忘れがたき炎の物語
判虹彩
第一章「老龍編」
第一章「老龍編」第1話「竜の女」
深い森の中…男は剣を片手に持ちながら、森の奥をじっと見つめている。髭は無造作に生え、ボロボロのレザーアーマーに身を包んでいる。肘や肩、頬や瞼に傷があり、血が滴り落ちている。額には汗が滲み、頬から顎にかけて、血と混じり合いながらポタポタと流れ落ちている。
しかし男は微動だにせず、ただ森の奥を剣を構えながら凝視しているのだ。
ふと左の鼻の穴からドロっと血が垂れるが、すぐさまグイッと袖で拭き取りながら男は呟いた。
「くそったれ!3匹もいるなんて聞いてねえぞ…」
男が見つめる森の奥から大きな影が飛び出した。木の枝や葉を吹き飛ばしながら、大きな影は空へと浮かび上がる。
バサッバサッと大きな音を立て、その影は、少し森が開けた場所へと移動していく。
男は唾を飲み込み、その影の方向へ走り出した。
その影は、男の気配に気が付き、くるっと振り向いた。
「グオオオオーン!」
大地を揺るがすような咆哮。空気が震え、男の肌はビリビリと振動した。
頭に2本の角、口には鋭い牙、全身を鱗で覆われていた。
まさにそれは“ドラゴン“そのものであった。
ドラゴンはすっかり男を陽光から遮り、下にいる男をギラリと睨み付けた。
全身の鱗が陽の光を乱反射させ、キラキラと銀色に光り輝いている。
“シルバードラゴン”である。全長15メートルはあるだろうか。また翼はそのおよそ2倍はあるであろう。
バサッバサッと羽ばたいた風は、容赦なく男にぶつかっていく。尻尾は垂直に垂れ下がっており、先の方はゆっくりと左右に振れている。男は吹き飛ばされないように足を踏ん張っている。
そして男は、ドラゴンから目を離さず、剣を構えながらジリジリと後ろに下がった。そして、剣を持たない方の手を開き、くるっと手の平を上に向けた。すると手の平からボッと青白い火が出た。男は火をそのまま手に纏(まと)わせた。男は火を操る剣士であった。
「さあ、来やがれ!」
男がこう言うと、ドラゴンは一瞬ふっと上昇し、頭から男目掛け、物凄いスピードで突っ込んできた。そして、牙を剥いて襲いかかろうとした。その瞬間、男は火をまとっている手をドラゴンの方にかざした。
「ファズ!」
男の手から光球が放たれ、ドラゴンの目の前で閃光を放ちながら爆発した。
バーン!と物凄い音が森中に響き渡る。
ドラゴンは咄嗟に目を瞑(つぶ)り、ぐわっと首を曲げて向きを変えようとした。
その瞬間、男はくるくるっとドラゴンの腹の下に向かって前転し、持っていた剣を頭上で弧を描くように振り払った。ドラゴンの腹からブバッと血が吹き出す。あまりにも鮮やかな動きである。
ドラゴンは、グオオと叫びながら体制を崩し、ドーンという地響きと共に、地面に倒れ込んだ。
「やったか?」
男はドラゴンの方を振り返る。しかし、ドラゴンはすぐさま起き上がり、男の方に向き直した。
「ちっ!タフなやつめ!」
男はドラゴンの方を向きながら、ジリジリと横に移動し、もう一度片方の手に火をまとわせた。
ドラゴンは、今度は四足歩行で男と一定の距離を保ち、対角で円を描くように移動していく。
「ロロロロ…」と喉を鳴らしながら、男を睨み付けている。腹からはポタポタと血が垂れている。
男は火をまとわせた手を、今度は自分の横の地面に向けてかざした。その瞬間、手から火球が飛び出し、ボンと地面に穴があいたのである。そして男は、再びドラゴンと距離を取りながら横に移動する。
しかし男は段々と肩で息をし始めた。
「こ、このままだと俺の体がもたねえ…この技は使いたくなかったんだが…決めさせてもらうぞ!」
そう言いながら、男はまた地面に火球を放ち、穴を開ける。男は魔法剣士であるが、魔法使いではない。火の魔法は補助的に用いて戦うスタイルである。よって、戦いにおいては、魔力の配分を計算していないと、途中で魔力が尽きてしまい、劣勢に立たされてしまうのである。このまま戦いを続けていれば、ドラゴンより先に力尽き、敗北は免れない。男はここで決着させようと心に決めたようである。
しかしその時、ドラゴンは口を大きく開き、男目掛けて炎を吹き出した。
ゴオーという音と共に、炎が男を襲う。しかし、すぐさま男は横に転がり回避する。
「まだ分かんねえみてえだな!俺に火は効かねえんだよ…」
そう言いながら、またしても男は地面に穴を開ける。四つほど穴を開けただろうか。穴はドラゴンを囲んで外側に四隅に位置していた。
そして男は、ふうと一呼吸し、剣を両手に持ち替え、刃を地面に向けて突き刺し叫んだ。
「ファイヤーハウス!」
