1日だけの休暇

kei

1日だけの休暇

どの日にでも戻れるというので、まったく何も覚えていない日を選んだ。


目を閉じて、開いたら、身体は縮み、外には蝉が鳴いて、足元には猫が腹を出して横になっていた。

猫の柄は記憶通りで、首をかいてやると、目を閉じたまま気持ちよさそうにゴロゴロという。

うまくいったのかもしれない。部屋は細かく覚えていないが、たぶん当時の自分の部屋だ。処分した勉強机の引き出しの3段目に今も続くアニメのシールを貼っていたことを、目にしてようやく思い出した。

時計を見る。この時間ならラジオ体操に間に合うだろう。リビングに出ると、母が、いた。

「今日は早いわねえ。」

「まあね。ラジオ体操行ってくる!」

スタンプシートを取って、家を出た。

わかっていたはずなのに、母の姿を見ると動揺してしまう。


外は暑かったが、酷暑というほどではなかった。ラジオ体操から帰り、宿題の算数ドリルを開く。こんなに簡単だったか。サクサク進む。

あっという間に終わらせて、母のもとに向かう。

「肩もませて。」

「どういう風の吹き回しよ。」

それでも素直に揉ませてくれた。

「お母さん、元気でいてね。」

「何よ、急に。」

「なんでもいいの。」


夕飯は素麺だった。作るのを普通に手伝って、しっかり食べて、もう何年ぶりかわからない浴槽にゆっくり浸かって、20時にはおやすみと言って布団に入る。猫が少し距離をおいて、こちらを見ながら横になった。


これで、起きたときにはもう24時間経っているだろう。


私は、避けられない死のまえに、1日だけ過去を追体験する抽選に当たった。誕生日などの特別な1日よりも、普通の日に戻りたかった。


母の顔が見たかった。死んだ猫に会いたかった。もう、あの時の普通の夏休みの1日にしか、帰りたくなくて。


起きたら、終わりの準備をしなければならない。どうしても寝つけず、起き出したら、まだ母が起きていた。


「お母さん。」

「こんな時間にどうしたの。」

今しかない。

「死ぬのが怖いの。」

「そんなこと、あるよね。」

ぼたぼたと、重たい涙がこぼれる。

「おいで。」

腕を広げた中に入る。背中をゆっくりたたいてくれる。

「かわいそうに。かわいそうにね。」

このひとは。この五年後に亡くなってしまった。

もうどこにもない胸の中で、泣いている間に意識が睡魔に取られてしまう。

抱えられて布団に運ばれる感覚が、いつか同じように泣いた日と同じだった。


目が覚めたあと、私はあのアニメのシールを取り寄せた。長寿アニメはこういうときに素晴らしい。私と一緒に燃やしてもらうつもりだ。

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1日だけの休暇 kei @keikei_wm

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