第三章「砂漠のドラゴン編」第6話「伝説」
「ハァハァ…こいつで最後か?」
ガラは、おそらく最後の1匹であろうバジリスクの首元に剣を突き立て、その場にしゃがみ込んだ。
懐から(古代技術の通信道具)トレモラームを取り出し、話し出した。
「こちらガラ。おそらく最後の1匹を仕留めた。そっちはどうだ?」
トレモラームから、ドロレスの声が聞こえる。
《ガラ!よかった!多分あんたのとこが1番多かったよ!お疲れ様!歩兵たちはどう?》
ガラは、辺りを見回した。
魔物の死骸の山が広がっているが、歩兵たちの死体もいくつかあった。遠くの方で何人かヨロヨロと歩いているのが分かる。
「こちらは、ほとんどやられちまったみてぇだな。俺以外は数名ってとこだ」
ヴェダーの声がする。
《ガラよ!よくやった!空から確認したが、やはりそれで最後のようだな。パンテラにやってきた魔物はもういない。》
エズィールの声も聞こえて来た。
《全体的に被害状況を把握している。およそ、半数が生き残っているな。よくやった!あの数をよく凌いだ!我々の勝利だ!》
魔王の復活から、およそ一ヶ月。人類は、未だかつてないほどの魔物の軍勢を討伐したのである。
暫定王国パンテラでは、怪我人の治療や、破壊された外壁の修理などが行われていた。
夜には、亡くなった兵士たちの追悼式がトレント王を中心に行われた。人々は、悲しんだが、絶望や恐怖よりも、戦って魔物たちを退けたことの喜びの方が大きかったのである。
ヴェダーがペガサス隊と共に、サーティマへ再度偵察に向かい、新たな魔物の出現がなくなったことを確認した。
そして、パンテラ領主の館では、軍法会議が行われた。エズィール、ヴェダーが被害状況を報告。また魔物の数や、種類、襲撃の形態など様々な状況も報告されていった。
そして、ボンジオビより、さらに報告があった。
「諸君、今回の戦いは、皆の団結と準備によってもたらされた勝利と言ってよい。本当に素晴らしいことだ。しかしながら、魔王は未だにどんな手を使ってくるか分からん。そこで再度、過去の文献を漁り、調査してみた。そうしたところ、一つの仮説を立てることが出来た」
ボンジオビの調査によると、魔王は魔物たちを生み出す時に、一定のエネルギーを要するという。そしてある程度の数を生み出した後、再び休息を取る必要があるという。
それが、今回復活からおよそ一ヶ月を要したことから、次の襲来はおそらく一ヶ月後である可能性が高いというのである。
「もちろん、この仮説を証明するのは、また一ヶ月間を待たねばならない」
パンテラ領主オジーが答えた。
「このままたった一ヶ月間では、次また魔物の軍勢が来たらもう勝ち目はないぞ。他国からの応援も間に合わんだろう」
ボンジオビはゆっくりと頷く。
「さよう、だがむしろこの仮説を信じたい。もし、明日また魔物が来たらもう終わりだ」
一同に緊張感が走る。そこで、ドロレスが発言した。
「その仮説、確かに的を得てると思うな。だって、もしそれが違うなら、魔王はもっと魔物を出して数で圧倒してくるはずだ。なぜまた静かになったのか説明がつかない」
ヴェダーが、続けた。
「であるならば、この一ヶ月が勝負だ」
ヴェダーが言う「勝負」とは、四つの民と、勇者の末裔の捜索、そして、魔王封印の秘密を解くことである。それを約一ヶ月で行わなければならない。
「ただ、一ヶ月まるまる捜索に費やすのはダメだ。準備が必要だからな。3週間で戻ってきて、1週間で準備し、最終決戦だ」
ヴェダーの提案に皆納得した。また、ヴェダーが言うところの「スピードが大事」というのもその通りである。
そして、捜索隊が割り振られる会議が始まった。
まず、水の民の捜索である。マコトが言った。
「これは、もともと拙者が親父から託された一人旅。武士の情けで、一人で帰らせていただきたい。ですが、捜索は必ず迅速に行い、水の民を連れて来るとお約束しよう」
よって、水の民の捜索は、マコトが単独で行うことになった。
