第一話

 ここからが本番だ。これまで他人であったプレイヤー同士は一瞬で千年の間競い合ってきた敵へとなり変わる。雨はまだ止んでおらず、静かに雨の滴る音が聞こえる。通気口から見える月はまるで我々を覗き見ているようにひっそりと佇んでいる。ルール説明を終え、私は後ろの箱に並べられている弾丸を七発取り出す。プレイヤーも気付いたようで、彼らの雰囲気がこれまで以上に堅苦しく強張ったものとなった。私は口を開け、沈黙を切り崩す。

「クロワッサンの起源についてしっていますか?」

 お互い俯いたまま、何も答えない。私は男の手から銃を取り、ポケットに入れていた白いハンカチで軽く拭く。

「今ではトルコのある地域に、とても栄えていた帝国がありました。」

 彼らは無言のまま私の話を聞いている。おそらく私の話している内容は何も入ってきていないほどに緊張しているか、もしくは一言一句聞き逃しまいと覚醒状態にあるかだ。

「その帝国が、ヨーロッパのとある要塞に攻撃をしました。しかし、その要塞は攻撃を耐え抜き、勝利しました。」

 弾丸を装填する。プレイヤーには分からないだろうが、弾丸に書かれているランダムな8桁の番号から、空包か実包かを見分けることができる。そして、手に取った七発の弾丸の番号は全て、空包の番号と一致していた。つまり、まだ箱に残っている弾は三発の実包と十一発の空包ということになる。長い夜になりそうだ。


「猛攻を耐え抜いた要塞は、歓喜の熱が冷めぬうちに帝国のシンボルであった三日月をパンにし、食べたのです。」

 三発めを装填し終えた。手には四発の空包がまだ残っている。彼らにとってはこの数十秒は数時間以上に感じるだろう。

「そのパンが、今でもクロワッサンとして残っているんです。」

 私は通気口から漏れ出る月光を見て、こう言う。

「そういえば、今夜は三日月ですね。」

 今日の三日月はどちらになるのだろう。ゆっくりと弾丸を装填する。五発め。六発め。七発めを装填し終え、シリンダーを回す。

「もう一度聞きます。準備はいいですか?」

 男の目はこちらに向いている。準備はすでにできているということだろう。女はまだ俯いている。こちらは、準備はまだできていないということだろう。しかし、準備ができていない者は儚く散っていくのみだ。だれも準備するまで待ってくれはしない。

「では、またレディーファーストということで、あなたから先に撃ってもらいます。」

 私はそう言い、男に銃を渡す。

「レディーファーストか…。」

 男はそう呟き、銃を私の手から奪うようにして取る。

「ルールは覚えていますね?もう一度言います。自分ではなく相手に向かって撃ってください。」

 沈黙を破るのは銃声か、それともさらに重い沈黙で上書きされるのか。

「これより、席を立つことを禁止します。」

 リボルバー・ゲームは静かに始まった。


 男は数秒の間、銃を舐めるように観察している。女は俯いたまま、何も語ろうとしない。しかし、今から撃たれるのだ。その頭の中は一体何を考えているのだろう。

「俺は戦争に行ったことがある。」

 男が静かに口を開ける。雨の滴る音に打ち消されそうになりながらも、白熱灯ひとつと月光のみが照らす暗い部屋中に聞こえる声でそう言った。

「そうですか。」

 雨音に打ち消され、ほとんど聞こえない声で女はそう返す。

「たくさんの人の死を見てきた。」

 男の目には今、何が映っているのだろうか。かつての戦友か、殺したはずの敵兵か、それとも荒廃した戦場だろうか。

「だから、ここでも人を撃つのも問題ないと思った。躊躇なく撃てると思った。しかし、違った。銃を持った瞬間、そう。この手だ。何人も殺してきたこの手が震えているんだ。」

 従来のロシアンルーレットは動物としての本能を利用している。人間も動物である以上、生きることを体は望んでいる。生へとすがりつこうとする自分に驚き、新しい自分を死の淵で知ること。それがロシアンルーレットだ。しかし、このリボルバー・ゲームは相手を撃つ。自分の命を守るために他者の命を奪う。これもまた、動物の本能を利用している。プレイヤーは死への恐怖を味わうことになるが、人を殺すことに対する恐怖をも味わうことになる。時計の針のみが動き続ける。彼らは部屋を包み込む沈黙を作り出している。


「私が先に撃ちましょうか。」

 女はそう言った。確かにそう言った。私は耳を疑ったが、それは男も同じだったようだ。先程までは俯いていた彼女が、今では自ら銃を手に取ったのだ。双方の同意があれば、撃つ順番は変更が可能となっている。

「私にはお金が必要なんです。」

 父親のために今、彼女は命を賭けて部屋に来ている。その美しすぎる理由とは対照的に、銃を手に取った彼女の顔に浮かび上がる恐怖はとても汚れている。

「私の父親が今、海外の病院で入院しているんです。どうやら治らない病気なようで。」

 銃口を舐めるように触っている表情にはまだ迷いが見られる。当たり前だ。今、装填されているのが実包かも知れないと考えるとおぞましいものだ。わずかな火薬の匂いが私の鼻を刺す。男の目を見る。死ぬかもしれないという恐怖で歪んでいるが、それは人をこれ以上殺さずに死ぬことができるという安堵でもある。女の目を見ると、そこには涙が浮かんでいる。殺人を犯してしまうことになるかもしれないからだろうか。しかし、その弾は空包だ。

「ごめんなさい。」

 彼女はどこを見るでもなく謝る。誰に向けられた謝罪なのだろうか。しかし、すぐに彼女は引き金を引いた。カチッという金属同士のぶつかる音がきこえる。

「空包です。」

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特殊ルールロシアンルーレット」で私(ディーラー)が見た狂気 暁月パビリオン @Akatuki-pavilion

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