その瞬間、穴を開けた四隅の角の内側の地面から大きな火柱が立った。ゴオーという音と共に、火柱はみるみるうちにドラゴンを覆い尽くした。
「グオオオオン!!」
ドラゴンは悶絶しながら吠えている。
男は地面に突き刺した剣を握りながら、無言でドラゴンを見つめている。
その時であった。ドラゴンは男の反対方向にくいっと体制を向け、尻尾を男目掛けてぶつけてきたのである。
男は即座に反応し、剣から手を離し、後方へ飛んだ。
「ちっ!」
ドラゴンの尻尾が剣を吹き飛ばし、剣は粉々に折れてしまった。その瞬間、火柱がふっと消えた。
そして、ドラゴンはそのまま力無く倒れ込んだ。ドオーンという音があたりに響く。
男は膝から崩れ落ち、地面に座り込んだ。
「はぁはぁ…やったぞ!」
しばらくすると、ドラゴンはみるみるうちに縮んでいった。角、羽、尾、鱗は次第に消え去り、形を変えていく。頭からは銀色の髪が生え、鱗は白い艶のある肌に変わっていった。まさしく女の姿である。女はそのまま倒れ込んだ姿で、苦しそうにしている。
男は立ち上がり、脇から短刀を取り出して、その女に近付いていく。女は、カッと目を開き、男に顔を向けた。見た目は10代後半くらいであろうか。女は、必死の形相で男を睨みつけている。
「さあ、殺すがいい!」
女の目は、燃え盛る火のようにオレンジ色をしていた。先程のドラゴンと同じ色の目である。そして、銀髪は腰まで伸び、白い肌を半分程隠していた。
男は短刀を女に突きつけていたが、必死の形相で睨みつけている女の顔を暫く見つめた後、ふっと短刀を下ろし、懐に収めた。そして、くいっと後ろに振り向いて歩き出したのである。
「どうした!殺さないのか!」
男は女の声に気にも止めずに歩いていく。しかしながら、歩調はフラフラである。おそらく男は既に体力が限界なのであろう。女も立ち上がり、男に近付いていく。女も歩調はフラフラである。
「ま、待て!人間!なぜ私を殺さない!」
男は少し振り返り、また前を向いた。
「うるせえな…うちに帰んな。もう悪さすんなよ」
女は男を見ながら少し立ち止まった。
そして、すぐにまた男の方へ歩き出した。
「待て人間、どこへ行くんだ!」
男は少し鬱陶しそうに言った。
「なんだよ…俺はもうお前に用はねえんだよ」
そう言いながら、男は地面に置いてあった革袋を持ち上げた。そしてまた歩きだすと、そこには2体のドラゴンが倒れていた。
先程戦ったドラゴンと、ほぼ同じ姿かたちのドラゴンである。だが既に2体とも息はなかった。男が仕留めたのであろうか。男は無言のまま短刀で、ドラゴンの角や牙を抜く。そしてそれを淡々と革袋に入れていった。
女はその様子を男の少し後ろで、その所作をずっと見つめていた。
「それを売るのか?」
男は女の方をチラッと見ると言った。
「なんだ、まだいたのか…ああ、これは『証拠品』だ。ギルドで金に替えるんだ」
よし、と言うと男はまたしても歩き出した。女はすぐに小走りで男の後を追いかける。
「なあ、なあ、どこへ行くんだ?人間の棲家へ行くのか?」
「そうだ」
男は歩きを止めずに答えた。
女の姿は、まるで人間の少女そのものであった。先程戦ったドラゴンの姿とは到底似ても似つかない。女は、再び男に話しかけた。
「なぁ、人間よ!私もついていきたい!そこへ連れていっておくれ!」
男はピタッと足を止めて振り返った。
「…お前何言ってんだ?」
女は男の顔をじっと見つめて言った。
「お願いだ!あなたのお供にさせておくれよ!」
男はふぅーっと息を吐き、しばらく女を見つめると、言った。
「お供だと?お前、本当に街まで俺について来るってのか?」
女は、首を縦に激しく振って言った。
「お願いだ!お前の邪魔はしないから!」
男は暫く考えたが、肩をすくませて言った。
「…好きにしろ。どうなっても俺は知らん」
その言葉を聞き、女の顔はパッと明るい表情になった。そして、すたすたと男のすぐ後ろまで近づいていった。その時、男は振り返り女を見て言った。女はドラゴンがそのまま変身した為か、何も身に付けておらず全裸であった。
「お前、まさかその格好で付いてくるのかよ?」
男はそう言った時、突然目の前が真っ白になった感覚に襲われた。すると頭が割れるように痛くなり、頭を抱え込んだまま男はその場に倒れ込んでしまったのである。
ーどれ程時間が経ったであろうか、男はふと目を覚ました。すると目の前には真っ暗な空間が広がっていた。男は自分は死んだのかと思った。
しかし、次第に目が慣れてくると、どうやらこの真っ暗な空間の先には、表面がゴツゴツとした岩肌のような天井が見えてきた。そして少しカビ臭く、水滴の滴り落ちる音も聞こえてきた。
