第26話「前夜祭を楽しもう」
世の中の高校というのは二つに分れるのではないかと明良は思う。つまり、文化祭の前に「前夜祭」を行うタイプの高校と、文化祭の終わった後に「後夜祭」を行うタイプの高校の二種類である。どちらもないという可能性は一度脇に置いておくとして、この二つの関係性は表裏一体であるべきであろうと明良は思う。だって、どっちもやったらくどいし。
「明良くん、なんでさっきから黙りこくってるんですか」
前を歩く奏が振り向いてそう言う。今、明良は体育館へ向かう道を、わざわざ出席番号順に整列させられた上で歩いている。
「いやさ」
腕を組んでうーんと唸れば、奏はなんですかもったいぶってと、少しペースを落として明良に近づいた。ちょっといい匂いがした。
「なんでうちの文化祭って、前夜祭と後夜祭が両方あるわけ?」
「全然どうでもいいことだった」
「どうでもよくないだろ」
明良が言えば、奏はまあ、と答える。
「楽しいイベントが多いのはいいことじゃないですか?」
――それは確かにそうだけども。
普通こういう前夜祭だとか後夜祭だとかいうものは、学校側が折れて初めて開催を認められるようなものではないのか。
「ねえねえ奏ちゃん、奏ちゃんはもう文化祭誰かと回るか決めた?」
前を歩く奏に、列を乱してクラスの女子が駆け寄って声をかけた。
なんだかずっと奏と一緒にいるから忘れがちだが、四方山奏は人気者なのだ。当たり前である。なにせ、あれだけかわいいのだから。
――しかし。
ここで奏に約束されては困るのは明良である。何を隠そう、明良もそろそろ腹を括らなければと思うころなのだ。夜の道端でエロいキスをした仲である。これで未だ正式な約束ごとを交わしていないなど、それは無法者と言われ詰られても文句の一つも言うことはできまい。ここは男らしく、つまり堂々と奏と交際関係にあるということを公の事実とすることによって、奏との関係性に正当性を持たせようなどという浅はかな考えを持っているのである。
「あ、すみません、先約があるんです」
「あー、そりゃそうよね、アレだもんね」
「アレとはなんですかアレとは! でも、同じ文化祭にいるんですから、ちゃんと私にも声かけてくださいね」
――アイドルみたいなこと言うじゃん。
などと心の中で突っ込んでみるものの、心穏やかではいられない。震える手足を何とか抑えつけ、明良は奏の後ろを、少しだけ距離を感じながら歩くのだった。
そこはかとなく手狭な体育館に入れば、壇上にはわざわざ「文化祭実行委員会」と大仰な書体で書かれたたすきを掛けた生徒十人くらいが立っていた。前夜祭と後夜祭を両方遂行するだけの気合を持った集団なだけあって、その主張の強さには圧倒されるばかりである。シンプルなたすきの者もいれば、なんだかよくわからないキラキラしたものをつけているのもいる。とにかく多種多様で、それぞれが頑張ってデザインしているのだろう。たすきをかけていない生徒もいるのだなと見てみれば、そっちは生徒会のメンバーのようで、おそらく井上と思しき影が実行委員に何か指図しているように見えた。
奏をちらりと見れば、奏も振り返ったところで、丁度目が合う。奏はえへへと笑った。
「そういえば、その、あの、首元のソレは、やっぱり消えませんでしたか?」
奏に指摘されて、そういえばと思い出して首元を触る。幸い昨日の夜から貼ってある絆創膏は未だ健在だった。
「ちょっと剥がしてみるか」
絆創膏の端を引っ張って、痛みに耐えながら少しだけ剥がすと、奏は顔を近づけてその中を覗き込んでくる。
「わ、わあ…………」
「なんだ」
「み、見事なその、マークだなと思って」
「自分でつけたんだろ」
「いやそうなんですけどね、はは」
苦笑いを浮かべて、奏はそっと絆創膏をもとに戻した。
「あの、明良くんもつけますか?」
「まだつけない」
そうこう言っていれば、ようやく前夜祭が始まるらしく、体育館の照明がパッと落ちる。
「あ、そろそろですね」