そして、砂漠の国「サーバス」へ向かい、勇者の捜索をする人選である。それにはまずガラが選ばれた。火の民である彼は、暑さに強く、実力もある為である。また暑さが懸念される為、全身羽毛のエズィールよりも、セレナが選ばれた。
その時、ヴェダーが発言した。
「そこに俺も同行しよう!」
ガラはヴェダーを睨み付けた。ヴェダーは、咳払いして、話し出した。
「コホン、勇者の末裔の捜索と、封印の秘密を探るのは、二人だけだと何かと厳しいだろう。ここにはもっと人数を割くべきだ。本来なら知見のあるエズィールが行くべきだが、俺も勇者の文献は、昔読んだことがある。であるならば、俺しか適任はいないだろう?」
そして、フリンが手を上げた。
「はい!あたいもガラを手伝う!」
ヴェダーは、フリンを見て言った。
「子猫ちゃん、君はダメだ」
「えっ!なんでよ?」
ヴェダーは、フリンを見ながら言った。
「砂漠の国だぞ?そんな全身毛むくじゃらでは、暑さに耐えられんだろう。三人でよい」
フリンはその言葉を聞いて、憤慨したが、引き下がらざるを得なかった。何故なら、彼女は本当に暑さに弱かったのである。
「フリンには神聖ナナウィア帝国へ、エズィール、サンボラと共に行ってもらうのが良いだろう」
サンボラは、神聖ナナウィア帝国出身である為、外せない。エズィールの知見も利用したい。そこをサポートする役目である。
そして、体の大きなチドはパンテラに留まり、魔物の襲来に備え、防衛の責任を担うことになった。ドロレスは、空を飛ぶのが苦手だと言うこともあったが、パンテラ周辺の地理に詳しいとのことで、チドと共に防衛にまわったのである。
エズィールが言った。
「問題は、私がここを離れるということは、オーブから離れるということ。その期間、魔法の結界が解かれてしまうということであるな…」
ヴェダーは返した。
「エズィール、それは心配に及ばん。ペガサスで既にトトへ救援を要請してある。エルフの魔法使いたちが集結し、ここに結界を張ってくれる」
「へぇ、あんたやるじゃん」
ドロレスが感心した。ヴェダーは、ドロレスを見て言った。
「今頃気付いたのか?俺は完璧なんだよ」
その時、ヴェダーは、チラッとセレナの方を見た。しかし、ガラがヴェダーの方を睨み付けており、目が合った。ヴェダーは、すぐさま目を逸らした。
「よ、よし、皆の者、捜索隊はこれで文句はないな?」
その時、会議室のドアが開き、何人かの人間が入ってきた。
「はいはい、話はまとまったかい?これは、あたしたちからの差し入れだよ!」
その声を聞いたセレナとドロレスは、懐かしさと暖かさに包まれた。
「マリル!こっちに来てたのか!」
マングー村の温泉宿の女主人マリルと、ルワンゴたちである。彼らマングー村の住人たちも、魔物の襲来に備えて、パンテラへ避難していたのであった。セレナは再会を喜び、抱き合った。
マリルは、彼ら捜索隊の皆に「マリル特製ドリンク」をたくさん用意し、ルワンゴは、息子のトゥインゴと共に、捜索隊に新たな武器を用意してくれていたのである。
ー次の日の朝。
それぞれの旅立ちの朝である。
各々は、魔物が再び襲来するであろう、約一ヶ月という短期間で四要素の民と、勇者の捜索、また魔王封印の秘密を明かさねばならない。
まさにまったく勝ち目のないギャンブルのような任務であり、それに人類の未来がかかっている。しかし、人類はその賭けにのるしかないのであった。
パンテラの門近くには、彼らの旅立ちを見送る為、住民たちのほとんどが集まってきていた。物凄い群衆である。彼らはすっかり国の英雄になっていた。
「セレナ!」
セレナが振り向くと、群衆の中から一人の少女が駆け寄ってきた。マリルの一人娘ルナであった。セレナはルナに抱き付いた。
「必ず生きて帰ってきてね!約束!」
セレナはかたい握手をし、約束を誓った。
「ドラゴンねーちゃん!」
またセレナに駆け寄って来る子供たちの姿があった。彼らは獣人やエルフなど亜人種の子供たちであった。
「あっ!あなたたちは!」
彼らは、以前ガラと初めてパンテラに訪れた時、奴隷商人の旅団から救出した子供たちであった。
