第10話「三橋くおんの好みを知ろう」

 放課後、部室に入ると珍しく三橋が一番最初に来ており、一人で椅子に座っていた。こちらに気づくと、やっほと右手を上げて、まあ座んなよ、と向かい側の椅子を指さした。

「この間から気になってるんだけど」

 椅子についた明良に、三橋は真剣な表情で向き合う。

「渡良瀬くんは、四方山さんと付き合ってるの?」

 そのあまりにも真剣な表情に一体どんな質問が来るのかと思っていたら。

「いや、全然付き合ってないけど、なんで?」

 ちょっと拍子抜けだった。

「あ、付き合ってないんだ」

 ふう、と三橋は安堵の溜息をついて、いやね、と口を開いた。

「この間さ、本番中にあの子に対抗してめちゃめちゃ渡良瀬くんに胸を押し当ててたじゃない? まあ、四方山さんと比べたら小さいし、聖女様のおっぱいの前では誤差だったかもしれないけど」

「お、おう」

 ――なんて反応に困ることを言うんだこいつは。

 はいと言ってもいいえと言っても角が立つ。沈黙とは何と便利なものであろうか。

「ほら、もし付き合ってたんならさ、ちょっと申し訳ないかなって。付き合ってないんなら、まあ渡良瀬くんがちょっと得するだけだからいいんだけど」

「お、おう」

 ――だからなんて答えたらいいんだ。

 ありがとうございましたと言うのがいいのか、しかしそれではただキモいやつではないか。だが明良が得をしているのは間違いない。なにせ明良も女の子の胸に触れる経験などほとんどしてきていない。ラッキースケベと呼ぶにはやや人間の意思が介在していすぎているものの、あれを得と言わずしてなんと呼ぶべきか。

 色々と考えて明良がきょろきょろとしていると、はは、と三橋は笑った。

「何だよ」

「いや、意外と渡良瀬くんってヘタレだよねと思って」

「うるせぇ」

 明良がふてくされると、三橋はまたと笑った。

「なんで付き合ってるのかなって思ったかってさ、バス停まで行って四方山さんトイレ行きたいって戻ったからさ、渡良瀬くんと二人っきりになるために中学生みたいな待ち合わせでもしたのかと思って」

「普通にトイレ行きたかっただけだろ」

 実際、奏はあのあとトイレに行っていたし。

「まあそういうことにしておこうか、聖女様のためにも」

「なんだ、煮え切らないな」

 また三橋はと笑った。頬杖をついて、明良の顔をじっと見てくる。

「でもさ、私結構遊んでる男の子好きだから、新人大会のときは結構渡良瀬くんのこと狙ってたんだよね。四方山さんともすぐ仲良くなってたし、こう、実はもう二鷲の聖女様も渡良瀬くんの手に堕ちてるのかも、なんて思って。それはもうすごいテクニシャンなんじゃないかと思って」

「お、おう」

 ――だからなんでそんな反応に困ることばかり……!

「でもなんていうか、渡良瀬くんってヘタレじゃん?」

「そんな言うほどでもないだろ」

 いたたまれなくなって、なんとなく明良は抗ってみた。

「だって私たちが胸押し当ててるとき、意識しないように一生懸命だったじゃん。遠目で見たらわからないかもしれないけど、近くで見てればわかるよ」

 特に意味は無かった。何も反論するようなことはない。その通りなのだから。

 そこまで言うと三橋は立ち上がって、体育館の外が見える窓のところへ行って、外を眺めはじめた。

「ヘタレと言えばさ、四方山さんの方はむしろ、案外強気だね」

「強気?」

 そ、と三橋は外を見たまま答える。

「ま、敵にしたくないタイプっていうか、なんていうか。まさか舞台上で脚本に沿って本気で睨まれるとは思わなかったよ」

「本気で睨まれてたのか? あれ」

「超本気だったからねあれ!」

 急にでかい声を出して、三橋は振り返った。

「すっごい怖かったんだから」

「そ、そうか……」

 女同士にも色々あるのだろう。あまり深くかかわらない方がいいような気がして、明良はそっと別の方を向いた。

「ていうか、高校生でそんな遊んでる奴なんているもんか?」

「いるよ! そりゃもう渡良瀬くんと同じような顔付き髪型で、流れるように女を誘って高校生のくせにホテルに誘いこむような男!」

 ――声でか。

「それこそ、胸を押し当てたらさりげなく揉んでくるみたいなタイプ! 私、ああいうのが好きなんだ…………」

 三橋の顔には恍惚とした表情が浮かんでいる。

 ――おっと?

