第31話

 お風呂から上がった私たちは着替えてから準備を整えると、急ぎ足で食堂に向かった。長湯したせいか、今日は一番乗りではなかった。既にウェンズデイとオラツォリスと二人の従者が食事を半分終わらせているような頃合いだった。


「ごきげんよう、アヤコ」

「こんばんは。ウェンズデイ、オラツォリス」

「こ、こんばんは」


 私は丁度二人の対面の席に座った。すぐにリリィに紅茶に合わせたメニューを適当に見繕ってもらう。


 すると料理が運ばれてくる前にウェンズデイから不敵な挑戦状を受けた。


「いよいよですわね。もし対戦相手として当たりましたら、手心は加えませんことよ」

「ええ。私もだから」

「よ、よろしくお願いします…」


 そんな弱々しい挨拶もオラツォリスの成績を思えば、こちらを油断させる作戦にしか見えない。思えばこいつだけは未だに全容が知れない不気味さがある。なよなよと覇気が全く感じられず、ウェンズデイやフィフスドルのような悪魔特有の隠しきれないプレッシャーのようなものがまるでない。例えでも何でもなく、普通の男の子としか思えないのだ。


 するとまたしても食堂の外が騒々しくなった。またあのバカが何かしでかしたのかと思ったが、すぐにそれは違うと分かった。喧騒の原因がフィフスドルとイガルームにあったからだ。


 件の二人が先頭に立ち、その一歩後ろを相変わらず無言のヒドゥンが付いてきている。そしてさらにその後ろには、見慣れない男子生徒が一人と女子生徒が二人いる事に気が付いた。


 相変わらずニコニコとした朗らかな表情を浮かべたままにイガルームを躱すと、やはり煌めいて見えるような笑顔でこちらに挨拶をしてきた。心なしか悪魔たちの体が緊張したように思える。やはり彼だけは別格だ。


「あら、お早いこと」

「ええ。今日もこちらにお邪魔しますよ。あっちは息苦しくて…それに皆さんにもご紹介しようと思って」


 そう言って後ろにいた見慣れぬ男子生徒に声を飛ばした。


「トゥザンドナイル」

「どもども。ご紹介に預かりましたトゥザンドナイル・アンチェントパプルでぇす。よろしくぅっ」

「…」

「まさか繰り上げで『七つの大罪』に入れるなんて思ってもみなかったけど、なった以上はお仲間って事で一つ仲良くぅ」


 軽薄。


 それがまず真っ先に残った印象だった。髪の色や鼻筋などがどことなくフィフスドルと被っているのだが、コイツに対して抱く感覚はまるで逆だ。方向性は違うが鬱陶しさで言えば波路に近いものを感じる。つまりは私の最も忌むべき人種と言える。


 しかも今、アンチェントパプルの名前を出した。という事は、こいつはフィフスドルの血縁者か何かなのか? とても信じられないが。


 トゥザンドナイルは馴れ馴れしく、こちらに近づいてきた。それ以上近づこうものなら魔法で吹き飛ばしてやろうかと思ったが、それよりも先に盛大にすっころんだ。


「がふっ」


 と、情けない声で情けない倒れ方をする。


 見れば更に後ろにいた見慣れない女子生徒が華麗な蹴りを決めているところだった。その女子生徒は遺憾なくトゥザンドナイルを見下し、蔑むような瞳のままに言葉を吐き捨てた。


「トゥザンドナイル様。分家とは言え、アンチェントパプル家の者なのですから多少の礼節は弁えてください。初対面の挨拶すらまともにできないようでは先が思いやられます」

「分家とは言え、アンチェントパプル家の方に蹴りをかますお姉様も大概ですよ」


 冷血な印象とは正反対の柔和な笑みを浮かべて、もう一人の女子生徒がそんな声を出した。声や表情はまるで違うものの、私はこの二人が双子であることに気が付いた。


 セミロングボブの髪の毛には二人とも赤みが入っている。そして悪魔と聞いた時に誰もが想像するような槍状の尻尾を備えていた。体つきも顔もそっくりなので、彼女らを見分けるには色の分かれているカチューシャで判断するしかないようだ。


 そしてそんなドタバタコメディの全てを優しく受け入れて包み込んだフィフスドルが、会話の流れなどお構いなしで各人の紹介を続けた。


「それとこっちが僕の従者をしてくれている、モルタです」

「モルタでございます」

「そしてこちらがモルタの姉のノーナ。元々は二人で僕の身の回りの事をするために一緒に入学してきたんだけど、トゥザンドナイルが繰り上げで『七つの大罪』に入ってしまったから、急遽ノーナに彼のお世話を命じています」

「「よろしくお願いいたします」」

「ええ。こちらこそ」


 息の合った挨拶に私はトゥザンドナイルとかいうアホの存在をすっかりと忘れ、笑顔で受け応えることができた。


 そう思ったのも束の間、のっそりと起き上がったトゥザンドナイルが、まるで懲りた様子もなく鬱陶しいノリとテンションとでこちらに宣戦布告してきた。


「今日の「新入生の祭り」、当たった寮には手加減はしないからな。そこんとこよろしくぅ」

「よ、よろしくお願いしますね」

「頑張ろうね、イガムール」

「だから、なんでてめえはわざわざ俺に話しかけんだ。ぶっ殺すぞ」



 トゥザンドナイルの言葉を皮切りに、男子たちに何やら火が灯ったのか気弱なオラツォリスまで決意を新たにしだしてしまう。何故?


 巻き起こった口論は次第にヒートアップしていくが、私とウェンズデイと従者たちは我関せずといった態度で食事に勤しむことにした。


 とは言えでもあまりに大きな声を出させると少々耳障りだ。主にイガルームだが。


 フィフスドル、オラツォリス、イガルームの三人だけならいい感じにバランスが取れていたのに、そこにトゥザンドナイルが加わることで話がややこしくなっている。フィフスドルとオラツォリスが折角イガルームの毒気を抜いているのに、このアホが不用意に煽り立てるから徐々にこじれていく。


 それは私以外にも感じ取っていた。尤も悪魔たちはニヤニヤとそれでいて上品さを感じる笑みで見守るだけだ。悪魔にとって争いは嗜好の一つであって止める必要のないものなのだから当然だろう。しかし、それとこれとは別にして私が鬱陶しいので止めにしたい。


 そう思って制止に入ろうとした時、お皿に料理を取り終えて席に着いたヒドゥンが神に向かって祈りの言葉を捧げ始めた。その瞬間、例によって全員の体が固まる。恨めしそうな顔、困った様な顔、苛立ちを抑えられぬ顔などなど、思い思いの表情をヒドゥンに向けていたが、当の本人はどこ吹く風でパンをちぎっていた。

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