第3話

下校時刻を合わせて三人で帰る僕達は、電車の駅からの街路樹をお喋りしながら帰った。今日あった出来事を全部話したくなる時間だった。

「ねえ! インターハイに出場することになった」

「すごい!」

「おめでとう」

 弁当を食べながら、仁の朗報に喜んだ。一年生ながら、高三の人達と一緒に出場するのだ。


「高校から応援バスが出るわよね?」

「そう! 一年生は全員参加らしいから、応援頼む」

「もちろんだよ」

「私は、走ってる仁の写真、撮ってみたい」

「十倍かっこ良く撮ってよ」

「うーむ、それは仁君次第かしら」

「応援してるよ」


 仁は任せとけと言わんばかりに、胸板をげんこつで叩いて見せた。彼の胸筋は僕の倍以上ある。県の記録を毎年、塗り替えている彼は、インターハイでもきっと、優秀な成績を収めるだろう。

 僕も、仁の写真を撮りたい。仁の感情が映っている写真を撮ってみたい。走る直前の「静」と「走る歓び」の「動」、「平常心」或いは「緊張」や「恐れ」を映してみたかった。


 大会当日は、各ブロックを勝ち上がってきた強者達がグリーンリーフ陸上競技場に集結した。今回は陸上のインターハイが地元開催だったため、選手は前泊をせずリラックスして当日を迎えることができたようだ。


 大会プログラムが進むにつれ、香織は無口になっていった。自分が走るかのような緊張感が伝わってくる。二つ後のプログラムが男子二百メートル走になったところで、スタンド席のゴール地点付近に移動をした。選手がよく見える場所は人気があり、事前の申し込みをして撮影腕章を付けていても、いい場所を確保することは難しい。エリアごとに区切られた自分の地区内でできるだけ前方の場所を確保した。


 香織の表情は、まだ強ばっている。仁に自己ベストで走って欲しいのだろう。僕は仁のために何かできるとしたら、「平常心」で撮影をすることくらいだろう。客席の緊張が彼に伝わらないようにと、友達らしい心配をした。


 仁は、二百メートル男子の最終組だ。スターターの合図で一斉に走り出す。頭を下げた前傾姿勢で重心低くスタートした。リズミカルに腕を振り、足のストライドも大きい。百メートル地点を過ぎたあたりから、素人目にもわかるくらいスピードアップした。僕は、スタートからずっと連写モードで撮影を続けた。


 仁が一位のままゴールを狙えると思っていた矢先、隣のコースの選手と接戦となった。肉眼ではどちらが先着かわからなかった。

電光掲示板で結果を見ると、仁の記録は、二十秒九九。そして隣のコースの選手は、二十秒八九だった。仁が電光掲示板を見るや否や膝から崩れ落ちる。


 僕は慌てて、シャッターを切った。イジワルな友達だと思われても仕方なかった。僕は、仁の感情を映しにきたのだから。彼は、その場所から動けなくなってしまったようだ。同じ組で走った選手が仁の肩をぽんと叩いたが反応がない。顔を地面に埋めたまま、微動だにしていない様子が僕のカメラの液晶画面に拡大された。隣にいる香織を見ると、彼女の瞳には溢れんばかりの涙が表面張力を保っていた。シャッターを押せたのだろうか?


 カメラのファインダーを通して見える仁の表情は、失望だった。そこにはいつもの自信に満ちた彼の姿とは別の姿が映されていた。彼は、役員に抱きかかえられるようにして、どうにかトラックを後にした。

「香織、二十秒って短いよね? 写真撮れた?」

 下を向いて俯いたまま、首を横に振った。喋れる状態ではないのだろう。

「そっか、応援席に戻ろう」


 こくりと頷く彼女を連れて、応援籍に移動した。歩きながら、仁が泣き崩れた姿が頭の中で何度もリピート再生されるうちに、自分の呼吸が速くなっているのに気付く。香織にばれてないといいけど。僕は横を歩く香織をちらりと振り返った。彼女の顔もまだ曇っていた。


 座席に座ると、応援団の威勢のいいエールに引きずられて、徐々に呼吸は太鼓の音と同じテンポに戻っていった。その後の競技内容は頭に入って来なかった。心はそこになかった。仁の気持ちがファインダーを通して僕に移ってきたのかもしれない。


