第10話「そして伝説へ、おやすみなさい」

 魔王が、枕を干すための生活魔法によって消滅し、世界には本当の平和が訪れた。

 瘴気は完全に晴れ渡り、空はどこまでも青く、大地には再び生命力が戻ってきた。人々は「眠れる賢者」の偉業を讃え、彼を救世主として、いや、もはや神のごとく崇めた。

 そして、当然の帰結として、ユウマの家には、感謝を直接伝えようとする人々が世界中から押し寄せることになった。アルストリア国王をはじめとする各国の王侯貴族、神殿の関係者、そして、新たに生まれた「賢者教」の巡礼者たち。

「奇跡の森」は、これまでで最大の賑わいを見せ、ユウマの家の前には、連日黒山の人だかりができた。彼らは結界の中には入れないが、外から昼夜を問わず、賛美の歌や感謝の言葉を叫び続けた。

「賢者様! 我らをお救いくださり、ありがとうございます!」

「どうかそのお姿を一度だけでも!」

 その結果、ユウマの生活には、これまでで最大の騒音問題が発生した。

「全然静かにならないじゃないか……! むしろ前よりうるさくなった!」

 ベッドの上で、ユウマは本気で憤慨していた。最高の安眠を取り戻すために、わざわざ面倒な魔王退治までやったというのに、結果的にさらに安眠から遠ざかってしまったのだ。これでは本末転倒である。

 リアとセラフィーナがどんなに人々を宥め、静かにするよう説得しても、熱狂した群衆を止めることはできなかった。

「もう我慢ならん……」

 ユウマは、この騒動に最終的な決着をつけることを決意した。彼は最後の仕上げとして、自身のスキルの集大成ともいえる、究極の自動化魔法を発動させる。

 それは、自身の家と森を中心とした、超広範囲に及ぶ【認識阻害結界】だった。

 彼は、結界の作用を、これまで以上に詳細かつ丁寧に設定していく。

「第一に、俺の家とこの森を、誰も五感で認識できなくなる」

「第二に、地図や記録媒体から、この場所に関する情報が消失、あるいは曖昧になる」

「第三に、全ての人間が、この場所に対して興味や関心を抱かなくなる」

「第四に、無意識レベルで、誰もこの場所に近づこうと思わなくなる」

 要するに、「俺の家のことを、全世界の人間が完全に忘れ、干渉してこなくなる」ように、世界の法則そのものを書き換えたのだ。

 その魔法が発動した瞬間、ユウマの家の前で騒いでいた群衆は、きょとんとした顔で周りを見回した。

「あれ……? 我々はここで何をしていたんだ?」

「さあ……。何かの祭りだったか?」

「それより、なんだか急に家に帰りたくなってきたな」

 彼らの頭の中から、「眠れる賢者」の居場所に関する明確な記憶が、まるで朝靄のように消えていく。彼らは何事もなかったかのように、それぞれの家路につき始めた。

 やがて、世界中の人々の中から、「眠れる賢者」の正確な居場所に関する記憶や記録は曖昧になっていった。彼の偉業は伝説として語り継がれるものの、その正体も、彼がどこに住んでいたのかも、誰も思い出せなくなってしまったのだ。

「どこかにいたらしい、伝説の救世主」。

 ユウマの存在は、おとぎ話の一つとして、静かに歴史の中に溶け込んでいった。


 家の周りが、久々に完璧な静寂に包まれる。聞こえるのは、風が木々を揺らす音と、小鳥のさえずりだけ。

「ああ……」

 ユウマは、心の底から満足のため息をついた。これだ。これこそが、彼が求めていたものだ。

 誰にも邪魔されない、完璧な静寂と、最高の安眠環境。

 彼は、傍らで見守っていたリアとセラフィーナに、安心しきった顔を向ける。

「ああ……やっと静かになった……。じゃ、おやすみ……」

 その言葉を最後に、彼は満足げに布団に潜り込み、数秒後には穏やかな寝息を立て始めた。

 究極の面倒くさがり屋は、世界を救うという人生最大の面倒事を終え、ついに、再び至福の眠りにつくのだった。

 リアとセラフィーナは、そのあまりにもマイペースな救世主の寝顔を見つめ、顔を見合わせて苦笑する。

 だが、その表情はとても穏やかだった。

 これこそが、彼が本当に望んだハッピーエンドなのだから。

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