セレナは再会を喜び、彼らを温かく抱擁した。
ヴェダーは、そんなセレナの姿を目を細くしながら見つめている。
「なんと、人望もある素晴らしい女性なんだ…」
ガラは、そんなヴェダーの様子を見て先が思いやられる気がしたのである。
「さあ、皆!出発の準備はいいか?」
門に集まって来たのは、民衆だけではなく、トレント王、領主オジーなどもいた。まさに国をあげての送迎であった。
「皆のもの、神のご加護を!どうか無事であれ!」
マコトは、ペガサスに跨り、颯爽と空を駆けて行った。
「では、しばしの別れじゃ!行って参る!」
そして、エズィール、サンボラ、フリンたちも出発した。フリンはエズィールに乗り、サンボラはペガサスに跨った。
「必ずや、土の民を連れて帰るぞ!」
最後に、ガラたちである。
ドラゴンに変身したセレナにガラが乗り、ヴェダーはペガサスに乗った。
「よし、では行ってくる!チドよ!留守を頼む!」
ヴェダーがチドに向けて言うと、セレナがガラに思念で伝えた。
《あれ?ドロレスは?》
ガラは群衆を見渡した。
「おかしいな、見送りに来ないのか…」
その時、群衆の後ろから声がした。
「ま、待ってくれ〜!」
セレナとガラが声のする方へ目を向けた。
「ドロレス!」
ドロレスが、群衆をかき分けてやって来たのである。何やらドロレスは、革袋を背負っている。
「はぁはぁ、やっぱりあたしも行くよ!」
ガラは驚き、ドロレスに言った。
「行くって、お前、空は平気なのかよ?」
ドロレスは、ガラに言った。
「ああ、我慢する!あれからよく考えたんだ。これはあたしが行かないといけないってさ!」
ヴェダーは、ドロレスに言った。
「街の防衛は大丈夫なのか?」
ドロレスは、ヴェダーに向けて言った。
「ああ、チドだけで何とかなる。あと、街にはまだ魔導士や兵士たち、それにこれからエルフの魔法使いたちも来るんだろ?それよりも、このメンツの旅が1番重要だと思うんだ!」
ヴェダーは、ドロレスの言い分にあまり納得は行かなかったが、ドロレスは既にガラの前、セレナに乗っていたのである。
「セレナも嬉しいってさ」
ドロレスは、セレナの首をポンポンと叩いて言った。
「仕方ない、考えている暇はないか。では行くぞ!」
こうして、それぞれの使命の旅は開始されたのであった。
ーガラたちが旅立つおよそ一ヶ月ほど前。
ドワーフの統治する自治国家「シーマ自治国」
その外れに位置する川辺のほとりにある一軒の小屋。
そこには、かつてクァン・トゥー王国最強と謳われた戦士「勇者アマダーン」が居た。
しかし、もはやその男はかつての栄光とは程遠い姿で、静かにひっそりと暮らしていた。
「うぅっ…」
魔王に吹き飛ばされた左足首。エルフの回復魔法により、傷口は塞がったが、時折激痛に襲われ、眠れない夜が続いた。
生活するうえで、バランスを取らなくてはいけない為、木の枝で簡易的な義足を作り、革の紐で縛り付けていた。だがしっかり縛っていないとすぐに解けてしまう為、なるべくきつく縛らなくてはいけない。それにより、長時間履いていると、うっ血し、さらに痛みが酷くなるという有様であった。
「くそっ!なんという屈辱だ…」
そして、彼の眠れぬ夜の原因はそれだけではなかった。あの時、復活した魔王を目の前にし、赤子同然のようにあしらわれてしまった事、左足を失い、心を寄せていたエルフの竜アズィールをも失ってしまった日のこと。
あの日を境に、彼の栄光の日々は音を立てて崩れ去ってしまったのであった。
彼は夜になると、不安と孤独で心がずんと重くなり、涙が溢れて呼吸が乱れるのであった。なんと情けない姿であろうか。過去の自分がまるで今の自分を指差し、嘲笑っている気がした。情けないお前など、勇者失格であると、谷底に蹴落とされている気もした。
その時、アズィールの遺灰から拾った不思議な輝く石を見つめると、自然と心が落ち着き、ゆっくりと眠れるのであった。まるで、アズィールが彼に添い寝をし、頭を優しく撫でてくれているような感覚があった。
