第27話「文化祭を楽しもう(1)」

 文化祭とは、浮かれポンチたちの集合体である。したがって、右を見ても左を見ても男女のペアが歩いているし、少し向こうを見ればメイド服に身を包んだ屈強な肉体の野郎が「♡メイド喫茶♡」などと書かれた看板を持って練り歩いているし、後ろを見ればクラスTシャツに身を包んだ女子三人組がスマホに向かって音楽にあわせてダンスをしている。文化祭が浮かれポンチの集合体であることは自明であって、例にもれず明良もその一人であることに違いない。

「すごい人ですねぇ」

 人口密度が故に、はぐれないよう明良の右手を握る奏が、そう呟いた。――女の子と手を繋いで文化祭を回っている。これを浮かれポンチと呼ばずしてなんと形容するのがよいのか。こんな浮かれポンチと手を繋いで文化祭をめぐる奏もまた、浮かれポンチに違いない。

「一般参加多いらしいしな、うちの文化祭」

「無駄にクオリティが高いことで有名ですからね。私も去年来ましたし。明良くんは…………来てなさそう」

「まったくもって」


「さて、二日間もありますよ」

 少し人の少ない、出し物のないクラスのある辺りの廊下の端っこ。明良の前に身を翻し、仁王立ちになった奏は、明良にどこから行きますか、なんて聞いてくる。

「とりあえず、全部行くか?」

「お、明良くん意外と乗り気じゃないですか」

「そりゃな、こんな空気吸ってたらそうもなるだろ。それに、せっかく約束してるんだからな」

「そうですね、せっかく約束してますからね」

 ふふん、と奏は満足そうに笑うと、明良の手を取って来た道をまた歩き出す。辺りの喧噪は人の少ないここまで届いて、未だかつて明良の見たことのない賑わいを思い知らされる。

 窓から外を覗けば、校庭の方では「大告白大会」なる意味不明な催しがなされていて、この高校がいかに変な高校であるかを内外に知らしめていた。きっと、去年あったという生徒会長関連の茶化しイベントなのだろう。審査委員長として、氷上の名前がでかでかとクレジットされていた。

 ――よく審査委員長なんて引き受けたな。

 あれが自分のことだったら、恥ずかしくて何としてでも中止させただろう。それだけ氷上の懐が深いのか、あるいはどうしようもないところまで来ているのか。

「あれ、誰が出るんだ?」

 明良がそう言うと、奏はうーんと少し考えた後、ぽつりと「湯沢先輩」と呟いた。

「誰だよ」

「会長の彼氏」

「ああ」

「つまりあのイベントは会長への愛を叫ぶ大会で、出来レースなので準優勝を決める争いってわけですね」

 奏はそう言うと、立ち止まって明良のブレザーの袖をくいと引っ張る。

「明良くんは出ちゃダメですからね」

「出ないよ」

「それはよかったです。あ、さっきのムキムキメイドのメイド喫茶、あそこですよ。入ってみますか」

 奏が指さしたのは、いかにも男が塗りそうなショッキングピンクで「♡メイド喫茶♡」と書かれた看板を掲げる出し物だった。受付には普通にクラスTシャツを来た女子生徒が立っていて、並ぶ老若男女――主に若い男子を捌いていた。

 明良たちが列に並ぶと、前の方からは恰幅の非常によろしい力士のようなメイドが現れて、列に並ぶ一組一組に丁寧な説明をしていた。その恰好がメイド服でなければ、きっと様になったことだろう。しかし、残念なことに彼が身に纏っているのは白と黒のフリルマシマシミニスカメイド服だった。

 やがて力士メイドは明良たちの前に来ると、奏に向かって深々と頭を下げた。聖女の信者というのはどこにでもいるものである。

「おかえりなさいませ、この中におりますのは私めのようなゴミみたいなメイドしかおりませんが本当によろしいのですか」

「もちろんですよ。それを見に来てますから」

「それは何よりでございます。二名様でよろしいですか」

「二人です」

「かしこまりました。いましばらくお待ちくださいませ」

 力士はそう言うと、また深々と頭を下げ教室の方へ戻っていく。頭を下げたときに見えた胸元の空白の虚しさといったらなかった。

 やがて順番がきて、中に通される。先を歩く奏が一歩教室に足を踏み入れると、見事に一列に整列した多種多様なむさくるしいメイドたちが一斉にお辞儀で奏を出迎えた。

「おかえりなさいませ」

その異様な光景に、教室中が注目していた。当たり前である。

「旦那様も」

「旦那様!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」

「やはり聖女様は本当に男のモノに………………!」

「まだです」

「というか結婚できる年齢じゃないんだから旦那様ではないだろうが!!!! そういう歪んだ情報の拡散はネットリテラシーに反しているだろう!」

「だがメイド的には旦那様の方がしっくりくるだろ?」

「でも俺は聖女様が誰かのものになるなんて受け入れられないよ~~~~~~」

「あの、まだなんですけど」

 誰も奏の話なんて聞いていなかった。どう見てもそれどころではないし、裏からも男子たちは顔を出していて、女子たちも何事かとちらちら覗き込む様子が隙間から見えた。

「うわ~~~~~~~~~~~~~~~~ん」

 挙句鳴きだしたヒョロガリメイドを屈強なメイドが抱えて裏へ引き摺っていったかと思うと、奥からは立派な燕尾を纏ったスラっと背の高い女子生徒が出てきて、深々と頭を下げた。

「大変失礼いたしました。旦那様、奥様、あちらのお席をご用意しております」

「あのだからまだ……」


 這う這うの体で「♡メイドカフェ♡」を脱し、そのまま廊下に沿って並んで歩く。次に明良たちが通りかかったのは、お化け屋敷だった。その名も『旅館「魑魅魍魎」』。一体レタリングするのにどれだけの手間がかかったのか、考えるだけでも頭の痛くなるような明朝体に血が垂れたような看板の奥は、光が入らないように廊下まで暗幕で閉め切っていた。

