イクラDOOM

ほわほえ

イクラDOOM

 正午過ぎ。

 俺はいつものようにとある丼もの屋の席へと座る。

 オフィス街に構えるこの店のランチタイムはいつも盛況だが、丼ものという特性上か回転率が良く待たされることはない。

 限られた昼休みを有効活用したいサラリーマンにとって、そこはこの店の魅力の一つでもあるのだが、俺がこの店に通い続けるには別の理由があった。


「すみません、注文を……」

「はいはい! いつものね!」


 俺が席に着くや否や、いつものパートのおばちゃんは俺の言葉を最後まで聞くこともせずに注文を通す。まぁそれで全然いいのだが、俺がいつもの気分と違って別の物を食べたかった時はどうするのだろうか。俺だったら確認は怠らない。もし相手のことを考えて良かれと思ってした行動でも、あとからひっくり返されれば自分の責任だ。そのことは数年前の失敗で思い知らされている。

 注文が運ばれているのを待つ間、俺はスマホを眺める。

 憂鬱な気分で眺めるそのスマホはSNSのアプリが開かれており、そこに流れてくる内容はさらに自分を憂鬱にさせてしまうものであった。どうやら、友人に二人目の子供が出来たらしい。その投稿には他の共通の友人からもたくさんのお祝いのメッセージが書き込まれている。

 俺はそれを見て、大きくため息を吐いた。俺は友人のその投稿に、お世辞でも『おめでとう』と言ってやることはせず、画面をスクロールして流していく。

 大学時代の友人だったが、どうしてこうも差がついてしまったのか。友人は一流企業に就職し、20代半ばで結婚。そして30代にしてもう二人目の子供をこさえている。

 対して俺は就活があまりうまくいかず、ブラックとまでは言わないものの、残業が多い毎日を過ごしていた。20代の頃はまだ結婚を考えてそれなりに活動していたが、今はもうその元気すらない。毎日の残業の疲れを癒せばたった二日の休日などあってないようなものだ。

 そうやってぐずぐずとネガティブな思考を巡らせていると、自分の席に注文が運ばれる。


「お待たせしました! こちらいつものね!」

「はい。ありがとうございます」


 そこに運ばれてきたのは上面が一色にキラキラと輝く、まるでこの陰鬱な生活を彩る光明。俺がここの店に通う理由、それこそがこの『イクラ丼』であった。

 俺は手を合わせることもなく、すぐにそのイクラ丼に箸を入れる。大切に米の山の上でバランスを保ちながらイクラごと持ち上げ、その体勢を崩さないように口に運び入れる。プチプチとイクラがはじけ、醤油の味が米に染みわたり、なおかつその鋭い塩味がちょうどよい塩梅に変わる。何度食べても飽きることないこの味に、俺はすっかり魅了されていた。

 俺は特別理由がない限り、平日のランチタイムはここで過ごす。つまり、週五でイクラ丼を食べているわけだ。ここのイクラ丼は1500円と、イクラ丼にしてはリーズナブルであるが一介のサラリーマンがランチに使用するには少々贅沢だろう。

 しかし、特に趣味もなく残業続きの生活を送っている自分にとってはこのぐらいの出費はなんとでもない。むしろ、こういう時ぐらいにしかお金を使うタイミングなどないのが現実だ。

 それ故か、俺は一心にイクラ丼を食べ進める。1500円という一般のサラリーマンにしては贅沢とも言えるその料理を、チマチマと慎重に食べるような真似はしない。最初は一口一口、口まで運んでいたその食べ方もある程度食べ進むにつれ丼を持ち上げ、かき込むフォームへと変わる。

 やはり、豪快に食べるのが自分の性に合う。その味もさることながら、俺がイクラ丼を好む理由は"もう一つ"あった。


 イクラ丼が持つ、他の丼ものにはない特性、それは――"命の多さ"だ。


 イクラ丼というのは魚卵と米で構成されたもの。魚卵とはそれすなわち、粒のひとつひとつが命なのだ。そして、米というものも一粒一粒に神が宿るとされている。俺のこの一食に、数多の命が宿っている。米という大地に、イクラという栄えた命。大袈裟に例えるなら『地球』と言っても過言ではない。そしてその数多の命を、俺は容赦もなく胃の中に流し込む。その背徳感こそがイクラ丼を選ぶ理由であった。

 この店には他にもたくさんのメニューがある。例えば丼ものの定番、牛丼。この一食で牛の命一頭分足り得るか? 答えは否。五種もの魚介がその器を彩っている海鮮丼。それぞれの魚一匹分の命足り得るか? 答えは否。海老天をメインに、季節の野菜が乗った天丼。せいぜい海老一匹分。であれば、どのメニューが一番多くの命をいただけるか? その答えこそが、『イクラ丼』なのだ。

 同年代の友人はすでに命を育んでいるというのに、俺は命を生み出すこともせずただ闇雲に命を"消費"している。自分でも歪んだ性格だとは思っているが、人への妬み、自身への失望、そしてこんな世界への復讐。そのドス黒い感情を昇華させるのに、この『イクラ丼』は最適であったのだ。