奏が前を向いて、それにつられて視線を前に持っていくと、ピンスポットに照らされているのは、文化祭実行委員の、それもでかでかと赤い字で「委員長」という文字の入ったたすきを掛けた男子生徒だった。なんたる自己顕示欲であろうか。
「前夜祭の開催に先立ちまして、わたくし文化祭実行委員会委員長の
雰囲気のあるピアノが流れ始める。音の元を辿っていくと、どうやら生演奏のようだった。
「今年の『
バッと三枝が後ろを指させば、いつの間にやら用意されていたスクリーンにはでかでかと一枚の写真が投影された。
「あ~~~」
会場の声が揃う。映し出された写真というのはつまり、生徒会長氷上優華が当時恋人になったばかりの湯沢佳孝にキスをしている写真だった。どう見たっておあつい。
――そりゃあるよな、一枚くらい。
「明良くん、なんか最近、キスと縁がありますね」
「そうだな」
「そう!!! 我らが氷の女王が溶かされた伝説のォォォォ! 文化祭ィィィィィィ!!!」
――うるさ。
「う~~~~~~~~~~~~~ん今年有力なのはこの人ですかね~~~~~~~~~~~~~」
画面が切り替わり、今度は二鷲の聖女こと奏の姿が映し出される。一体いつ撮ったものなのか、どう見ても盗撮の画角だった。しかも、よくよく見てみれば横に立っているのは自分ではないか。丁寧なことに、周りの生徒やあたりの風景までも完璧にぼかしの処理を施してあるのに、明良は顔はばっちり映っている。悪意というか、そういう趣旨なのだ。解決策は氷上と結託して担当者を闇に葬り去ることくらいだろう。
「いや~~~~~~~~~~~~楽しみですね~~~~~~~~~~~~~~~~~」
いったい誰が担当者なのかと周りを見渡せば、喜怒哀楽――概ね怒と哀にまみれた視線が明良に突き刺さっていた。
「はやくしろー!」
そんな野次が飛んだのをきっかけに、場内は混乱に陥る。なにせ、奏に向けられる感情のなんと大きいことか。一度爆発してしまえば、それは留まることを知らない。
「殺すぞ!!!!!!!!!!!!!!!」
「意気地なし!!!!!」
「死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「早く抱けよ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「聖女様~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!」
「ぶち殺す!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「その意味深長なる絆創膏は何なりや!!!!!!!!!!!!!!」
「付き合ってないのにキスしたのか!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「首筋にマーキングするくらい好きなのか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「不純異性交遊じゃないのか!!!!!!!!!1」
「不純異性交遊だったら生徒会長だってそうだろうが!!!!」
「生徒会室での不純異性交遊断固反対!!!!!!!!!1」
怒号が波のように明良に押し寄せる。何という迫力、そして何という肩身の狭さ。これほどまでに肩身の狭い思いをしたことはこれまでの人生で一度たりとも存在しない。
「明良くん、ちなみに私はいつでもウェルカムですよ」
奏が耳元でそう言った。それを見た男衆は更に声を大きくするばかりだった。
――奏は文化祭、もう約束があるのに。
ようやく野次合戦が終わると、早々に三枝は舞台袖に引っ込んでいった。特段責任を取るつもりもないのだろう。それに変わって舞台上に上がったのは、氷上だった。
「ミエが――あ、「三枝」という文字と見栄っ張りをかけてあれのことは三年の間ではミエと読んでいるんだが――さっきの写真をどこから入手したのかについては、後程本人及び写真の撮影者を拷問してしっかりと突き止めていくこととする。なお今年の主役として俎上に載せられていた四方山についてだが、私からはそこそこ期待しておくようにという風にだけ言っておこう。あー、つまり、今年も是非楽しんでくれ」
