第二人格
ぼくは地下鉄に走り込んだ。京都駅まで行って、乗り換えて、それから大学の最寄りの駅へ向かった。
駅につくと行きたい方向と逆のホーム、つまり行く予定のない方面のホームに立った。しばらくして無人の電車が現れた。ぼくは逆様電車へ乗り込んだ。
異世界駅で降りたぼくをラムゼンが出迎えた。傍にエンヴリヲが浮遊していて、相変わらず線路を見つめている。ぼくの背後で逆様電車が出発する。
「何なんですか、あの魔法」
ぼくはラムゼンに言った。
「何なんですか!」
言い放った。
「しばらく見んうちに、随分と肌が青白くなったのお。血でも抜かれたか? どうしたんじゃ、今日はやけに機嫌が悪い」
「あの人に魔法を使ったんです」
「おお! ついにやったのか、でかした」
ラムゼンの晴れた表情に「違うんです」とぼくはきつく言葉を被せた。彼は黙った。
「聞こう。違うとはどういう意味じゃ」
「ラブホに誘われたんです」
「ラブホ?」
「ラブホテルのことです」
「それはわかっとる。それの何が問題なのかと聞いておる」
「大問題ですよ。だって、初対面ですよ?」
ラムゼンの目線が宙を漂った。数秒あって「なるほど」と彼は言った。
「気に入らんのじゃな、そういう女が」
「わかってます?」ぼくは細目をして訊いた。「ぼくが問題だって言っている言葉の意味、ちゃんと理解してます?」
「もちろんじゃ、理解しておるとも」
「いや、理解してないな。あなたは理解してない。初対面でセックスしようなんて言ってくる人じゃないんですよ、あの人は」
「やけに詳しいのお、初対面じゃというんに」
ラムゼンがへらへらした。
「おまえ、ぶっ殺すぞ」
ぼくは自分の頭に血が上ってゆくのがわかった。ラムゼンの表情は微妙にも変わらなかった。
「いったい何が不満なんじゃ。セックスでもなんですればええじゃろ」
ラムゼンは、ええじゃないか、ええじゃないか、と踊り始めた。気でも狂ったか。
「あの魔法はなんですか! ほんとうのあの人はどこに行ったんですか!」
「どこ?」
「あれは本当のあの人じゃない」
「第二人格というやつじゃ、言うならばのお」
「第二人格?」
「言っておらんかったか?」
ぼくは首を振った。
「そうか……。確かに、それはその女の本当の人格ではない。しかしお主にとって都合のいい人格ではあったはずじゃ。お主を受け入れ、即ラブホテルへ誘い、交接の誘いまでしてきたのじゃろう? その女と寝るのが嫌なんけ?」
「そういうわけじゃ」
「では好きなように寝るがよい。それがお主の悩みを解決する。魔法の影響を受けた者は、お主を拒絶せん。つまり博打する必要がないんじゃ。必ずお主を好く。どんな年齢のどんな女もじゃ。どうじゃ、夢のようじゃろう?」
「人前でセックスしようとか言ってくるんですよ、おかしいじゃないですか」
「なんじゃ、周囲の目を気にしとるんか? それなら心配ない。この魔法は辻褄を合わせようとする。彼女がそういう言葉を使い、お主を巻き込んだ何か人間関係に、支障をきたすと魔法が判断すると、第二人格は女の奥底へ潜る」
「潜る?」
「安全が確保されるまで表に出て来んというわけじゃ。早い話が、お主の前にしかその人格は現れん。彼女の友人には魔法をかけたか?」
「かけてません」
「ならば彼女が友人たちといるときにでも、いちど声をかけてみぃ。第二人格は表に出て来ん。彼女の本人格は、第二人格のときにしたお主との会話や交接のことを知らん。もし彼女との関係を公のものにしたいのであれば、より多くの者に魔法をかけることじゃ。まずは彼女の友人からかけるとええ。そして彼女たちとも楽しめばええ、色々とな。お主は自由じゃ」
「それってあの人から人格を奪うってことですよねぇ」
「魔法のかかっておらん者の前では本人格じゃ。気にするな。その
「ペルソナとかそういう次元じゃないでしょ」
「何が不満なんじゃ、お主は儂に言うたではないか、拒絶されるのが怖いと。だから儂は解決策をお主に提供してやった。とても
「こんな魔法だって知ってたら」
「使わんかったか? ほんとうか?」
ぼくは唾を飲んだ。
「お主は正直者か? 嘘ではないと言えるか? その魔法は男にも効くぞ、誰にでも効く。その意味がわかるか?」
「……わかりません」
「お主はもう食うに困ることがないということじゃ。上手く使えば贅沢の限りを尽くせる」
「あなたがその限りを尽くせばいいでしょ、なんでぼくにこんなもの教えたんですか」
「魔法使いだから」
ラムゼンはかわいこぶったように微笑んだ。ぼくは耐えた。きっと顔が真っ赤だろう。色白だから余計に真っ赤だろう。
答えになってない。なのにラムゼンは、それ以上説明する必要がないとでも言うような、堂々とした顔をしている。
「他に聞きたいことは?」
もう話が終わったと思っている。やばいな、この人。サイコパスだ。
「詠唱したとき……呪文を叫んだとき、周りの人がぼくを見てませんでした。大声を出したのに気づいてないみたいだった」
「みたい、ではなく、そうじゃ」
「叫んでも気づかれない?」
「魔法がちゃんと発動したときはな。失敗したときは気づかれるでの。魔法が発動しなかったということじゃから」
もうあまりラムゼンの声が頭に入ってきていなかった。
錦市場で声をかけた瞬間のあの戸惑った感じ、歯切れの悪さ、あれが本来の彼女なのだろう。すらすらと猥褻的な単語が口から飛び出るくるあれは、彼女ではない。でももう会えない。
なんだか疲れた。
「あなたのせいで……悩みが増えました」
やれやれ、とでも言いたげにラムゼンが首を振った。
ふと向かいのホームのフェンスの外に、宮城さんが見えた。目が合うと宮城さんは手を振った。
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