どうやらここは、広い洞窟の中のようである。男は起きあがろうと体を起こそうとした。
しかし、その瞬間、再び頭が割れるように痛くなり、男はすぐに横になった。数分したら頭の痛みは治まったが、今度は体中の傷が痛み出した。どうやら傷口から血を出し過ぎたようである。既に体は動かず、言うことを聞かない状態になっていたのである。
「くそっ…無理し過ぎた」
男は声にならないくらいの小さな声しか出なかった。しかし一体誰が自分をここまで運んで来たのであろうか、何も思い出せないのである。
すると奥から何者かが歩いてきた。
「目が覚めたか」
何か聴き覚えのある声だ。女のようである。その女は、焚き木にふうと息を吹きかけ火をつけた。ゆらゆらと火が当たりを照らす。女の姿が見えてきた。どうやらドラゴンから変身した女のようである。
銀髪は後ろで束ねられ、ボロボロの布切れのようなものを身に纏っている。
「…なんだ、お前の棲家か?」
男は消え入りそうな声で言った。よく見ると女の手には葉っぱが数枚握り締められている。女は男の側まで来てしゃがんだ。
「じっとしてろ…大丈夫。食ったりはしないよ」
そう言うと女は、握っていた葉っぱをおもむろに口に含み、くちゃくちゃと噛み出した。そして着ている布切れの端をびりっと破くと、そこにくちゃくちゃになった葉っぱをぺっと吐き出した。そしてそれを男の体の傷の部分にくっつけたのである。
うっと男は声を出すが、女は言った。
「竜の薬草だよ。傷が治るんだ。じっとしてろ」
確かに男は傷口がじんわり温かくなっていくのを感じた。すると女は再び奥へと戻り、また男の側にやってきた。しかし次は口に何かを含んでいるようである。男のすぐ横に座ったかと思うと、男の口へ自分の口を付けた。男は驚いたが、まだ体が言うことを聞かない。しかしその瞬間、口の中に冷たい液体が流れ込んでくる。女は口移しで男に水を与えたのだ。
「飲め」
そう言うと女は、また洞窟の奥へと戻り この動作を二、三回繰り返した。
そして男はそのまま眠りに付いてしまったのである。
ーその夜、男は夢を見た。
燃え盛る家々、逃げ惑う人々、そしてたくさんの叫び声や泣き声。
そんな中、男は何かを必死で探していた。家屋や通り、池の周りや家畜の納屋、そして、ある家の前で倒れている女性を見つけると、男はぐっと抱き寄せた。
「ウラ!俺だ!目を覚ませ!」
「あ…あなた…」
ウラという女性の衣服は、ほとんど焦げており、意識は朦朧としている。
「ウラ!しっかりしろ!」
男は必死で声をかけ続けたが、ウラはそのまま男の腕の中で息を引き取ったのであった。
「ウラ!!」
その瞬間ハッと男は目を覚ました。
隣にはすーすーと、寝息を立ててドラゴンから変身した女が眠っている。おそらく、彼女は一晩中男を看病していたのだろう。男は体の痛みがすっかり引いてることを実感した。
「こいつはすげぇな…」
そう呟くと、男は起き上がった。もう頭痛も起きなかった。寝ていた場所の近くには、男が装備していたレザーアーマーが置いてあった。男はレザーアーマーを手に取り、素早く着用しながら洞窟の外へと歩いて行った。そして、再び森の中へと入って行ったのである。
女が目を覚ますと、薪火がくべられ、男が火の側に座っていた。男は、串をくるくると回しながら肉を焼いている。焚き火の周りには幾つかの串焼きにされた肉が地面に刺さっていた。男は女が目を覚ましたのを見ると、串を一つ取り、女の目の前に差し出した。
「ほら、食え」
その肉を女にやると、女は夢中でそれに食いついた。
男は女が肉に貪りついているのを優しい表情で見守り、すくっと立ち上がった。
「じゃあ俺は行く。傷、治してくれてありがとうな」
男がそう言うと、女はぱっと立ち上がり言った。
「お願いだ!私も連れて行ってくれ!あなたの邪魔はしないから!」
男はしばらく考えると、再び女に言った。
「…ホントにどうなっても知らねえぞ」
女はぱっと笑顔になり答えた。
「うん!ありがとう!人間!」
男はふっと笑い、言った。
「俺は…ガラってんだ」
女は、笑顔で答えた。
「ガラ!私はセレナ!」
セレナは嬉しそうにガラに付いて行った。
森の向こうから朝陽が登り、二人の影を洞窟の出口に映し出した。
この不思議な出会いが、これから始まる壮大な物語の幕開けであることは、この時はまだ誰も知らなかったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます