ミロの虚空

 ラムゼンははさみを黙って受け取った。


「どうじゃった?」


 しばらくはさみを眺めると彼は訊いた。


「死んだ」


「死んだ?」


「アニサキスを切ったら首から血が吹いて死んだ」


 このホームまで辿り着くので精一杯だった。ぼくはもう立っているのもやっとだった。身体に力が入らない。


「アニサキス?」


「首から出てる白い糸」


「おうおう、そうじゃそうじゃ。それじゃ。ん、どういうことじゃ? それを切ったら血が吹いたのか」


 ぼくがそれに答えないでいると、察したのか「なるほどのお」と彼は言った。


 ぼくはラムゼンからはさみを取り上げ、彼の首筋に突き付けた。彼はやや顔を引き攣らせ、細めた目でぼくと見た。


「あの人は死んだ」


「そんなことになるとは」


「嘘だ」


「何がじゃ」


「あんたはいつもわかってる。魔法のことも、全部わかってる。宮城さんが言ってた、あんたも迷子だったって。ぼくと同じだったって」


「何が言いたい?」


「こうなるってわかってたんだろ」


「わからんかった」


「本当のことを言え、疲れてるんだ」


 怒鳴ってやりたい気分だったが、そんな気力はなかった。


「説明せんで悪かった。しかし、そうなるとは思わなんだのじゃ」


「三善さんは死ななかった。友達三人にも試したけど、無事だった。でも……」


「でも?」


「まるで赤の他人にみたいな接し方をされた」


「そうじゃろうとも」


「は?」


「そらそうじゃ、絶交したんじゃからな。第二人格を破壊する方法は、この鋏で縁を切る以外にない」


「なんであの人は……」


「説明はする。まずはこの鋏をどけてくれ」


 ぼくは従った。鋏をラムゼンに返した。


「あの魔法は“ミロの虚空”と言うてな」


 ラムゼンはローブの襟を直したながら言った。


「他者の表面に、術者にとって都合のいい第二人格を形成する魔法だろ?」


「いや正確には違う。世界改変魔法じゃ」


「世界改変?」


「つまり、発動した瞬間から世界がお主の都合のええように辻褄を合わせるんじゃ。随分前に言うたじゃろ、辻褄を合わせると」


「都合のいいようになってないじゃないか」


「お主、ミロのヴィーナスを知っておるか?」


「ヴィーナス像? あの腕のない」


「そうじゃ。あの像はあれで完成しとる言う芸術家が世界にたくさんおる。どうしてかわかるか?」


 ぼくは首を振った。


「儂にもわからん。しかしこう思う。その者らはあの像に、頭の中で都合のええ腕を生やすんじゃ」


「都合のいい腕?」


「お主もその女子おなごに対してやったんじゃろ?」


「は? やってない。あの人には腕がある」


「ものの例えじゃよ。都合のいい腕は、時間が経つほど頭の中で美化されてゆく。魅力は肥大してゆく。しかしそんな腕はこの世のどこにもない。なぜならミロのヴィーナス像には、腕がないからのお。お主はその女子おなごに対し、都合のええ人格を想像したんじゃ」


「それはあんたがぼくに魔法を教えたから」


「魔法を行使する前の話じゃ。お主は最初から、その女子おなごの中身など見ておらん。都合のいい、理想像を見ておっただけじゃ」


「してない」


「では彼女の何を好いておったんじゃ? ん? 話もしたことがなかったのじゃろう? 名前も知らなんだ、そう言うておったではないか。違うか? ん?」


「それは……」


「名前も知らん、会話もしたことがない、学内で見かけるだけ、顔しか知らん。声は聞いたことがある。それでよく好きとか言えたもんじゃわい。お主はただ、その女子おなごのことおwダッチワイフ程度にしか思おとらんかった。ホルモン過多の童貞か、ストーカーと同じじゃわい」


 ぼくは目をぐっと見開いてラムゼンを睨んでいた。頭の中に言い返す言葉が何もなかった。


「友人たちは死ななんだ。しかし想い人は死んだ。それがすべての答えじゃ」


「答え?」


「その三人の友人たちとは仲がええのんか?」


「別に。流れで一緒に行動したり、授業に出たり、お昼を食べたり」


「それなりの付き合いがあるっちゅうわけか、なるほど。つまりお主は、その友人たちに対しては、人と思おて接しておったわけじゃな。三善ちゃんに対しても人格を認めておった」


 人格、人格、人格……。

 うるさい。この人格という言葉がうるさい。耳鳴りがする。


「しかしその意中の女子おなごに対しては、物くらいにしか思おておらなんだ。そういうことじゃ。だから死んだ」


「意味がわからん」


「簡単なことじゃ。物とのあいだに関係性は作れまい。お主と友人ら、三善ちゃんとのあいだには、人と人との付き合いがあった。しかし意中の女子おなごとのあいだには何もない。なのにお主は好きとか言うておった。それは新しいゲームや新作のジュエリーなどに憧れ、欲することと何ら変わらん。単なる記号消費じゃ。記号とは物。物は所有するものであって、関係性ではない。お主はその女子おなごを所有したかったに過ぎん。頭の中で美化された、都合のええ女子おなごをのお」


「死んだ理由を聞いてるんだ。老害の説教を聞きに来たわけじゃない」


「お主が街で女をナンパしたとする」


「は?」


「お主が街で女をナンパしたとする」


「いま聞いた!」


 ぼくは怒鳴った。


「そのナンパした女がお主を無視して素通りしたとしよう。その女の後頭部を後ろからひっぱたいたら、どうなると思う?」


「どうなる?」


 すぐに言葉が出てこなかった。


「捕まる?」


「無視できん」


「ん?」


「無視できん」


「無視?」


「それが暴力の性質じゃ。じゃからお主の想い人は死んだ。自分と関係性のないものを手っ取り早く振り向かせるには、暴力が一番じゃからなあ」


「いやいや、説明になってないだろ。血が噴き出したんだぞ? はさみで首を切ったわけじゃないんだ。切ったのはアニサキスだ」


「それは演出じゃ。魔法は空気を読む。この魔法は辻褄を合わせる。お主は友人たちの人格を認めておった。その友人たちに魔法をかけた。作られた人格は、本人格に対して第二人格。じゃから切っても死なん。切ったのは第二人格じゃ。しかし意中の女子おなごとは関係性がないし、何も知らんし、何も認めておらん。ただ見てれがお主の趣味だっただけじゃ。そこに都合のいい人格を見ておっただけじゃ。魔法によって生まれた人格が、お主にとっては彼女の本人格じゃ。お主が切ったのは本人格じゃ。魔法は空気を読む。魔法は、辻褄を合わせる」


「辻褄を、合わせる……」


 気がつくとラムゼンの言葉をなぞっていた。

 ぼくはもう腑に落ちなくていいと思った。その方が人生、幸せそうだ。

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