 昼食休憩の時に、ユニホームの上にジャージを来た仁が僕達のところへやって来た。状況にそぐわない満面の笑みを浮かべていた。

「ごめん! かっこいい写真は、一位を取った時にしか撮れないって忘れてた」

 仁は香織の隣の座席に陣取り、リラックスした風にうちわを仰いでいる。

「そんなことないよ! 仁。僕は感動した」

 泣き崩れていたシーンを写真に収めたとは言えなかった。

「私、速すぎて写真撮れなかった」

 口をとがらせているのは、「残念」を仁にアピールしているのだろう。

「そう?『速すぎて撮れない』って褒めてる? 香織さん、これはもうベタ褒めってことでよろしいでしょうか?」


 仁が戯けて見せた。香織は、涙の跡をうっすら目元に残したまま、にやついて嬉しそうだ。でも僕は、競技直後の様子を見てしまっていたから、仁が「僕は平気なんだ」という予防線を張っているようにしか見えなかった。

「これ、良かったら」

 僕が差し出した熱中症対策ドリンクを仁は嬉しそうに受け取った。

「おっ! 親友よ、なんでこれ欲しいってわかった?」

 ニヤニヤしながらこっちに視線を送ってくる。僕は「当然だよ」と咳払いをした。


 どうしてこんなに上手に気持ちを切り替えることができるんだろうな? 僕は仁の冷静さとおちゃらけた親しみ安さに感心していた。いつの間にか笑顔に戻った香織も、隣で吹き出していた。カメラを構えた手が震えていたから、相当緊張したんだろうな。そう思ったとき、不意に胸に浮かんだ。

 香織って、仁のこと好きなのかな? 僕の気持ちは揺れ始めた。


「ねえ、直樹は仁が走ってる姿、撮れたの?」

「勿論だよ。だって、連写モードにしていたんだからさ」

「ええっ! ずるーい。そんな便利なものあるなら、先に教えてよね」

「だって、何も聞いて来なかったから、知ってるんだろうって思ってたけど」

「知らなかったんだな、それが」

 僕達は、応援に来た生徒に配られたスイカバーにかじり付いた。冷たさが、少しだけ心の熱を鎮めてくれた。


 九月の風は「熱風のち涼風」といったところで、完璧に涼しくはない。だが新学期が始まると、熱かった夏は遠のき、文化祭シーズンが到来した。

 僕は、あの夏の日に撮った写真を部室でプリントアウトしていた。夏休み中には、見れなかったのだ。仁が悲しんでいる姿を見たくなくて。たくさんのピンボケの写真に混じって、仁が悲しんでいる姿だけはしっかりと映っていた。そして、記憶にない写真が紛れていた。


 僕の隣で、カメラを抱えたまま全力で応援している香織のスナップ写真だ。カメラ目線ではないところが実にいい。自然な表情の香織が、僕の心にすっと入ってきた。思いがけず鼓動が高鳴った。この一枚から、目が離せなくなった。僕はやっぱり香織のことが好きなんだ。でも写真の香織の視線の先には、二百メートルを疾走する仁が居るわけで。ぐるぐると考えていた僕の思考は、写真から溢れてきたあの日の応援歌に掻き消されてしまった。