そんな日々を過ごしていたある日の朝、突然やってきた二人の母子により、彼の生活にまた少し変化が訪れたのである。
砂漠の国「サーバス」からやってきたという母子は、身なりはボロボロで、痩せ細っていたが、共に目には輝きがあり、何か信念を感じさせるものがあった。
母の名前は「ビョンセ」息子は「マーズ」といった。ビョンセはかつて宮殿に仕える魔法使いであったが、マーズを身籠った時に引退し、砂漠のドラゴン「アディーム」が祀られているという神殿で巫女として暮らしていたという。
サーバスでは、アディームを神聖なるドラゴンとして崇め、実際にその姿を見たものはいなかったが、神殿の地下に眠るオーブと共に、その伝承は大切に守られてきていた。
年に数回行われる祭事では、地下よりオーブが持ち出され、盛大に行事が行われていたという。
しかし、とある祭事の夜、ビョンセは突然の腹痛に襲われ、意識を失ってしまった。同時にお腹の中の子は、母の胎内から取り出されたが、息をしておらず、死産という悲しい結末を迎えてしまったのであった。
悲しみに明け暮れていたその日の夜、その子の亡骸の前に一人の男性が現れた。穏やかな笑みを浮かべ、うっすらと光輝くその姿を見たビョンセは、夢か幻を見ているのだと思ったが、まわりの巫女たちも同じようにそれを目撃しており、信じざるを得なかった。
男性はそっと赤子の亡骸に手を当てると、ふっと煙のように姿を消した。すると、突然赤子は息を吹き返し、ぎゃあぎゃあと泣き出したという。
ビョンセと巫女たちは涙を流して喜び、これはアディーム様の御計らいであると、感謝に打ち震えたのであった。
そして、その少年はサーバスの言葉で「勇気ある者」という意味の「マーズ」という名を付けられ、すくすくと成長していった。
その子が8歳の誕生日を迎えたその日の夜、ビョンセのもとに再びあの男性が現れた。
男性は、ビョンセに「マーズと共に、エルフのドラゴンの危機を救え」という言葉を伝えた。
ビョンセは何事が理解する前に、その男性は、ドラゴンへと姿を変え、空に飛び立っていったというのである。まさしくあれはアディームの姿であり、その言葉はお告げであるとビョンセは信じてやまなかった。
「わたくしは、この子を勇敢な勇者に育てようと必死でした。だって、あのお方が命を下さったのですもの。この子が特別でない理由などないではないですか」
アマダーン、今となっては「ダン」という名の男は、黙ってその話を聞いていた。そして、ビョンセに聞いた。
「その、少年…マーズの大いなる力とは何なのだ?」
ビョンセは語り出した。
サーバスの神殿から旅立った彼らには、当初護衛が二人にラクダも一頭ついていたそうだ。しかし、国境付近に差し掛かった時に、盗賊に襲われ、捕えられてしまったという。その時に、二人の護衛は殺され、ラクダも持っていた物もすべて奪われてしまったそうだ。
絶望の淵にいた時、マーズが突然暴れ出し、盗賊たちを一人残らず倒してしまったのだという。
「でもそのあと、この子は意識を失ってね。目が覚めたら、何も覚えてないって言うの。でも、私は確かにこの目で見ました。あれはまさに勇者よ」
ダンはにわかに信じ難かったが、勇者という言葉に最早何の縁もないと思っていた彼には、不思議な繋がりを感じていた。
「なぜ、勇者と分かる?その力の他には…」
ビョンセは、サーバスに伝わる勇者の伝説を話し出した。そして、アディームの神殿こそ、伝説の勇者の墳墓(ふんぼ)、即ち墓であるという。
「我々サーバスの民は、古来より古(いにしえ)の勇者と共にアディーム様を崇めていました。しかし勇者の血脈は途絶えており、今でいうところの勇者英雄隊こそ我が国にもありますが、それとはまったく別のものなのです」
確かに、ダンはかつて勇者英雄隊としてサーバスを攻め入った時に、サーバスの勇者を葬っていたのである。
「なるほど…ふん、名だけの勇者ということか…」
ダンは少し自嘲するような顔をした。
「我々アディーム様に仕える巫女は、勇者復活の予言を信じ、日々祈りを捧げてきました。そして、それがまさに起こったのです」
