特殊ルールロシアンルーレット」で私(ディーラー)が見た狂気

暁月パビリオン

プロローグ:賽は拾い上げられた

 扉が勢いよく開かれ、一人の男が席に着くのを私は見ている。ここは彼らにとって、人生の絶頂を迎えるべく用意されたステージだ。しかし、白熱灯が一つつり下がっているだけの狭く暗いコンクリートに囲まれたこの部屋が彼らにとってのステージとは悲しいものだ。私の後ろには三発の実包と十八発の空砲が戦列歩兵のように並んでいる。この場が火薬のにおいで充満するのに時間は要らないだろう。しかし今は、通気口から漂う雨で満ちている。通気口から訪れてくるのはにおいだけではない。水滴が滴り、月明りがこの暗い部屋を照らしている。私は時計を見る。現在の時刻は午後十一時二十七分。あと三分ですべてが始まるが、それは終わりの始まりでもある。始まりがあるからこそ終わりがある。なぜ我々は終わりが必ず来るというのに始めてしまうのだろう。もう一方の扉が開き、女性が席についた。一つの机を介して二人は向かい合って座っている。あと二分ほどの間、席に着いた二人の人間は何を考え、何を思うのだろう。秒針の動く音が部屋中に響き渡る。この場に時計は一つしかない。私の腕時計だ。このわずかな時間、私は考えていた。ローマの軍人であり、のちに皇帝となったユリウス・カエサルの言葉に「賽は投げられた」というものがある。彼らにとって、今まさに賽が投げられようとしているのだろうか。いや、それは間違いだ。彼らの賽はすでに投げられ、地に落ちた。だからここにいる。秒針が十二時を指し、十一時三十分となった。私は彼らの落ちた賽を掬い、投げるのだ。


 私は彼について記された紙を読む。名は書かれていない。彼が書いた、『同意しますか』という問いに対するチェックマークのみだ。紙に貼られている付箋の内容を読み取る。

『元某国陸軍所属。参加経緯不明。PTSDの可能性。フラッシュバックによる記憶障害あり。』

 参加経緯不明という点に不信感を抱いた。このゲームに参加する動機は大きく分けて二つ。一つ目にただ大金を欲しがっている者。二つ目に生を実感したい者。しかし、この男はどちらにも分類することができない。一年に何度かこのようなプレイヤーと遭遇することがあるが、動機を知ることができずに終わるというのがいつもの流れだ。この男もそうなのだろう。次に、彼女について記された紙を手に取る。チェックマークに震えが見て取れる。

『地方公務員。参加経緯は父親が重病のため、資金稼ぎと推測。』

 今夜のプレイヤーもまた、救われない者たちなのだろうか。両者の顔を見る。お互いうつむき、沈黙を保っていた。その沈黙を今から崩す。賽を拾い上げ、口を開ける。

「準備はいいですか。準備ができていないとしても、もう遅いですが。」

 場は沈黙を保っているが、私は話し続ける。

「ルールについて説明します。ここに一丁のリボルバーがあります。」

 私はそう言い、箱に入っていたM1895リボルバーを取り出す。一世紀ほど前に製造されており、長くロシアで使われていた銃だ。その短い銃口は、これまでで一体何人の死を作り上げてきたのだろうか。女はその吸い込まれそうな暗黒に包まれた銃口の中を覗き込み、声にもならない叫び声をあげた。

「これでゲームをしていただきます。では一度、空包を用いて撃つ練習をしてもらいます。」

 私はリボルバーに練習用の赤い弾丸を取り出し、装填する。そして撃鉄を動かし、参加者が引き金を引くだけで撃つことができる状態にする。

「ここはレディーファーストといきましょう。貴女からお願いします。」

 平然を装っている表情とは対照的に、その手は震えている。

「どこを撃てばいいのでしょうか。」

 銃を渡された彼女はそう聞いてきた。返事はせず、私は頷くだけ。すでにゲームは始まっているのだから。


 彼女は銃を落としてしまった。まだ人間でありたいという願いと、銃を撃つことに対する葛藤からだろうか。私は落ちた銃を拾い、男に渡す。すると、部屋を包み込む湿った空気が一気に違うものとなった。男は銃を渡された直後、すぐに壁に向かって撃ったのだ。火薬のにおいが充満している。壁は弾丸により少しへこんでいる。撃たれた弾丸は壁に当たって跳ね返り、私の足元近くに落ち着いた。私が空包と言い装填した赤い弾丸。それは実弾だった。部屋を包み込むのは沈黙だが、それは狂気と策略に満ちるであろうゲームの開幕の合図だ。男は煙の上がる銃を投げ捨てるように机に置き、こう嘆いた。

「これは実弾じゃないか。」

 この質問の答えは簡単だ。そして、それは彼らにもわかっているはずだ。動揺を隠すためか、弾の入っていない銃を拾い、強く握りしめた彼は私を鋭くにらみつけてきている。怯えた表情がうかがえるが、私は彼のためにも説明を続けなければならない。

「では、ルールの説明を再開します。ここに実包が三発、空包が十八発の計二十一発の弾丸があります。」

 質問をされたにもかかわらず説明を続ける私から狂気を感じたのか、男は黙り、女の肩は震えている。夜はまだ始まったばかりだ——。

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