第16話「ホテルを探索してみよう」

 部屋を出ても、せっかく用意された団体用の談話スペースは誰一人として使っていなかった。うわあと情けない声をあげながら奏は伸びをして、ふわふわと余韻を残しながら口を開く。

「うちの部は引きこもり気質ですねぇ」

 奏はそう言うと、周りの部屋を見回した。

「誰も出てきそうもないですね。うーん、どこから行きますか?」

 エレベーターの前まで歩くと、一機のエレベーターの横の壁に全館のマップが張り出されていた。いま明良たちがいる別館には、一階に卓球やビリヤードができる小さなスペースがあるらしい。

「卓球とか、するか?」

「うーん、あとでやりましょうか。とりあえずなんとなく歩きたい気分です」

「そうか。じゃあ、ロビーにあった売店でも見るか?」

「そうですね、そうしましょう」

 エレベーターに二人で乗り込み、一度一階へ降りる。さっきぎゅうぎゅう詰めだったエレベーターも、二人で乗ればそこそこ広く感じた。

 一階に降りて本館の方へ歩く。

「わっ」

 右側を歩く奏が躓いたのを、明良は左手で受け止めた。

「大丈夫か?」

「ええ、大丈夫なんですが、この、なんですか、すごい微妙な坂」

 廊下は目で見てもわからないような微かな傾斜があって、少しすり足気味に歩いていた奏はどうやらそれで引っかかったらしい。

「絶対また躓きますよここ、予言です」

 奏はそう言って、大袈裟に脚を上げて歩き始めた。

「なんか、そういうおもちゃみたいだな」

 ゼンマイを巻くと歩く、みたいな。


 来るときにも通った道を左右と逆向きに進めば、本館のロビーに辿り着く。案内があるとはいえ、それでも導線がかなりぐちゃぐちゃで歩きづらいというのが、正直な感想だった。

「お土産ですか。やっぱり明良くんはご家族にですか?」

「そうだな。あと雅から変な猫のキーホルダー頼まれてる」

「ああ、ありますよね、ちょっとかわいいやつ」

 売店は大きいわけでもないが、小さくもない。一通りのお土産と、部屋で食べられるもの、それからなぜか洋服もいくらか置かれていた。

「お風呂出たらアイスたべたいですね、アイス」

 コンビニにあるような冷凍庫の中には、あんまりその辺では見たことないアイスが並んでいた。

「明良くんはアイスは何が好きですか?」

「うーん、俺はやっぱモナカ系がいいな。バニラのやつ」

「あー、いいですねぇ。私はあずきバーが好きです。かたくて。かちかちです。さっきの明良くんみたい」

「なんだよ」

 あ、と奏はすぐ隣の棚のフックに掛かった猫のキーホルダーを指さした。

「これですよね、雅ちゃんが欲しいやつって」

「ああ、これだな。写真送っとくか」

 適当にスマホで写真を取って、雅に送る。ここにあるのは普通の日光と掛かれたシンプルなものと、家康っぽい甲冑デザインのもの、それから宇都宮餃子のものの三種類だった。

「餃子食べたいですね、餃子。夕食で出たりしませんかね」

「あー、いいな餃子」

 ふふ、と笑って奏はそのまま奥に進む。キーホルダーを買う時間はまだいくらでもある。明良も奏に続いて奥へ歩いた。

「そういえば、奏、雅に結構LINEしてるのか?」

「あっ、まあ、あの、雅ちゃんは恋愛経験豊富らしいので」

「は? 恋愛経験って、男?? 俺全然聞いてないけど」

 そうですよ、と言って、奏は近くにあったクリスタルの置物を眺めはじめた。中に龍が浮いているデザインのもので、なんだかどこにでもありそうな感じがしなくもない。

「具体的な数字はちょっと雅ちゃんのプライバシー的に言いませんけど、言えることは私より多いってことですね。すごいですね、中学生なのに、私たちより大人」

「妹のそんな話聞きたくなかった……! おいマジか、俺あれに負けてるのか……。経験人数が任意の一以上の数なのかあいつは…………!!」

「私が一以上の可能性はないんですか」

「お前この間自分で処女って言ってただろ」

「わからないですよ、もしかしたらこの間から今までの間にだれかとはじめてを済ませたかもしれないじゃないですか」

「それは…………」

 ――嫌だな。

「あ、明良くん? そんなマジ凹みしないでくださいよ……! 私ちゃんとまだ処女ですから、ね?」

 奏にぽんと肩を叩かれる。確かな安堵とともに、なんて情けない慰められ方だろうと自分が恥ずかしくなる。本当は明良だって、相手がどんな過去を持とうがそれを包み込むだけの深い懐を持った男になりたいのだ。そういう些細なこと――あんまり些細じゃないが――を気にするのは、明良の理念に反する。反省せざるを得ない。

