幽霊の姉妹

シャーペン

鏡写し

 2015年6月4日。私の親友は死んだ。ある日突然、私が知らない内に。

 何が原因かは覚えていない。事故かもしれないし、病気かもしれないし、自殺だったのかもしれない。いや、自殺だけは無いか。だって彼女は、あの子は底抜けに明るい子だったから。ひまわりみたいな明るい笑顔を見せて、落ち着きなく走り回っては、ケラケラと笑い声を上げる子だったから。何回も遊んで、どんなことでも言える、唯一の友達だった。

 対して私は、暗かった。真顔で笑わなくて、何も話さなかった。いつも日陰で地面を眺めては座り込んでいた。彼女以外に友達なんていなかったし、作る事もしなかった。出来なかった。そんな自分が嫌いだった。そんな私が、彼女の代わりに死ねば良かったのに。

 なのに、どうして彼女が…。


          ◯



優奈ゆうな!早く起きて!」

悠花ゆうかぁ…あと5分…」

「そんな悠長に待てません!早く起きなさい!」

「うぅ…」

 ベッドの隣、物心付いた頃にはもう存在していた全身鏡の中に、声の主がいる。そう、このお母さんみたいな事を言っている悠花だ。

 だらしなくヨレヨレのパジャマでベッドに伏しているのは私。相変わらず朝には弱いばかりで、頭は眠気でポヤポヤしている。

「ほーらー、早くしないと遅刻するでしょ!」

「やだー…がっこういきたくないー」

「駄目!学校行きなさい!」

「うぅ…」

 時は流れて、2017年5月8日。こうして鏡の中に悠花が現れる様になったのは高校の入学式の日。

 突然鏡の中の自分が動き出した時は泡を吹いて倒れるくらいにびっくりしたし、その正体が悠花だと知った時は腰を抜かして立てなくなった。それも、もう一ヶ月前の事。今は随分と慣れた。

「んん…眠い…」

 お布団が私を離してくれないでいると、ドンドンと階段を登る足音が聞こえてくる。あぁ、本物の方が来ちゃった。

「優奈!早く起きなさい!学校近くするよ!」

「…はーい」

 お母さんと優奈に同じ事を言われて、ようやく私は観念する。お布団の暖かさに後ろ髪をこれでもかと引っ張られつつ、ベッドから体を下ろした。



「…眠い」

 お布団と言う温もりを失ってなお、私の瞼は上がりきらない。眠気は私の視界を封じようと懸命に瞼を下げ続ける。そのせいで、目の前の食パンにも手が伸びない。これは眠気が悪いんであって、私は悪くない。

「早く食べないとまた学校でお腹鳴らす事になるよ」

「…わかってふ」

 眠気のせいで呂律ろれつもろくに回らない。食パンの隣に置かれた牛乳の中に映る私の顔は目をぱっちりと開いて、眠気なんぞ存在しない様な顔をしている。

 なんでも、反射で映る私の姿を借りて悠花は存在しているらしい。それって科学的にどうなの?とか、そんな事されて私どうなっちゃうの?とか、最初の方は考えてたけど、実害はちょっとうるさいくらいだからもう気にしなくなった。

「はぁ…食べよ」

 授業中の静かな空間でなる轟音が、私のお腹からなった時の恥ずかしさ。あの屈辱を思い出せば、手も動くというもの。もちゃもちゃとゆっくりパンを噛みしめる。胃へ流し込むためにコップに入った牛乳を飲み干したら、はい完食。

「ふー」

「あー!優奈!」

「何?」

「もう7時半だよ!」

「え?」

 必死に訴えかける声に促され斜め右を見てみれば、時計の長針は既に真下を向いていた。最低でも家を出なくちゃいけない時間が7時40分だから…。

「あと10分しかない!?」

 体が勝手に立ち上がった。閉じそうになっていた視界がカッと開き、じわじわと体の芯から熱が込み上げる。急激な驚きと焦りが眠気を吹き飛ばした。

「着替えなきゃ」

 時間がない時一番肝心なのは平常心だ。焦れば視界が狭くなり、普段しないようなミスをしてしまう。だから冷静に、冷静に。

「あ、ボタンかけ間違えちゃった…」

「いいから早く上着て!」

 まずい、平静を装ってもやっぱり体も心も焦ってる。今度こそ、今度こそ冷静に…。

「あれ、そう言えば今日使う教科書入れたっけ…?」

 バックを持ち上げた所で気づく、見逃さない疑問。そして、探せど探せど入れた記憶はない。血の気が引いていく。文字通り顔が真っ青になったところで、全身鏡に映る悠花は叫んだ。

「昨日ちゃんと入れたでしょ!」

「あ、そうだっけ」

 悠花は昔から記憶力が良い。私がちょっと呟いた好きな物とか、ふとした会話をずっと覚えていたりするくらい。そんな彼女が言うくらいだから、過去の自分は多分やってくれたのだろう。