 俺はイクラ丼を食べきると、お冷で食道を通っていた途中の米を流し込む。友人の朗報——俺にとっては凶報なのだが、それのせいでいつもより食べるスピードが速まっていた。少し胃を落ち着かせようと、再びコップにお冷を注ぐ。

 ふと友人のことを思い返していると、そういえば友人とその妻は俺も同席していた合コンで出会ったのが馴れ初めだ。俺にも同じタイミングでチャンスがあったのだということを意識すると、また深く落ち込むためにこの記憶は封印していたのだがついそのことを思い出してしまう。

 あの時の合コンはあまりいい思い出がない。確か、乾杯後に俺が料理に手をつけたとき、前に座っていた女子に言われたんだよな。


「あれ? ——くんって『いただきます』って言わないの? 育ち悪ーい」

「……え?」


 あまりに唐突だったもので俺は何も言い返すことができなくて、その場は友人が笑いに変えてくれたんだっけか。もしあのまま割って入ってくれなかったら、俺は空気を悪くしていただろうな。

 俺が『いただきます』と言わなかったのは、『親の教育が悪かった』だとか、『言い忘れてた』だとかではない。ただ個人的に、『いただきます』という言葉に懐疑的だったのだ。

 そもそも、なぜ『いただきます』と言うのか。すぐに思いつくのは『命への感謝』と『作り手への感謝』だろう。感謝の心を持つということは大切だ。自分も作り手が目の前にいるのであれば『いただきます』の一言ぐらい言うだろう。ただ自分が変だと思うのは、感謝の心を持っているのならわざわざ口に出す必要や、それを周りにアピールする必要などないということだ。

 あの時の居酒屋の場面、もちろん席の近くに作り手などいない。なら、作り手への感謝をその場で述べたところで、作り手には届かないだろう。

 そして『命への感謝』という視点に置いても同じだ。目の前の命はもうすでに死んでいる。例え生きていたとて、自身の感謝の念など伝わらないだろう。そしてまた仮に言葉が通じたとて、感謝を伝えたところで『食べられる命』にとってのそれは『処刑宣告』以外の何物でもない。それが礼儀とされているのは、どうも自分は納得がいかなかったのだ。

 その代わりといっては何だが、俺は命への感謝を『言葉』ではなく『行動』で示すことにしている。好き嫌いをしないのは当然のことで、出されたものは全て食べきる。アレも食べれない、コレも食べれない、量が多くて食べきれない。その方が『いただきます』を言わないよりもよっぽど"育ちが悪い"と思うからだ。

 自分が何かに食べられようとするとき、捕食者が感謝の念を伝えてきたら自分はそれで納得か? そんなことは決してないだろう。なら容赦なく、微塵の慈悲もなく、ただ食らい尽くす。それが自分の考える礼儀だった。

 あの合コンもそうだった。結局、酒が進んで判断能力が落ちているところで追加注文をした結果、大量の食べ残しがあった。その現状に何も思わないまま『いただきます』という言葉に固執したところで何も意味はない。

 考えに耽っていると、つい時間を忘れてしまっていた。腕時計の針を見ると、いつもの退店時間より三分も長く居座ってしまっている。オフィス街の飲食店で、無駄に長居をするのは禁物だ。俺はすぐに席を立とうとしたとき、どんぶりの底に目が行く。丼の底には、一粒の赤く輝く星。どうやら、一粒だけ口に運び損ねたものがあったらしい。

 俺は再び箸を取ると、器用に一粒のイクラを箸で掴んで見せる。育ちが悪いだ? じゃあお前はこれぐらい箸を綺麗に扱えるってのか? もしあの時、友人が割って入ってなかったら、こんなことを言ってしまっていたかもしれない。

 俺は最後の一粒を奥歯で噛み、溢れ出た汁を最後まで味わい尽くす。飲み込み、そして俺の礼儀が完了する。


「ごちそうさまでした」


 俺がそう言って席を立つと、パートのおばちゃんがすぐその場で会計を始める。

 さて、会社に戻ればまた仕事だ。この至福の時間を終えると、毎度のことながら死んでしまいたくなる。また大量の仕事と責任の押し付け合い。全く、食材の命に感謝する暇があるのなら、今生きている命にも感謝してほしいものだ。

 そう思いながら、俺は店の自動ドアを抜けてその重い足取りで会社へと再び赴く。

 すると、その瞬間に俺は大きな違和感を感じた。やけに外が騒がしく、そして真昼間だというのに空から巨大な影が落ちていた。

 見上げると、その空には巨大な円柱状の物体が聳え立っており、その根元は地平線の向こう側へと消えている。

 街の巨大ディスプレイには、とあるニュースが速報で流れていた。


「現在、突如宇宙から飛来した謎の円筒物が地球目掛けて接近しております! 二つの円筒物は地球の両側を通過すると、次第に距離を縮ませ、まるで地球を掴もうとしているかのようです!」


 その報道を聞いて、さらに外は騒がしくなる。道行く人々は慌てふためき、接近しているその飛来物の影響か、風が凄まじく吹き付ける。

 なんだ、一体どうなってるんだ。俺は状況が把握できていないものの、その心は不思議と落ち着いていた。

 そして、その時。空から鈍く、大きな声が聴こえる。


『 イ タ ダ キ マ ス 』


 なんだ……。

 思ったより悪くないじゃないか……。

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