「ていうかちょっと待て、それじゃまるで俺が処女厨みたいじゃねぇか」


 次に明良たちがやってきたのは、本館の地下にある食堂だった。広々とした食堂で、今は準備中だから入れはしないが、奥のほうではビュッフェの準備が進められているようだった。流石ビュッフェというべきか、色々な料理の匂いが混ざりに混ざって何がなんだかさっぱりわからない。

「でも色々あるならきっと餃子もありますね」

 奏はそう呟いて、食堂の前を通り過ぎていく。

 そのまま食堂を通り過ぎた先にはこぢんまりとしたゲームコーナーがあって、いかにもレトロなブラウン管の筐体がいくらか並んでいた。

「うーん、あんまりピンと来ませんね」

「大人なら懐かしいって思うのかもな」

 さっきは匂いが飽和していたけれど、こっちで飽和しているのは音だ。ピコピコとまでは行かないまでも、やや輪郭のぼやけたBGMが右から左から大音量で流れている。

「この先は何かあるんでしょうか」

「行き止まりみたいだな」

 二人で端まで歩いて引き返す。

「あ、そうだ、卓球しませんか?」

「お、いいな」


 来た道をそのまま戻って別館の一階の廊下を歩く。

「行くときは別に下り坂だから気にならないんですけどね」

 先ほど躓いたのが余程気になったのか、奏は廊下を一歩歩くたびにげしげし踏んでいた。

「で、卓球できるスペースってどこだ?」

 かつてロビーであったであろうスペースまで立入、左右を見回す。経費削減のためか電気は常夜灯が付いているばかりで、まだ日が落ちていないおかげで入口だった場所の磨りガラスが光を取り込んでようやくちゃんと見えるくらいの明るさだった。

「ビリヤード台置いてありますよ」

 一歩先を進んでいた奏が、エレベーターで死角になっていた部分を指さす。

「ほんとだ。卓球は?」

 そのまま数歩進んで振り向くと、エレベーターの裏側のスペースに卓球台が一台ぽつんと置かれていた。灯りがついていないせいで、卓球場はだいぶ暗い。

「自由に使っていいみたいですね。明良くん、ラケット」

 奏の手からラケットを受け取って、卓球台を挟んで相対する。

「さて、はじめましょうか」

 こんこんと球をバウンドさせて、奏は低めネットすれすれのサーブを打つ。明良が打ち返せば、回転をかけた球を打ち返してくる。

 ――やったことあるのか?

 明良は卓球の「た」の字も知らないズブの素人だから、ラケットに当てて、更に向こうのコートに落とすことで精一杯だった。

「なかなかしぶといですね」

 奏がラケットを振りぬく。動きの割には球速は遅い。

「あっ!」

 順当に打とうと構えていれば、球はバウンドするときに明後日の方向に曲がって飛んでいった。

「スライスですよ明良くん」

「なんだそれずるいぞ」

「ふふ、ずるくないですよ明良くん、持てる技は全て使うのが相手への礼儀というものです」

 奏はそう言うと、さっと飛んでいった球を拾ってまた構える。

「さあ行きますよ」

 ぶんぶんと素振りをして、ボールが宙に放たれる。

「ふっ」

 息を漏らしながら、奏が思い切りラケットを振る。見事ギリギリを攻めたサーブを明良がなんとか打ち返せば、奏はしてやったりと言わんばかりの表情でラケットを振りぬいた。

「ふふ、まだまだですね」

「それテニスだろ――」

 明良がボールを拾って顔を上げれば、奏の浴衣は気崩れ、黒い下着と綺麗なI字の谷間が衿の間から覗いていた。

「めちゃめちゃはだけてんぞ」

 ずっと明良の方を見ていた奏は、そう言われて初めて下を見た。

「あ、ほんとですね。でもまあ、別に今更じゃないですか? さっき明良くんの前で私普通に脱いでましたし」

「いや俺じゃなくて、他のやつに見られたら困るだろ」

 奏ははっとしたような顔をして、そそくさと衿を直し始める。

 ――というか。

 明良は他の誰かに奏の下着を見られるのが、ちょっと嫌だった。

 ――おいおい、嫉妬か?