「よし」

 トントンと靴の先で地面を叩けば、これで準備完了。

「行ってきます!」

「いってらっしゃい」

 7時39分、母親の優しい声に見送られて、私は玄関の扉を開いた。


          ◯


7時44分、ここは家から徒歩5分のバス停。バスが出発するのが45分。だから40分には家を出なくちゃいけないのだ。既に到着していたバスに乗り込んで、席に座れば一安心。ホッと息を吐いた。

「はぁ…間に合って良かった〜。もう!優奈の朝はいっつもハラハラする!」

「うぅ…ごめんなさい」

 言い訳のしようもなく自分が悪いため、反省する他ない。

 実際の私はしみったれた顔をしているけど、車窓にはほっぺを膨らませる私の姿が映っていた。慣れたとはいえ、いつ見ても不思議な光景だった。

「ここ寝癖ついてるよ」

「…本当だ」

 バックから櫛を取り出す。学校に持っていくには余計な物だけど、これは乙女の必需品だからいいのだ。

 こうやって寝癖を指摘してもらったり、話し合ったり笑い合ったりしているお陰か分からないけど、私も段々と明るくなっている気がする。いつも明るい悠花と一緒に居るんだからそれも当たり前のことなのかもしれないけど。

 人に話しかけられもアワアワするだけで何も答えられなかった私が、なんとか意思疎通がとれるレベルに成長出来たのはきっとそのおかげだろう。

「あ、堀木さんだ」

「え!?」

 そんなバカな、だって彼はもっと早い時間に…

「…ホントだ」

 堀木裕也ほりきゆうや、私より一個上の先輩で、どうしようもないくらいのイケメン…ではないけれど、少なくとも私には輝いて見える存在。スポーツはできるし、そこそこ身長は高いし勉強もまあまあできる。そして何より、彼は滅茶苦茶に明るい。言ってしまえば悠花と同類の存在だ。

 彼は陸上部だから、朝練の都合で私より早い時間に学校に居る筈なのに、どんな事情なのか今私の乗るバスに乗り込んで来た。しかも、私の座る席の後ろに。

「んふふ、優奈〜よかったね〜」

「うるさい…」

 事情が何であれ、彼の存在が近くにある事が幸福である事には変わりない。胸は高鳴るし顔は熱くなる。

 何故だか、いや多分悠花の影響だろうが私は明るい人が好きだった。暗闇の中で虫が電柱の明かりに群がるのと同じ事だと私は思っている。

「ほら、今日こそ何かしらアタックすれば良いじゃん。せっかく同じバスで、しかも後ろの席に座ってるんだからさ」

「って言われても…なにすれば…」

「まずは挨拶。挨拶に始まり挨拶に終わるんだよこう言うのは」

「う〜そんな事できないって…」

「弱気じゃダメ、恋愛は先手必勝!先に仕掛けた方が勝つんだよ!」

 悠花は、私と彼との話になると元々うるさい口が更にうるさくなる。そりゃそうだろう。悠花からすれば恋愛映画を生で見ている様なものなんだから。視聴者の立場にいるだけだからこそ口うるさくできる。そしてその度に私はイライラと悶々を繰り返すのだ。

 しかしながら、彼女の理屈も間違っていない様に感じる。挨拶だけ、挨拶だけなら、私にだって出来るかもしれない。

(…あぁ…うぅ)

 やっぱり駄目、出来ない。分かっていた事だけど、後ろを振り向く事すら億劫になる。頭の中に、迷惑とかどうせなんて言葉が溢れ出てきてもうそうとしか考えられなくなっていく。やっぱり明るくなったのは嘘だったのかもしれない。

「も〜!ムカつく!何で挨拶1つできないの〜!」

 と、まるで怒った様な言い様だが、本人は満面の笑みである。やっぱり悠花はこの状況を楽しんでいる。こっちこそムカつくから一発殴りたい。

「優奈、君にはね、大っきい大っきい武器が有るんだよ?」

「…武器って?」

「目下についてるじゃん。大っきいたわわが!ほら!こんなに大きいよ!」

 そう言う悠花は手で胸を持ち上げ、大きさを強調している。どうせそんな事だろうと思った。

「あのね優奈、思春期の男子なんておっぱいしか見てないんだから、もっとアタックしなよ!と言うか優奈は顔も良いしお尻も大きいんだからもっと自分に自身持ちなよ!」

 全く持って求めていない別方向のアドバイスに、最早呆れが湧き上がってくる。はぁーとため息をつく私を見る悠花はあれー?と首を傾げている。

 彼女の感性が下ネタ方向に寄ってるのは今に始まった事ではないけど、もうちょっと品性という物を持って欲しい。

「…」

 ただ、実際の所どうなんだろう。

 そう気になってしまった私。だって、彼女の言う事が本当だとしたなら、私は堀木先輩との関係を進めるのに物凄く有利なんじゃ無いだろうか。今までただの重りぐらいにしか思わなかったこの胸がそんな武器になり得るならこれは棚から牡丹餅だ。活用しない手は無い。…なんて、そんなのは話しかけられない私には使えない武器でしか無いけれど。

「頑張れ優奈!優奈頑張れ!」

「ん〜…」

 ただ暑苦しく応援してくる悠花の努力虚しく、私はただ、リュックを抱きしめながら座っている事しかできなかった。


 

 


 


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