液を啄んだ直哉の唇の立てた音に近い感じがしました。

 周囲から見れば私の様子に何も変わりはありませんが、私自身の認識や感覚の内訳はこんなものでした。これが日を追うごと鋭敏に綿密になっていくのです。恋をすると、相手のことしか考えられなくなるとよく言いますが、どうも私は感覚の一切合切を直哉に奪われつつありました。妙に要領がいいのか、恋愛体質に向いている性分をも持ち合わせているのか、直哉のことしか考えられないというよりは、すべてのことが直哉のことになってしまう都合のいい状態です。

 すなわち、教師の要領を得ない説明の、どこがどう繋がりが悪く、どの言葉選びが間違いで、誤解を招き、教師自身が単純な勘違いをしているのか、私の悟るそのすべてが、直哉が授業を受けてどうそれをかみ砕いているかにつながります。盗み見るその表情が、案外容赦なく、あるいは子供らしくムッと眉をしかめるのと、教師の言っていることを同期させて、直哉の納得しえない部分を割り出す作業はとても楽しいです。直哉はそれなりに優秀な方ですから、直哉が理解しづらいと思えば大抵、他の生徒にも混乱が生じているものです。クラスの大多数がいまいちわかっていなければ、教師もそれに気づきます。そういうタイミングで、敢えていつも以上に平然としていると、救われたと言わんばかりに私に問題を振ってくることがあります。解くとどう導き出したかを問われるので、そうした時には、直哉が引っ掛かったであろう所をわざとかすめて、あくまで私自身の思考の回路を説明しているような体で、間接的に教師の説明を修正します。他の人間の混乱の分は知ったことではありません。そんな義理もありませんので。


 そうして私は、直哉のためになります。自分と直哉をかき混ぜて境目を曖昧にしたのを逆手にとって、直哉に自分を流し込みます。それをしていて私の勉学に何の差障りがあるはずもありません。私が直哉で、すべてが直哉で、直哉も私になってしまったのなら、直哉に尽くすことは、すべてに尽くして、それを悦んでいられるということでした。

 無遠慮にべたべたと手垢をつける罪悪感と、触れても感じても足らない飢餓感にどれだけ苛まれようと、私はひとまず、その体質と病を抱えたまま生きることに成功していました。熱はただただ上がるばかりで、だるさも苦しさもありますが、ほとんど癖のようにして五感を研ぎ澄まして摂取するその毒は、回れば回るほど甘くて仕方がありません。

 昼間のうちに毒を喰らって、そのいくつかを直哉の栄養にして勝手に与え、夜には残った毒が心臓に達して夢か幻の中で直哉になって訪れるのを待ちます。

「助けて」

いつも彼はそう言います。泣きながら、あるいは微笑みながら、訴えます。

「直哉」

呼び掛けるたび何度でも更新されてゆく快楽にこれ以上ないほど溺れながら、最後には、ああ、やっぱり今死にたいと思って、偏執にまみれた一日を手放すのです。

 

 移行期間もいよいよ終わろうかと言う頃合いで、直哉は漸く夏服になりました。半袖のワイシャツにスラックスの直哉は、本来の腰の位置が露になっています。いつ見ても皺ひとつないワイシャツの袖は広く、そこから伸びる剥き出しの白い長い腕は錯視によって常以上に細く見えてしまっていました。運動部だけあって多少鍛えられてはいるはずですが、もともと骨自体が細い傾向にあるのが強調されてしまった格好で、何より本人が一番そこを気にしているらしく、時折神経質に二の腕をさするのが癖になってきているようです。


 暑苦しい詰襟を、それでもなかなか脱ごうとしなかったのは、やはり日差しを気にしてのことなのでしょう。窓際の列の直哉は最近では少しでも日が照るとカーテンを閉め、授業が始まると、白い襟の照り返しを受けたのか、或いは気温に煽られたのか、ほのかに火照ってしまった頬を不貞腐れたように俯いて隠します。髪がやや伸びてきていました。

 相変わらず周囲の人間に愛想よく接していますが、そうでない時の彼には苛立ちや神経質さが子供っぽく見え隠れするようになり、しかしそれが私にはより一層の彩と慕わしさを添えたように思われて、ますます直哉を見つめ貪るようになりました。こうまで来ると中毒、あるいは依存症と言ってもいいかもしれません。