 別に付き合ってもいないというのに。

「どうしたんですか、そんな変な顔して」

「いや、なんでもない」


 軽く汗をかいて、そのまま二人はなんとなく外に出た。夏の日はまだ高く、ようやく空の端がオレンジに染まり始めるころだった。

「まだちょっと暑いですね」

「夏だからなぁ」

 山の中というだけあって、学校で聞いたよりも余程虫や鳥の声が騒がしい。遠くには積乱雲が高く伸び、山間を吹き抜ける風はすこぶる湿っている。ただ、都会のビルを吹き抜ける風とは違い、受ければ涼しく感じるのが山のいいところだろうと明良は思う。

「あっちにお庭があるみたいですね」

 本館と別館の間を通る階段を下り、隘路を抜ければ、ホテルの建物から河岸までの間が庭園として整備されてる。ホテルと川のちょうど間を縫うように通路が伸びて、その左右を色とりどりの花と緑が彩っていた。

「綺麗ですねぇ」

 明良も花とかはよくわからないから、奏と全く同じ感想しか浮かんでこない。ただ、川の流れる音が響いているのが非現実感を覚えさせてくれる。虫や鳥の鳴き声と、川の流れる音。なんとも風流ではないか。

「山んなかは自然豊かでいいな」

「そうですねぇ。でも、ちょっと虫が気になりますね」

 顔の回りを飛ぶ蚊か何かを迷惑そうに払い、パンと奏は手を打った。

「あ、仕留めちゃった。どうしよう」

「すまん、ティッシュは持ってない」

 ぱらぱらと払って奏は蚊の亡骸を地面に合わせて、それからそこに向かって手を合わせた。律儀なものである。

「お手洗いにも行きたいので、一旦戻りましょうか」

「そうだな」

 また来た道を戻って、別館へ向かう。

「あ、ご飯前に男三人は風呂に入れ、だそうですよ」

 片手で器用にスマホを確認した奏が、その画面を見せてくる。

「飯って何時だ?」

「七時ですね。今が五時半ですから、まだ一時間半くらいありますよ」

「じゃあまあ、ゆっくりでいいか」


「部屋の中は涼しくていいなぁ」

 明良はベッドに座って荷物を漁りながら、奏にそう話しかけた。タオルは部屋のアメニティとして備え付けてあるから、それと着替えを持っていけばいい。着替えと言ったって、明日の下着だけだが。

「外歩いたらちょっと汗かいちゃいましたね」

 奏のほうをちらりと見ると、衿の部分をわざと気崩して、そこに冷房の風を受けていた。

 ――家じゃないんだぞ、家じゃ。

「お風呂、どんな感じか教えてくださいね」

「ああ」

 部屋を出ると、丁度福島も同じタイミングで部屋からタオルと着替えを持って出てきた。明良と違って福島は浴衣は着ていないが、なんというか――

「なんでお前そんな髪の毛ぐしゃぐしゃなの?」

「………………なんでもない」

 やけに疲労困憊した福島は、左右によろけながら、ゆっくりとした動きで風呂場に向かっていく。

「一体何してたんだおま――」

 その時、明良の脳裏に電撃が走る。

「ま、まさかお前……!」

 福島と同室なのは、三橋。三橋のことだ、何かしでかしていてもおかしくない。

「聞くな…………………………」

 立ち止まった福島は、壁に手をついて、しばらくそこにとどまって、おもむろに自分の下腹部を眺めた。しばらく眺めたあと、今度は風呂の方に視線を定め、壁に体重を預けながら牛歩のごとく歩き始めた。

