天秤
真花
天秤
十二時から謁見だ。万が一にも選ばれたらと思うと日曜日なのに落ち着いていることが出来ない。普通の顔をしようとしながらソファの上にいて、流れっぱなしのテレビが何を言っているのか耳にも入ってこないし、考えはずっと、
「パパ、私の描いた絵を見て」
歌子の持って来た画用紙には女の子の絵。ずいぶん上手くなった。十歳と言うのはここまで絵を描くことが出来るのだ。俺はうんうんと吟味する。
「髪型がいいね」
「でしょう? こだわりのツインテールだよ。あとは?」
「ホウキのデザインがかっこいいよ」
「だよね。こっちもこだわり。ちょっとマンガを参考にしたけどオリジナルだよ」
「なかなかだね」
「まあね」
歌子はテーブルに戻って次の絵を描き始める。俺はいつも通りに対応出来たか自分を見返す。歌子は謁見のことを知っているはずなのに変わりなく過ごしている。片や花子は部屋にこもっている。いや、降りて来た。俺の真ん前に立つ。いまさっき歌子がいた場所に花子がいて、そっくりな二人がデジャブのようになる。十年経っても変わらない。
「ねえ、パパ」
「うん?」
「今日の謁見で選ばれたら、どうなるの?」
「
「やっぱり噂は本当なんだ」
「そうだね。この街の住人の内、毎年十歳になった子供が一人豪田さんのところに取られる。ずっと昔から繰り返されて来たことだよ。パパのときもあった。この街に住む以上は従わなくてはならないしきたりのようなものだ」
「私、怖い。豪田って人のところで何をされるの?」
「分からない。でも帰って来た人はいない。だから選ばれないように祈るしかない」
「謁見に行かないことは出来ないの?」
「破れないしきたりだよ」
「そう……」
花子は不安そうに顔を下げてまた二階に上がって行く。豪田のところに行った子供は慰みものにされて、一年後に食べられると言われている。一度選ばれた子供を二度と見た人はいないことからの噂ではなく、豪田の家で働いた者が漏らした情報だと言われている。でも、真偽は分からない。ただ、確実に言えることは選ばれた子供とは一生、二度と会えないということだ。
妻も青い顔をしてダイニングテーブルに就いている。何をするでもなく、虚空を見詰めている。俺と同じことを考えているに違いない。歌子だけが平気だ。双子なのに歌子と花子は性格が全然違う。得意な科目も歌子が芸術系、花子が理数系と分かれるし、運動能力は花子の方が若干高い。でもそんなことより、謁見をどうやり過ごすかが問題だ。俺が十歳のときの記憶によると、広い体育館のようなところに座らされて、豪田が一人一人顔を体を見て選んだ。土地の権力者と言うだけではないこの街の絶対的な支配者だからまかり通る行為だ。毎年反復される生贄だけど、皆見て見ぬふりをする。選ばれた人だけが泣く。泣きながらこの街で生きていく。
時間になったので花子を呼んで、家族四人で指定された豪田の屋敷に向かう。街の何分の一かを占拠する屋敷の決められた入り口に行くと、そこは大きな門になっていて、開かれた門をぞろぞろと歌子と花子の同級生が親に連れられて入って行っているところだった。誰も何も言わない。顔はおしなべて白く青く黒く、葬式よりも死の匂いが立ち込めている。その中で歌子だけが鼻歌でも歌いそうな明るい顔をしている。
屋敷の中を案内されて通されたのは体育館くらいあるホールだった。子供達だけが所定の椅子に順番に座らされる。俺達親はその後ろに見学者のように立たされた。数百人の人間がいるのに一切の喋り声がしない。それは豪田に対する敬服ではなく、怒り、静かな怒りに満ちていた。全員がホールに入ったのだろう、ドアが閉じられた。
息を殺されるような沈黙が続く。
カツ、カツ、と言う足音が響いて壇上に壮年から老年に近い男性が現れた。それが豪田であることが誰もが分かる、禍々しい気配をまとっていた。いかにも欲望が強そうな眼、腹、額をしている。弄び食べると言う噂が真実であるとその姿だけで信じてしまいそうになる。
「これより謁見を始める」
係の者だろうかがアナウンスをして、でもどうするのかは分からない。一人ずつ壇上に上がるのだろうか。子供達は、大人達も、沈黙で応える。豪田が汚い笑みを零して、壇上から降りて来る。アナウンスが続く。
「豪田先生が自ら会いにいらっしゃるので、皆顔を上げて待つように」
豪田はまたカツ、カツ、と足音を立てて子供達の前に直る。左の端の子供の顔を見て一瞬で次に進む。まるで歩行をやめないままで子供達を渡って行く。二列目、三列目、そこでこの子だと声が上がれば歌子も花子も無事で済む。四列目、五列目。六列目には二人がいる。俺は祈りながら凝視する。二人の前を通過しろ。
しかし、豪田は花子の前で止まった。歌子の顔も見る。
「双子か」
「そうです」
歌子が声を出した。
「決めたぞ。お前達のどちらかが屋敷に来い」
花子が真っ黒な顔をする。歌子も息を呑むが、顔色は変えない。豪田は壇上に戻って行く。アナウンスが流れる。
「以上で謁見は終了だ。選ばれた親子は残って、それ以外は退出するように」
ホール全体がため息のようになって、親子連れが出て行く。豪田もいなくなった。
残った俺達夫婦と歌子花子の二人のところに係の者が来る。
「おめでとうございます。今年の神の子に選ばれました。一週間後にまたこの場所にお越し下さい。荷物はあってもなくても大丈夫です。もちろん、一人をお連れ下さい」
俺は取り乱しそうになるのを両手で押さえ付けるように堪える。
「なんとか他の子にはならないですか?」
「それは出来ません。豪田先生が選ばれたのですから」
「俺が代わりになるってことは出来ませんか?」
「出来ません。……一週間後です。いいですか、それまで最後の別れを済ませておいて下さい。一度神の子として迎えたら二度とは会えませんので」
係の者の圧力に俺は屈して、それ以上の言葉を吐けなかった。俺達はまだ日の高い道を死者の行進のようにとぼとぼと家まで歩いた。
どっちを差し出すべきか。
妻はずっと泣いている。歌子は絵を描いている。花子は部屋にこもっている。
二人への愛に優劣はない。それは妻も同じだろう。
では、何をもって差を見出すか。
学力なら花子だ。きっと大学まで行くだろう。社会の役に立つ可能性もある。
芸術性なら歌子だ。そっちの道に進むだろう。文化に貢献する可能性もある。
どっちの方が俺に懐いているかは若干歌子だ。逆に花子は妻に懐いている。
見た目は同じ。
じゃあどっちでもいいのか? コインの裏表で決める?