 明良の心に浮かぶ、いつかと同じような疑念。というか、一例、かわいい顔してむっつりすけべというのを知っている。明良の疑念は三橋の表情の変化と共にどんどん確証に近づいていく。

「でもさ、そういう男をさ、自分一人に目を向けさせて落とすのが一番楽しいんだよ! 分かるかなあ、それまで遊んでたのに、途端に遊ぶどころじゃなくなって余裕がなくなっていくあの感じが……NTR寝取られとはちょっと違うんだけど……」

 ――完全にヤバいやつじゃねーか!

 完全に目は明後日の方向を向いて、かつて落としてきた男のことなのか、あるいは妄想の中なのか、どこかへ意識が飛んで行っている。なんということだろう、明良の部活の同期にはまともな女子がいないではないか。

 というか、これなら奏が可愛らしく見えてくる。

「はは」

 明良の口から漏れるのは乾いた笑いばかりで、もうこれ以上どうすることもできなかった。明良の力量では、この場を治めることは到底できない。

「ちゅ、中学ではそういう男と付き合ってたのか?」

 明良にできることと言えば、そのまま話を聞いてやることばかりだった。

「付き合ってたよ、勿論。でもやっぱ中学だとそういう感じ出しておきながら経験はなくて、いざ本番ってなったらヘタレ丸出しの奴が多かったんだよね。はあ、ガン萎え」

「そ、そうか……」

「その点渡良瀬くんは、最初の印象こそそんなだけど、話してみたら鼻に掛けてる感じもないし、ああいうのよりよっぽどいいよ」

「そ、そうか…………」

「やっぱりダサいよね、いざってときに勃たないとかさ」

「お、おう」

「ゴムのつけ方も知らないとかさ」

「そ、そうか………………」

 真面目そうな顔をして何ということを言うのだろう。人の印象などアテになるものではない。というか、それは明良も知らない。

「あ、ごめんごめん、童貞には刺激強すぎたかな」

「おいこら言っていいことと悪いことがあるだろ」

「非童貞が胸に手が当たったくらいであんなに動揺するわけないでしょ」

「イキってすいませんでした」

「まあ頑張んなよ、渡良瀬くん。応援してるから」

「はあ、どうも」

 三橋は明良の肩にぽんと手を置いて、哀れみの表情を浮かべたあと、部室を出ていった。

「なんだったんだ、アイツ……」

 三橋が出た数秒後、また扉が開く音がする。

「あ、明良くん…………三橋さんと何か話してたんですか?」

「ん? ああ、まあ、三橋が性癖開示し始めたから、聞いてた」

「性癖?」

 奏に、三橋の語った性癖をつらつらと語ってやる。人の好みの話を勝手にするというのも如何なものかと自分で思うが、明良はこの感情を誰かに共有しないとやっていられなかった。なんと傍ら痛いことだろう。

 話を聞いてる間、奏はころころと表情を変えていた。

「三橋さんは、経験が豊富な方なんですねぇ……ちょっと意外です」

「らしいな。そりゃヘタレって言われるわ」

「またヘタレって言われたんですか」

「言われた。妹といい母といい、何なんだ」

 ふふ、と奏は微笑んで、明良の隣に座る。

「まあでも、明良くんらしくていいと思いますよ、私は」

「らしいねえ」

 まあでも、と奏は机にぺたんと顔をつけて、顔だけ明良の方を向いて言う。

「雅ちゃん、彼氏いるらしいですよ」

「はぁ⁉ あいつに⁉ てかお前なんでそんなこと知ってるんだ?」

「LINEで話してて流れで聞いたんですけど」

「どんな流れだよ」

「そりゃあ、女の子同士恋バナの一つや二つくらいありますからね」

 ――まあそれもそうか。

「お前にもあるのか」

「ありますよ、勿論です」

 ふふ、奏は笑う。

「いつか明良くんにも教えてあげます」

「お、おう……」

 今日はなんだか、女の子に振り回されてばっかりではないか。釈然としない気持ちになりながら、でも少し、奏の恋バナとやらは気になるなと思うのだった。少なくとも、三橋の遍歴よりは。

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