第21話「ちゃんとデートをしてみよう」
八月も下旬だというのに、茹だるような暑さはなくなる気配を見せない。降り立った上野駅前には、夏休み終盤ということもあって最後にでかけようと思った親子連れか、あるいは仕事のために上野を歩く人か、有象無象がひたすらに行き交っている。
スマホを取り出して、時間を確認する。時刻は午前八時二十分。約束の時間まではまだ四十分もある。
「流石に早く着きすぎたかな」
だが、どれだけ早く着いたとて、ただ待つ時間でさえも、楽しく思えるような気がする。それが、恋というやつなのだろうと、明良はあとで思い返して恥ずかしくなるようなセンチメンタルを抱えて、集合場所の西郷隆盛像のところへと向かった。
演劇部の合宿以来、奏とは会ってない。勿論、メッセージでやりとりはしていたし、電話してみたりもした。なるほど両片思いとはこういう甘酸っぱいものなのだと、さんざんライトノベルの中で幻想として存在していたそれを噛みしめ――もっとも、お互いそれを自覚している上、お互いが自覚していることを了解しているのだから厳密にはあれらの幻想とは違うのだろうが――今日までの日々を過ごしてきたのだった。そもそもお互いそれを自覚しているのなら両想いではないのか、という問には応えることもなく、明良は上野公園の階段を登る。
そこそこ長い階段に息を切らしつつ、ようやく目に留まる西郷隆盛像の前には、既に見知ったる美少女が日傘を差して立っていた。普段は下ろしている髪を今日は後ろでひとまとめにしていて、勿論うなじを見たことなど幾度となくあるが、それでも普段と違う髪型であるという高揚感に胸踊る。髪留めには濃紺の大き目なリボンを使っていて、前から見てもわかる大きなリボンのシルエットがかわいらしい。そして何より、今日の奏はいつもより服装に気合がはいっていた。
「おはよう。はやいな」
明良が声をかければ、奏はぱっと目を輝かせて顔を上げる。
「あ、明良くん! おはようございます。なんだかソワソワしちゃって」
明良にはどこで買うのかちっとも検討のつかない、深いネイビーの生地に星空が描かれたデザインのワンピースは、少なくとも明良が行くような量販店に売っているものでないことはわかる。首元にはチェーンがついていて、その先にある月の意匠が濃い生地の色によく生える。
「……どうしたんですか?」
「いや、なんでもない」
「それにしても、明良くんも早いですねぇ」
「まあ、お前には負けるよ」
ふふ、と奏は笑って、どうですか、とくるりと一周回ってみせた。ワンピースの裾が広がって、ふわりと揺れる。美少女がやると何と映える演出だろうか。
「随分気合入ってるんだな」
「ふふ、そりゃ入れますよ、気合くらい。なんてったって、デートですからね」
日頃は、いつでも聖女の仮面を被ることができるよう身構えている奏も、今日ばかりはそうでもないらしい。演劇部にいるときは比較的砕けてはきているものの、ここまで力の抜けた笑い方をする奏を見るのは初めてな気がした。
「とりあえず歩きながらどうするか考えましょうか」
奏はそう言うと、また明良の目をじっと見てにこりと笑い、公園の奥の方へ歩き出した。
「やっぱりデートといえば美術館博物館動物園ですよね。どこから行きますか? ちなみに私の気分的には科学博物館です」
上野の森美術館を通り過ぎ、文化会館と野球場の間に差し掛かったところで、奏がスマホで地図を見ながらそう言う。
「じゃあ科博から行くか」
明良もスマホで公園内のマップを見て進むべき方向を見定める。やがて見えてくる西洋美術館を横目にまっすぐ進めば、大きな鯨のオブジェと、蒸気機関車が見えてくる。汽車はともかく、一体この鯨が何なのか、明良には未だわかっていない。
「こういうなんだかよくわからないものっていいですよね」
奏はそう言うとまた笑って、明良の袖を引っ張って科学博物館の入口を目指して歩くのだった。
昼下がりの喫茶店。純喫茶と呼ぶに相応しい、飲み物は珈琲と紅茶、それからいくから甘い飲み物だけ、食事も三種類ほどと、デザートが数種類。店は昭和の趣を残した佇まいで、それでいて時代に送れない
