サイコの小物
ドキドッキー
ラン・ボーイ・ラン
トラックにはねられたのが二日前。
気に入っていた冷凍チーハンが、コンビニの陳列棚から消えたのは昨日。
そして、薄暗い路地裏の向こうで、一人の女が大剣に寄りかかりながら俺を見ている。
「こんばんは。身分証を見せて頂いても構いませんか?」
「マジか、職質? ──え、なんでこの距離で声が聞こえてんだ?」
女との距離は隣に立ち並ぶビルを見上げた限り、ビルみっつ分ほど。
人影もない。
──ということは、声の主は彼女だ。
俺の耳に届いた声は、とても張り上げられた大声だとは思えない。
何かしらの手段で、この距離でも日常会話が出来るのだろう。
……頭痛がする。
まだ体は万全じゃないのか?
「無視……不味いか。逃げるか?」
「同じでしょう、傷つくなぁ。……聞こえてますよぉ〜? ただ、聞きたいことがあるだけですって」
女はゆっくりと近づいてきた。
ガリガリとコンクリートに傷をつけ、重たそうに大剣を引きづりながら。
「近くのコンビニと同じコンビニの……日本語ムズいな。──交通事故があったんですよ。トラックが男をバコンと吹っ飛ばした悲惨な事故が」
ここは場所が悪い、通りを出るまで一直線だ。
──俺は、逃げるために来た道を引き返す。
ありったけの力を込め、全力で。
「やばいやばい!! 捕まったら──ッ?!」
一瞬足がふらついた。落ちていた空き缶を蹴ってしまったらしい。
今の音で、
「──自宅はそっちじゃないでしょ」
勘づかれた!
あの女は間違いなく俺を狙っている。
マーキングのように頭に響き続ける声、肌に粘りつく殺気。そして、月の光を受けて輝く大剣。
「──おかしなことに、警察が到着した時、現場に居たのは人をひいたと通報した男性と野次馬だけ。肝心の被害者が居なかったんです」
あいつはヤバい……! 捕まったら問答無用で殺される!!
膝を限界まで曲げ、助走をつける。ビルの屋上に跳び上がるために。
「おりゃ!」
コンクリートを蹴り飛ばすと、俺の体は瞬く間に空に上がった。
1階、2階、5階───
「鳥は良いよなぁ! 翼があるからさぁ!」
両耳をビュービューと風が撫で付け、胃の中がひっくり返る。
爽快感と強烈な吐き気。
だけど、跳び上がるのは幼い頃から好きだった。
このまま、屋上に──
「マジかよ! アンタを殺したくないんだけど?!」
屋上で女が待ち構えていた。
──大剣を構えている。
恐らく、下段?
「次はエレベーター使いなよ。ふふ、それでは上に参ります!」
「嘘つけ!! 俺より速いエレベーターがあるわけないだろ?!」
違う、そんなことを気にしている場合じゃない。
刻一刻と、俺の体は女に向かって落ちていく。
女に引く様子は微塵もない。
このままだと、戦うしかなくなる……!
人の骨が砕ける音を聞くには、もうごめんだ。
「──は?」
下で何かが弾けた。
正確には女の手元から、星屑より速い何かが飛んでくる。
「避け──いやッ?!」
それが俺の腹を切り裂き、視界がドス黒く染まる。
「ゴッヘッ?!」
屋上に撃ち落とされた。
背中から落ちたのは幸いだったが、肺にあった空気は根こそぎ消えたらしい。
……息が出来ない。
「嘘つき、わざと避けなかった癖に。攻撃を喰らった風にして」
──斬られた腹に目をやれば、白シャツが俺の血で真っ赤に染まっている。
……足、俺の足ついてなくね?
いや、それよりも、
「ハァ、ハァ……2000円。か、買ったばかりのシャツなのに」
震える両手でシャツを掻きむしっていると、血に塗れた視界の端で何かが鈍く光っているのが見えた。
──あの大剣だ。
まるで勇者を待つ聖剣のように、月光とネオンを浴びながら冷たく佇んでいる。
「……全員。口を揃えてこう言うんです。被害者は血まみれなのに立ち上がって、ハンバーグ! と叫びながらビルを飛び越えて消えたって。君でしょ? コレ」
いつのまにか、先程の女が俺を覗き込んでいた。
魔道具──マスクに擬態したそれで、女の声を俺の脳に直接届けていたようだ。
「ビンゴ。脳内に直接語りかけています。……話しづらいから脱ぐね」
マスク美人──いや、相当な美人だ。
胸もデカいし。
垂れ下がった白いネクタイを掴んだまま死んだら、天国に行けそう。
「現場に残された君の血痕からは、PDA反応が確認されました。魔物の血液を、検査した訳じゃないのに」
PDA──魔物の血液特有のヤツ?
「俺は魔力持ちでは……」
流石に無理があるか。
普通の人間は魔道具の力を借りないと、ビルの屋上には跳び上がれない。
「嘘つき。血液検査の結果に不備はない。協会は何度もやり直した。つまり、君は魔力持ち──魔物と言うことだ」
魔物と断定されると傷つく、16年間自認は人間なのに。
「監視カメラの映像。血液検査の結果。そして私の現場判断。これらを踏まえ、君には冒険者協会まで私と一緒に来てもらう」
「お姉さん冒険者? ハァ、……警察じゃないの?」
いや、冷静に考えれば有り得ないか、こんなデカい獲物振り回すのは冒険者くらいのモンだろ。
それより、腹の血が止まんねぇ。傷の再生が間にあわない……
「冒険者だよ。警察は君が魔物だと分かると私たちに処理を依頼しに来た。青ざめた顔であんなアホらしい映像を見せられた時は、つい笑っちゃったなぁ」
女は赤い目を揺らしながらクツクツと愉快そうに笑っている。
……あそうだ。
「ん? 君どうしたの、もしかしてお尻掻きたいの?」
「違う、ハァハァ……くそ、尻ポケットに財布が」
血が大分抜けたらしい。痺れるだのなんだのを通り越して、感覚が無くなってきた。
手が動いているかどうかも分からん。
「あーもしかして身分証? 律儀だね。……もう良いよ。油断させるための口実だし」
「チガ……」
もう、意識が……
「大丈夫、殺したりしないよ。さっきのも不可抗力だし。──違う? 何が違う、言ってみろ奥の手でも」
「一万八千円。それで勘弁……」
「──は? 金で私を買収? マジ? マジなんだ。うーん、そのお金は葬式の香典用に取っておきなよ」
「それってどう言う……」
「君はもう一度、地球で1番危険な職業。冒険者になるんだから」
視界が朧げになっていくなか、輝く赤い目がはっきりと俺を見つめていた。
「ただの気絶か、胴体を切断したのに。流石」
「──聞こえますか? 立東です。スカウトに成功しました。無理矢理? いやそんな……すみません。迎えはヘリでお願いします。はい、はい。失礼します」
電話を切った途端、ぼぅと息が漏れた。
ここは空に近いからか、随分と肌寒い。
大剣を呼びつけ、ぶん回すと、辺りに血が飛び散った。
この子の血だ。これだけ血を流しても死なないなんて、本当に凄まじい耐久力。
うわ……もう再生し始めてるし。
「化け物と英雄は紙一重、君は英雄のはずだよね……」
迎えのヘリを待つ間、この挽き肉野郎と私が組んだらダンジョンで何処までやれるか、足りない頭で考えることにした。
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