「どんだけ激しかったんだ……」

「三回だ…………三回………………」

「この三時間くらいの間に!?!?」

「厳密に言えばそうなったのは一時間前……………………」

「一時間で三回!?!?!?!?」

 流石の福島も、あまりのことに奏のことで明良を目の敵にする余裕すらないらしい。奏と同室などと知れたら今すぐにでも玉を潰されてもおかしくなさそうだが、それに気づいてさえいないらしい。

 ――まあ。

「風呂でゆっくり休めよ」

「ああ……………………………………」

 件の風呂は、狭いが冷房が聞いた脱衣所の先に、同時に四、五人入れるくらいの浴槽がひとつと、洗い場が三つ用意されたものだった。なるほど確かに、ここに泊まる人数の団体が順番に使えるくらいのサイズ感だろう。

 ささっと身体を洗って、明良はとっとと湯舟に入る。

「あっつ」

 源泉かけ流しというやつなのだろうか。常に湯の排出口からはちょろちょろと水が流れている。何かが結晶化してこびりついているのが、ここが天然温泉であることを象徴していた。

 少し蛇口を捻って水を出して、その水の落ちるすぐそばに明良は陣取った。この温泉の温度を下げる水が混ざったところが明良は好きなのだ。

「おまえ、四方山さんに手を出してなどないだろうな…………」

 未だ心の傷――傷なのだろうか――の癒えぬ福島は、辛うじてつなぎとめた意識の中から聖女を見出し、明良に向かってまたゾンビみたいな動きで近づいてくる。

「あぶねぇよ」

 今にも転びそうな福島を支える。仕方ないから、せめてもの情けと、風呂の中に座らせてやった。

 ――ちっさ。

 その萎れ具合が、三戦の厳しさを如実に表していた。

「いや、流石に一時間三回は厳しいよな」

 ひどく複雑な顔をした福島がのぼせないうちに、こいつをちゃんと脱衣所に叩きださねばなるまい。


「わ、明良くん、餃子ありますよ餃子。何個食べますか? 十個くらい食べれますか?」

「それじゃ餃子しか食えなくなるだろ」

 明良の皿に餃子を盛ろうとする奏を阻止しつつ、明良もビュッフェに並ぶ品々を吟味する。今目の前には餃子があるが、それ以外にも焼売とか炒飯みたいな中華は勿論、和洋それによくわからない料理と様々に並んでいる。随分と手間のかかりそうなものだが、周りを見れば思ったよりも人が多い。これだけ宿泊客がいるのなら、どう作ったってそう変わらないような気もしてくる。

 奏と二人で自分たちの席に戻れば、既に食事を取り終わった他の六人が座って待っていた。

「お待たせしました」

 まったく、とまだ寝ぼけまなこで両腕を組んだ相川が明良たちを睨む。

「なかよくしちゃってさ。あっちも――」

 視線を下げる。その先には、三橋と福島が並んでいる。

「――こっちも。すっかりしちゃってさ。声がうるさくて眠れなかったんだけど」

「すみません、つい」

 三橋が答え、福島は歯を食いしばっていた。ちらりと奏の様子を伺うと、奏もこちらを見ている。

「一時間で三回だと」

 奏に耳打ちしてやると、まあ、と目をまんまるに開いた。

 ――初めてみる顔だな。

「いやしかし、私はあっちが先だと思ってたんだけどね、アテが外れたみたいだ」

 佐山がそう呟くと、すかさず相川がふふふと笑う。

「賭けは私の勝ちですね」

「そんなことで賭けしないでくださいよ」

 明良が言うと、はっはっはと二人は大袈裟に笑った。賭けをやめるつもりはないらしい。

「これが合宿の一番面白いところなんだから」

 やめられないよと、佐山は用意していたビールをぐいとあおった。

 ――めっちゃ酒飲んでるじゃねーか。

 一方の奏は、いまだ同級生の情事に興味津々のようだった。

「ど、どっちから誘ったんでしょうか」

「そりゃ三橋だろ。福島はお前のこと好きなんだから」

「うん、まあ、そうですよね。そういうことも、ありますよね」

 はは、と奏は目を逸らした。

「そろそろ二人も座ってよ。食べようよ、お腹空いたよ」

「あ、すいません」

「よし、食べるぞ」

 さっきまでの眠そうな目はどこへやら、相川はもう食べることで頭がいっぱいらしい。そんな食いしん坊キャラだったろうか、あの人。

「いただきまーす!」

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