そうして、やけに深く沈むソファに腰かけている明良は、向かいに座りパンケーキを頬張る奏のことをのんびり眺めていた。先んじて空になった明良のお皿は既に下げられ、テーブルの上には二人の飲み物と奏のパンケーキのお皿が残っているばかりだった。
「そういえば、なんだかんだこうしてちゃんと二人で出かけるのは初めてですねぇ」
奏はパンケーキを飲み込むとそう言って、カフェオレを口に含む。
「まあ、二人で買い出しに言ったり、合宿中も結構二人で抜けだしたりしてたけどな」
「それはほら、買い出しは変な人につけられてたし、合宿は二人で出かけたわけじゃなくてみんなで出かけて二人になった瞬間があっただけなので――つまり、ノーカンです」
「こだわりだな」
そりゃもう、と奏はまた口にパンケーキを入れた。顔が小さいだけに、きっと口の中もあまり大きくないのだろう。
そうして奏を眺めていると、ふと顔を上げた奏と目が合う。
「今日はよく目が合いますね」
へへ、と笑う奏の表情は甘いなと思う。さっき食べたパンケーキよりも余程。
「それにしても明良くん、よくこんないい雰囲気の喫茶店ご存知でしたね」
最後のひとかけを飲み込んだ奏は、顔を上げるとそう言って紙ナプキンで口を拭った。
「ああ、お昼食べる場所の候補くらいは考えておいたほうがいいかなと思って」
それからカフェオレで口をまた湿らせた奏は、ふんふんと頷く。
「さすが明良くんですねぇ。私の好みもしっかり押さえてらっしゃる」
「ほら、前吉祥寺で行ったろ。こういうとこ好きなのかと思ってな」
「明良くん、なんで童貞なんですか? そういうムーブしてたら女の子すぐ堕とせそうですけど」
「ああ、なんでだと思う?」
む、と奏は動きを止めて、少し下を向いた。それからまたカフェオレで口を潤して、一度上を向いてからカッと目を見開いて明良のことを見る。
「そもそも女の子と二人で出かけるような状況にならないから」
「正解」
「そりゃいつまで経っても童貞なわけですよ。私がもらってあげましょうか」
「お前が言うとシャレにならんからやめろ」
「む………………」
奏はしばらく黙り込んで、またカフェオレを飲んだ。
「……………………あの、私ちょっとお手洗いに」
ちょっと恥ずかしそうに、奏は右手を上げる。
「いってらっしゃい」
――あれだけのことやって、まだ羞恥心なんて残ってたのか。
奏がトイレに入るのを見てから、明良は財布を手に立ち上がった。
「もうすぐ夏休みも終わっちゃいますねぇ」
もう日が暮れようというのに、未だ気温はさがらない。明良は袖で汗を拭いながら、そうだな、と奏に答える。
「夏休みが終わったら、十月頭から文化祭とか体育祭とか、目白押しですね」
「もうすぐ高一も折り返しか」
「そうですよ、折り返しです」
奏もまた、額に浮かぶ汗をハンカチを押し当て拭いては、暑いですね、なんて呟く。なんとも夏らしい、限りなくいい景色だと思った。
おもむろに、奏は明良のほうを見る。
「ねえ明良くん。またデートしてくれますか」
奏はそう言って、小首を傾げる。なんたる破壊力、なるほどこれが本物のあざとさなのかと、脳天に雷鳴はたたく心地もする。明良はふらつく身体を何とか支え、奏の目をしっかり見て答える。
「もちろん」
明良がそう返事をすれば、奏はまた嬉しそうに笑って、約束ですよ、なんて言う。
――約束か。
そうしていつまでも約束し続けたら、奏とずっと一緒に居続けることもできるのだろうか。
――そういうのは、違うか。
もし仮にそういう状況になるのだとしたら、約束という拘束力の働く状況下ではなくて、きっと互いがなんとなく一緒にいるような、そういう何物にもとらわれない状況下であるべきなんじゃないのか。少なくとも、明良はそう思う。
「明良くん」
奏がまた、声にする。
「今日、楽しかったですね」
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