 重たい二学期の始まりとなった。

 僕達の正三角形は少しずつ崩れてしまいそうで、そこにある気持ちが見えないかのように振る舞うことが大切だった。香織を撮った一枚のスナップ写真がそう予感させた。


「ねえ、直樹。クラス展示に必要な物品購入、香織も誘って三人で行かない?」

「いいよ!」

 外に出掛けた方が、細々とした話し合いや、準備をするより楽そうだ。買い出しは基本、徒歩だから多少の体力は使うが気は遣わなくて済む。

「直樹、じゃあカオリン、誘ってみてよ」

「何を買いに行くんだっけ?」

「ワッフル屋の模擬店の装飾に使うレンガ調の壁紙だって」

「えっ! そんなこともするの?」 

「するらしいよ! 映える店にしたいんじゃない?」

 香織を女子グループの中に見付け、買い出しに誘った。「おもしろそー」と即了解だった。


「もしかして、中通りのホームセンターまで行くの?」

「そうだよ、カオリン! 体力作りにはもってこいだ」

「仁は体力作り必要かもだけど、私と直樹には必要ないなー」

「だよね」

 僕もそこは香織に賛成だった。何しろ中通りのホームセンタ―までは、急いで歩いて三十分はかかるから、往復で一時間も歩くことになる。

「だから、誘ったんだよ。一緒にお喋りしながら行くのが目的!」

「なるほどね! 仁君は前向き指向だから」

 僕の意見に同意らしく香織は大きく頷いた。


「あの英文解釈の授業、すっげえ眠い」

「わかる! 僕もいつもうっかり、睡眠してる」

「そんなことしてると、成績下がっちゃうぞ! 二人共」

 香織が心配そうに口をとがらせた。耳の痛い話題を変えたくて、僕は新たな話題を振ることにした。


「仁君は、長男っぽいけど実は一人っ子でしょ?」

「うそ! 何でわかるの?」

「だいたい言動を見ているとわかるよ」

 仁の大きなリアクションにすっかり気分が良くなった。

「じゃあ、私は?」

「香織は、今まで話を聞いたことないけど、お姉ちゃんいるんじゃない?」


「うっそ! 何でわかったの?」

「そりゃあ分かるさ。香織の言動を見ていたらね」

「今まで一度もお姉ちゃんの話、誰にもしたことないのに」

「え? なんで話題にしたことないの?」

 ちょっと踏み込んだ質問をしたことを後悔した。

「そりゃあ、えっとなんとなく」

「ふうん」


 これ以上、話題にしない方が良さそうだった。

「姉ちゃん? 初耳だよ。僕も」

 仁が驚いて割って入ってきた。高校は家が同じ学区という訳じゃないから、そう言えば何にも知らないんだな。だから、自分も気が楽だったりするんだけど。香織って姉ちゃんいるんだな。自分で当てておいて、驚いた。


 ちょうどホームセンターに到着した。壁紙を使うといっても野外模擬店だから露天の間口を段ボールで覆って、そこに貼り付けるようなイメージだ。

店内を歩きながら売り場を探した。

「見て、ほら」

 仁が得意気に売り場を案内した。ワッフルの模擬店にピッタリの優しい色合いのレンガの壁紙を発見した。香織はその壁紙を気に入ったらしく、「ロール幅がもう少し長かったら自分の部屋用にも買ったのに」だなんて言い出した。突拍子もないところが香織らしくて、愛おしく感じた。


「一メートル六百円か。二メートルで充分だって言ってたな」

 僕は店員にカットをお願いした。間もなくやって来た担当者が二メートルにちょっとおまけをしてくれた。

「ありがとうございます」

 香織も仁も知らない人に挨拶するのが苦ではないらしい。僕はとっさに何かをすることが苦手なタイプだ。それに比べて、仁と香織は、いつも堂々としていて憧れる。


 店を出る時に両側にジュースの自販機が気になったが、素通りした。僕達の高校は、まるで中学校みたいに校則が厳しいからだ。僕達は、往復一時間かかるにも関わらず、喉を潤すこともなく帰路に就いた。

 香織は来た時とうって変わって、無口だった。歩き疲れていることはあるだろうけど、他にきっかけがあるとしたら、お姉ちゃんの話題ではないだろうか? 秘密にしていたらしい姉の存在を言い当ててしまったのだから。香織は今、悲しんでいるのだろうと思うと、僕も喋る気にはなれなかった。余計なひと言を言ってしまった。


 じっとりと汗ばんだ白いシャツは、乾いた部分を徐々に減らしていき、お互いの知らない部分を埋めていく白地図のようだった。僕はまだ、白地図のどこに境界線を引いていいかもわからずにいた。熱風という夏の忘れ物が、或る日の僕達の追い風となり、距離感を縮めながらお互いを少しずつ傷つけていった。




 文化祭当日、ワッフル屋の模擬店は、思いのほか行列ができて、準備した分は昼前に完売した。

「壁紙の前で、ワッフル片手にインスタ撮ってるのうれしい!」

 香織の一言に、僕たちは思わず顔を見合わせて笑った。

「これぞ“映え”ってやつだな」

 仁がスマホで3人を自撮りするまねをして、はしゃいだ。


 僕たちの距離感は空模様のように、日々、変化していくのだろう。






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