アホか。そんな偶然に任せていいことじゃない。でも、運と言うのもバカにいは出来ない。今年だったから二人が選ばれたと言うことはあるだろう。運が悪かったんだ。
決められない。
「歌子」
「何?」
「屋敷に行きたくはないよね」
「うん。やだよ。死にたくないもん。帰って来た人がいないってのの意味くらい分かる」
「そうだよな」
俺は二階の二人の部屋をノックする。
「花子」
「何?」
「入っていい?」
「いいよ」
花子は真っ黒な顔をしていた。
「屋敷に行きたくはないよね」
「絶対嫌。だって死ぬんだよ?」
「そうだよな」
二人から一人を選ばなくてはならない。この街で生きる以上は逆らえないしきたりだ。どうすればいい? どっちか一人を殺して、もう一人と生きるのだ。そうしたら生き残った方は二人分の命を生きることになるのだろうか。
誰にも相談してはいけない。他人の意見なんか聞いている暇はないし、価値もない。同じ状況にならなければ誰も真剣になんか考えない。同じ人間が二人いる訳ではないのだ。歌子は歌子だし、花子は花子なんだ。双子だからってコピーみたいに扱われるのは嫌だ。どっちもとも思い出があるし、どっちもとも想いがある。俺は愛の均等さを試されている。
その夜は一睡も出来なかった。でも考えは同じところをループするばかりで、歌子か花子かどっちを贄にするのか決めることは出来ない。妻はずっと泣いていた。だから、朝になって二人が学校に行ってから妻と話をするために会社を休んだ。
「お前はどう思う?」
「二人とも大事なの。そうでしょ? どっちかをあんな奴に差し出すなんて嫌よ」
「そうだよな。でも、どっちかを選ばなくちゃならない。あと六日の内に」
「あなた、そんなこと出来るの? 私には出来ない」
「……出来ない。でも、しなくちゃ」
「酷い。本当に酷い」
妻は泣く。これと同じことが毎年どこかの家で繰り返されているのだ。二人から一人を選ぶと言うこと以外は喪うことに変わりはない。この街で生きていくなら受け入れなくてはならない。俺が十歳のときに選ばれた
「お前にとって、二人は何よりも大切か?」
「当たり前じゃない!」
「じゃあ、そうしよう」
俺は車の運転席で隣には妻が乗っている。後部座席には歌子と花子。街の出口には検問があって、出入りをチェックされる。車を停められ、窓をノックされた。
「どこまで行くんですか?」
「中央の病院まで行きます。はい、これが紹介状です」
検問の男は紹介状の封筒を見て、俺に戻す。
「病気はなんです?」
「子宮外妊娠です。結構急ぎなんです」
俺が妻を示すと妻は腹を押さえて辛そうな顔を見せる。
「そうですか。でもダメですね。あなたの一家は出せません」
俺は封筒をもう一つ出して、中から一万円札を十枚抜き取る。
「これで、どうか。必ず帰って来ますから」
男は封筒の方をじっと見て、手元の十万円を見る。もう一度封筒を見る。
「まだ、あるでしょう?」
「分かりました」
俺は封筒から残りの札束を全部出して、それは二十万円あって、男に渡す。
「これで全部です」
男は札束を数える。数える手が震えていた。
「必ず帰って来なさいよ?」
「もちろんです」
男は道を開ける。俺達は街の外に出る。誰も何も言わない。車は中央の病院の前を通過してそのまま県外に向かう。俺達は何も喋らない。県境を越える。
「ここまで来れば大丈夫だ」
俺の言葉に妻がふう、と息を漏らす。俺は大きな声で言う。
「歌子いるかー?」
「いるー」
「花子いるかー?」
「いるー」
「家族で生きよう。あんな街さよならだ。友達にも、先生にも、俺のおじいちゃんおばあちゃんにも二度と会えないけど、いいよな?」
歌子が「絵が描ければ大丈夫」と言って、花子が「生きていたいから大丈夫」と言う。妻が久し振りに笑った。車は東へ東へずっと進む。
(了)
天秤 真花 @kawapsyc
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