 あれ以降体育は屋内に移行しており、しばらくは夕日もすぐに傾いていたので心配はなかったのですが、いずれそうも言っていられなくなるでしょう。梅雨に入る前に、また火傷をしそうでした。


 ところが、半袖になって一週間ほど経った頃から、直哉の様子は変わりました。

 窓から差し込む日光に過敏でなくなりました。梅雨にもまだ入らず日差しは強くなる一方なのに、カーテンも、他の生徒が眩しそうにするので閉めに行くのがほとんどです。右肩上がりの湿度と気温の中、少し汗ばんでも気が付くとすぐにそれはすっきりと引いていて、肌は以前よりむしろ一層清潔に荒れの一つもなく、白々としていました。身だしなみはおろか、態度さえも涼やかなもので、目許には凛とした円い落ち着きを湛えてさえいるのです。

 そんな直哉は冗談のように綺麗で、それでいて私は、全然つながることができません。

 直哉がどうしてそうなったのか、そもそもどうなっているのかわからないからです。私の知らない何かが、私の知らないうちに発生して、それが直哉をこういう風にさせていました。

 先生が留守にする時間帯の保健室で利用者記録を漁ってみましたが、二週間ほど前に私が書いた三時間目の記録以降、直哉は一度も保健室には来ていないようでした。あの体質にこの気候と来て日焼けの一つもしないのはいっそ不自然でしたが、日焼け止めの類を塗っているところも見たことがありません。

 やはり腑に落ちません。相変わらず接点自体はありますが、流石に日焼けの話を突然持ち出して不自然にならない文脈は思い浮かびません。そもそも隠していたかったことでしょうから、直哉の方から切り出すならまだしも、私から掘り返すのは筋違いであるという気もします。

 利用者記録を元に戻してなんとなく近場にあった椅子に腰かけると、いつの間にか溜めていた息がやたらに重く、しばらく立ち上がるのが億劫でした。早く梅雨になればいいのに。なぜかそんなことを思いもしました。


 現実とどんどん乖離していく夢幻の直哉をただ噛みしめることしかできないまま、数日が経過しました。

 その日は午前授業で、部活もなかった私はすぐに帰路につきました。湿度と日照りが殊更にひどい日でした。こんな日は、直哉はまた火傷して、苦しんでいてもおかしくないはずです。

 私は一体直哉の何を見落としているのでしょうか。

 あまりに手持無沙汰なので、本でも読むつもりで入る店を探しました。学校からは市街地が近く、喫茶店や洋食屋、甘味処など、放課後寄るのにちょうどよい場所が多くありました。とはいえそれほど規模が大きいわけではありませんし、店の質にも幅がありますから、人気の店は限られます。そうしたところは学校の人間と顔を合わせやすくて煩わしく、あえて避けていると、賑わいから少し逃れた通りに、聞いたこともない喫茶店がありました。

 やや歴史は長そうですが、小綺麗な雰囲気もあって、また純喫茶と看板にあるあたり、高校生が入りそうな雰囲気ではありません。中に入ってみると、やはり学生はいませんが、社会人の客が多く、満席でした。窓がなくて日光の入らない店内はひんやりとしていて、それだけで気分が少しくつろいでしまいます。

 店の人にしばらく待つよう言われたので、手近に置いてあったメニューに何となく目を通します。六月限定で、雨の日にはいくらか値下げするサービスがあるようでした。傘の貸し出しも行っているあたり、ここの店は雨になると少々優しくなるらしく、それがなんだか楽しげで、梅雨がまた待ち遠しくなりました。当然のようにそのまま直哉を想います。

 梅雨になったら雨雲の向こうに太陽は隠れて、直哉の肌はより白くなって、雨が降ればこの店は少しばかりおまけをしてくれて、つまりここで雨宿りをすればよく、仮に晴れの日であろうとも、窓のないひんやりとしたこの店に居れば、太陽とは無縁でいられます。この店でくつろぐ直哉はきっと、最近の比ではないくらい幸せそうに落ち着いているでしょう。それを盗み見れるものなら盗み見たいです。きっとその直哉の幸せは、私の心にきちんと伝わるだろうから。

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