そんな氷上の声に、会場を今日一番の歓声が応える。なるほどこれが、この高校が文化祭へ注ぐ熱量だということなのだろう。これならば、前夜祭と後夜祭が両方執り行われるこの状況で押し切ることも可能だったに違いない。
聖女教会の連中が「ミサ」と称して布教活動をはじめ、やがて一年C組の教会カフェの宣伝を始めた頃、明良は奏を伴って体育館を抜け出していた。ミサというよりは、どちらかというと説法の方に近いような気がしたが、誰もそんなこと気にしていないのだろう。体育館から音漏れする大音量の「聖女様がいかに素晴らしいか」という説法は、きっと近隣に響き渡っていずれ苦情になることだろう。明良にとっては――釈迦に説法といったところか。
「イベントごとを二人で抜け出す感じ、なんだかいけないことしてるみたいですね」
そんなことを言う奏の手を引いて、小走りで校舎へ向かう。教会カフェの宣伝を呑気に見ていたせいで、既に遅刻寸前なのだ。
演劇部は、文化祭中に体育館に枠を貰ったそこそこ大規模な公演が控えている。つまり、リハーサルが必要なのだ。
「そういえば」
ふと思い出して、明良はつい足を止めた。急に明良が止まったものだから、奏は勢い余って明良の背中にどんとぶつかる。
「あた」
「あ、すまん」
「どうしたんですか、急に止まって」
「いや、奏、約束あるって言ってたから」
こて、と奏は首を少し横に倒す。
「何がですか?」
「いや、ほら、文化祭。一緒に回れないかなって、思ってたんだけど、約束あるなら、無理かなって思って。あれか、友達とか、それとも、なんか、彼氏とかできたりとか」
「あの」
どうにもいたたまれなくなって、明良はつい言葉を並べる。答えなど、聞きたくなかった。だって、もし奏が本当にこの短い間に他の男との距離を急速に縮めていたら。
明良と一緒にいないときに奏がどうしているのかなど、明良が知る由もないことで、明良にキスマなんてつける傍らで、奏が一体誰と仲良くしてどんな時間を過ごしているのかなど自分とは何ら関係のないことなわけである。そりゃ自分にあんなことしておきながら実は彼氏居たんですなんて言われた日には手の一つや二つ出かねないが、しかしそれはそれ。明良がどうこう言える部分ではあるまい。
――いやでも。
明良とて奏とエロいキスをした仲なのだ。それで他にも男がいましたなどと言われて黙って引き下がれようか。
これには男と男の真剣勝負さえ辞さない構えを取らねばなるまい。
「それなら、俺はそいつを殺す」
「あの、明良くん」
奏は、明良の両の頬に手を沿えて、背伸びして明良の額に自分の額をごつんとぶつけた。
「落ち着いてください」
「俺はいたって冷静だぞ」
「どこがですか。まったく。もしかしなくても明良くんって、ちょっと重たいタイプですよね」
「そんなことないだろ」
「重たいっていうか、なんか、メンヘラ」
「俺がいつメンタルをヘラったっていうんだ」
「今ですけど。私が他の人と文化祭回る約束してると思ってヘラってるでしょ明良くん」
そのまま、両頬に添えられた手が一度離れ、パチンと小気味のいい音を立ててもう一度当たる。
「まずですね、誘いを断る文句というのが必要なわけです」
明良から手を離した奏は、少し前に進むと、くるりと振り向く。遠心力で長い髪が揺れる。毛先に、目を取られる。
「明良くん、私は、明良くんと一緒に文化祭を回る気でいたんですけど」
ぱちんと、また両頬を挟まれて、視界の中心に奏の顔が近づいてくる。それから、また奏にキスされる。
「これ以上は言ってあげない」
「あの」
「なんですか」
「めっちゃ従姉に見られてるぞ」
すっかり明良たちは遅刻中。どうやら様子を見に来たらしい相川が、階段下の柱の影から顔を覗かせていた。
「ここここ心寧ちゃん」
「リハーサル、はじめるからね」
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