しかしダンは悲しげな顔をした。
「だか、エルフのドラゴンはこの世からなくなり、魔王が蘇った…」
ビョンセは、驚いた。
「な、何ですって!魔王が!」
その時、外からマーズの声がした。
川原で遊んでいるようだ。
ダンは、静かに自分のここまできた経緯を話した。本来なら彼は、自らの過去を他人に語ることなど決してしなかった。しかしなぜかこのビョンセという女性には聞いて欲しいと思ったのである。それは、自らの栄光ある過去を、自分という存在を、確かめたかっただけなのかもしれない。たった一人、目の前のこの女性でもいい。改めて自分が生きていることを証明したかっただけなのかもしれない。
ビョンセは、ダンの過去を知り、ほろほろと泣き出した。
「おいおい、何もそこまで同情せんでも…」
ビョンセは首を振った。
「いいえ。私は、確信したのです。この不思議な縁(えにし)こそ、勇者の伝説が真実であることの裏付けであります。ダン様。どうか、この子を、マーズを貴方様に託したいのです。どうか、貴方様こそがこの子に相応しい。身勝手だとは思いますが、どうか!お願い致します!」
ビョンセの突然の願いに、ダンは戸惑いを隠せなかった。
「な、何をいう!俺はもう何もかも失った男だぞ!」
ビョンセは、深く頭を垂れながら涙を流して訴えた。
「ダン様!私はもう、身も心もボロボロでございます。長旅で病を患い、最早命尽きる身。この不思議な縁こそ、すべて意味のあることなのです!」
ダンは考えたが、まだ答えは出なかった。
まさか自分の元に勇者の末裔が現れ、託されるとは。この子を育て上げ、あの魔王と戦わせろというのであろうか。ダンはこの運命の悪戯とも言うべき事態を飲み込むのに必死であった。
ダンは考えさせてくれと言い、母子を一晩泊めてやることにした。
そして、次の日の朝…
ダンは、少年の泣き声で目が覚めた。マーズがビョンセに覆い被さり、泣き喚いているのである。
「どうした坊主。お母さんの具合でも悪いのか?」
ダンは眠っているビョンセの顔に触れた。
なんとビョンセは冷たくなり、そのまま息を引き取っていたのである。
マーズは泣きじゃくっていた。
ダンは昨晩のビョンセの言葉が脳裏に焼き付いて離れない。
ダンはビョンセの亡骸を燃やし、アズィールの墓の隣に埋葬した。
ダンは、泣きじゃくるマーズを見て言った。
「坊主、俺は父も母も知らない。たった一人で生きてきたんだ。お前もこれを乗り越えるんだ」
マーズはひくひくと震えながら、必死で涙を拭い、悲しみを堪えていた。
ダンはビョンセの願いに対して、はっきりとした回答を出せなかった。しかし、答える前に彼女はこの世を去ってしまったのである。
このままこの少年を放っておくにはあまりにも冷酷だとも思った。
その時、ダンは驚いた。
天涯孤独で生きてきた彼は、勇者として他国を攻め入った時、すべてを焼き払い、女子供も、容赦しなかった。
徹底的に他国の「魔王」を完膚なきまでに叩き潰していったのである。次第にまわりからは、鬼神だとか、修羅だとかと恐れられていた。そんな自分が、たった一人の少年のことを放っておけないと思ったのである。
自分にはまだそんな人の心が残されていたのかと驚いた。そして、その人の心を取り戻してくれたのが、アズィールであったと彼は思った。
アズィールとの旅は、ほんの一瞬のような出来事であったが、彼女と出会ってから確実に何かが変わったという実感があった。
「アズィールよ…」
彼の首に掛けられている不思議な石がぼんやりと光った気がした。
そして、ダンはマーズに話しかけた。
「坊主、俺はかつて勇者と言われていた男だ。お前は勇者のように強くなりたいか?」
マーズは、鼻をすすりながら、力強く頷いた。
ダンはニコッと笑い。マーズの肩に手をぽんと置いた。
「よし、これから俺がお前を鍛えてやる。覚悟しろよ!」
木漏れ日の中、爽やかな風が二人の間をすり抜けていった。
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