第2話 地鳴りの祭壇

扉を押し開けた瞬間、色とりどりの光がこちらへ雪崩れ込んできた。

教会は、彼の知る礼拝堂ではなかった。燭台はなかった。代わりにLEDが天井から星雲のように散り、スポットライトが神の視線もかくやという勢いで、群衆の頭上へ鋭い矢を放つ。ステンドグラスは、遠い巡礼の物語ではなく、今ここにいる誰かの鼓動を映している。低い、深い、四つ打ちの鼓動。


人々が跳ねている。跳ねるたびに石床が笑い、ベンチが軋む。

ワインの栓が飛ぶ音は、祝砲のようだった。誰かが懺悔室の前でステップを踏み、誰かが聖水盤で手を濡らし、火照る顔を冷やす。神父が眉をしかめた気配がしたが、次の瞬間には肩を上下させ、やむなく拍を取り始めている。


祭壇には、一人の男が立っていた。片側を短く刈り、反対側は肩へ流れるほど長い。耳には無数の小さな金属が星座のように光り、黒縁の眼鏡の奥で瞳が獲物を狙う鷹のように鋭い。


──スクリレックスだ。


彼の前に置かれた奇妙な機械は、鍵盤でも弦でも管でもない。円盤が二枚、光の輪をまとい、指が走るたびに世界の床が沈んだ。


男は、叫んだ。

「ウィーン! 準備はいいかあああ!!」


群衆が咆哮し、空気が一段階熱を上げる。

ベートーヴェンは一歩踏み出した。足裏から、ふくらはぎ、膝、腰、背骨へと震えが順に登ってくる。音は、耳に来ない。だが、全身の骨が聴覚器官になっていた。


最初の曲は、岩盤に火をつけるための大きなマッチだった。

「Rock’n’Roll (Will Take You to the Mountain)」。

山が立ち上がって歩き始めるような、太古のユーモア。低音が石床の下面を撫でると、教会全体がゴロリと寝返りを打つ。ワインがグラスから跳ねて飛び、若者の頬に紅を差す。彼らは笑い、叫び、肩を組んだ。ベートーヴェンは、胸の中で何か古い歯車が油を差されるのを感じた。


続いて、「Kill Everybody」。

ヴァー、ヴァー、ウンバババ……

ステンドグラスの聖母が、音の波に合わせて細かく震え、衣の皺が虹色にほどけていく。彼女は踊る気などさらさらないのに、光の加護という名のビートに抗えない。窓枠がカタカタ鳴り、古い木ねじが喜びの音を立てる。ベートーヴェンは思わず腹を押さえた。内臓が、未知の言語で会話を始めている。胃袋が低くうなり、肝臓が相槌を打つ。

——耳は沈黙している。だが、身体が翻訳してくれる。


そして、「Bangarang」。

祭壇の上で、男は円盤を叩き、指を空へ突き上げる。光が破裂し、人々の歓声が目に見える煙になって天井へ昇る。群衆は抑えきれずに声を上げた。

「バンガラァァァン!」

発音が少し怪しいのは可愛げだ。ここでは本来、神への賛美を歌うはずだったのに、今は神が与えた身体の賛美を叫んでいる。おそらく神は、それを許すだろう。善き低音は人を正しい方向へ震わせる。


男はターンテーブルを軽く叩き、マイクを取った。

「おいウィーン! 次はレジェンドの登場だ! この熱気を絶やすなよ!!」


レジェンド? この男よりも、さらに何者かがいるというのか。

ベートーヴェンが半歩前へ出た時、教会の空気が柔らかく色を変えた。

厳つい岩肌の上に、春先の光がそっと差すように。


彼は現れた。

にこやかな笑み。過剰でも、飾りでもない微笑。瞳の奥には、不思議な寂しさと温かさが同居している。歩くたびに、灯りの粒が彼の肩へ吸い寄せられ、まるで旋律そのものが彼をまとっているかのようだった。


「十八世紀でも、二十一世紀でも、音を楽しむのは同じことさ」

青年は、やわらかい声で言った。「さあウィーン。俺について来れるか!」


アヴィーチー。

名前の音が、口の中で丸く転がった。

彼の前に、もうひとつの機械が控えている。先ほどの獣のような装置とは違い、これは光を吸い込み、吐き出す器官のように見えた。彼が指で触れると、空気は輪郭を得て、目に見えない階段を上り始める。


♪ Hey, brother…

声が天井に撫でつけられ、丸く光る。

ベートーヴェンは立ち尽くした。胸の中の古い石が、ひとつずつ熱を帯びる。

伴奏が骨格を支え、歌が血流をつくる。

彼は知っている。この組み立て方を。

彼は、ずっと昔からこれをやっていたのだ。やり方は違うが、目的は同じ——人の心を、遠くへ連れていくこと。


「Waiting for Love」では、人々が抱き合った。

未来から運ばれてきた言葉の意味が完全に理解できなくても、意味の手前で悟ることがある。あれは、希望の筋肉が久しぶりに動かされた音だ。

シスターが涙を拭いながら、隣の若者の肩をポンと叩いた。若者は照れて笑い、ワインを差し出した。神父は相変わらず眉を寄せていたが、手は膝の上でちゃんと拍を打っていた。身体は、理屈よりずっと誠実だ。


最後に、「Wake Me Up」。

その一節が鳴った瞬間、ベートーヴェンは息を呑んだ。

目を覚ませ、と歌は言う。

誰に向かって? もちろん、世界のすべてに。だが今は——彼自身に。


胸の中に走ったのは、音ではない。

許しだ。

耳が聞こえなくても、音楽はできる。身体で、心で、世界の震えを受け取ればいい。

ずっと前から、自分はその方法を知っていたのではないか。鍵盤の上に置く手が、今、はじめて自分のものに戻ってきたように感じる。


彼は目を閉じた。暗闇の内側で、光が増幅する。

歓喜は、音符の列にだけ宿るものではない。油の滲んだ五線譜にも、戦場の鼓動にも、教会の床石にも、人々の汗にも宿っていた。

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