「なんだか合宿を思い出しますね」

「ああ、あのお風呂入れなくなったやつな」

「む」

 受付を済ませ、まずはじめの暗幕を潜り抜けると、こぶし大くらいの白熱電球が二、三吊るされたばかりの薄暗い空間に、人がぎっしりと列を形成し、待機させられていた。

 その最後尾に案内され、二人でそこに並ぶ。

「明良くん、日光楽しかったですね」

「楽しかったな。でも来年は肝試しはしない方針で行こう」

「そうですね、できれば無しでお願いしたいですね」

 そんな世間話をしている間にも、一体どれほどの恐怖が待ち受けているというのか、教室の中では再三悲鳴が響き渡っていた。それも一人のものではないから、きっと余程怖いのだろう。

「怖いので、腕をお借りしますね」

 奏は、あまり怖くなさそうな声で明良の腕を取ると、自分の胸にぎゅっとかき抱いた。

「ようこそ、魑魅魍魎へ」

 入口のところに立つ浴衣姿の女子生徒にそう言われ、中での注意事項を一通り聞いて、セロハンで減光した懐中電灯を手渡される。あってもなくても変わらないような頼りない光源をたよりに、いざ旅館魑魅魍魎へ足を踏み入れた。

「きゃっ、妖怪の頭ですよ」

 ぎゅっと奏の腕に力が入る。入ってすぐ正面には、猿とも人とも分からない奇怪な造形の頭が吊るされていた。

「よくできてんな」

「心臓によくないですよ、こういうの」

 少し進むと、すぐそばに置かれた机がガタガタと震える。声こそ上げなかったものの、びっくりしたのかまた奏の腕には力が入っていた。

「よくも聖女様を…………」

 そんな怨念のこもった声が聞こえたのを、明良は聞かなかったことにした。

「早く進みましょう」

「おう」

 曲がりくねった道を道なりに進むと、今度は少し開けた空間には猿の頭に、虎の四肢と尾は蛇になったような、奇妙な妖怪がこちらをじっと見ていた。しっかりと目が合うのが、ひどく不気味だった。

 近づくと、低い唸るような声が響く。

「あの、応援してます。幸せになってください」

 ――絶対台詞違うだろそれ。

 あきれてものも言えずにいると、今度は後ろ方「チッ」と舌打ちする音が聞こえてきた。

「あ、そうだ、この旅館を抜け出したければ我を社に祀るのだ……」

 ――あ、そうだって言ったぞ今。

 声が止むと、その妖怪の足元から一枚のお札が差し出された。

「これをお祭りすればいいんでしょうか」

「そうじゃないか?」

 お札には筆文字で「鵺」とだけ書かれていた。

「ぎゃっ!!!」

「わあああっ!! 明良くんのばか! 急に大きい声出さないでください!!!」

 パタパタと大袈裟に足音を立てて先に進む。

「だ、だって急に足首掴まれたら誰だってびっくりするだろ!」

「だからってそんな大声あげることないじゃないですかびっくりするじゃないですか!!」

 はあはあと、大した距離を移動したわけでもないのに息を切らした奏が、明良の肩に顎を載せて、抱きついてくる。しばらくそうしていると、またどこからともなく舌打ちが聞こえてくる。きっとどこかから見ているのだろう。

「奏、そろそろ行けるか?」

「そ、そうですね、そろそろいかなきゃ。えっと、お札を奉納するんですよね」

「そうみたいだな」

 一本道を更に進むと、突き当りには小さな祠が一つ建っていた。木製で作ったものを石の色に塗ったものらしく、この暗い中だと本物にしか見えない。

 その祠の中心にさっきのお札を納める。

「もうお帰りですか」

「きゃっ」

 ぬっと、祠の後ろから角を生やした鬼みたいな何かが顔を覗かせる。緩慢な動きで社の中のお札を手に取ると、またゆっくりと奏に目を据えた。

「私は、応援しております」

 それだけ言うと、鬼は社の後ろに下がっていった。いったいどういう仕組みなのか、覗き込んでみると既に鬼の姿は無かった。

「え、一番こわ」

 その社で折り返すと、教室の出口がやっと見えてくる。やっとのことで旅館を抜け出した奏は、やや憔悴した顔で明良のことをじっと見つめていた。

「ちょっと休憩するか」

「…………あ、普通に休憩ですか」

「ホテルで休憩とかじゃないぞ」

「こんなにも憔悴してるんですよ、慰めてくれてもいいじゃないですか」

「慰めるの意味が違うだろうが」


 人混みを避けて、文化祭では使われていない空き教室に入る。窓の外では着々と「大告白大会」とやらの準備が進められていて、なんとなく校庭に人が集まり始めていた。校庭の端に立つ木々のところでは、何人かの生徒が打ち合わせでもしているようだった。

「なんかちょっと思ったんですけど」

 やにわに奏が口を開く。

「うん」

「もしかしてなんですが、私たち、普通に文化祭を楽しむの、難しくないですか?」

「難しいけど、奏ほど目立つ人間が男と手を繋いで文化祭回ってる時点で終わりじゃないか?」

「あ、そっか、手を繋いでたから付き合ってるみたいな感じで扱われるんだ」

「気づいてなかったの?」

「いえその、いろんなこと明良くんとしすぎてて、バグってるみたいです」

 ほら、と奏は両手を広げて明良を抱きしめた。

 ――今。

「じゃないな」

「何がですか?」

「もうちょっと待って」

「……ほんとにもうちょっとだけですからね」

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