第20話 ソラリムへ


 雨に濡れたコンクリート道路をしばらく進んでいると、三次元マップの先に大きく崩れた箇所が映し出されてきた。

 やがて視界が開け、そこに現れたのは――地震で崩落した谷間のような裂け目だった。

 アスファルトは裂け、鉄筋がむき出しになった橋脚が斜めに折れ曲がっている。


「これ、越えられるの?」後ろから凛々子の声。

 周辺は泥が雨で重くなり、さらに大きく崩れそうだ。

 強い雨粒がキャノピーを叩く。ギリギリ通れそうな道路脇を行くために足の一本一本置き場を考えていると、

「崖、登っていきいや。こいつの性能はこんなもんじゃないで」

 とジョアンがアドバイスしてくれた。振り返ると、ジョアンは狭い後部スペースで膝を抱えながらも、口元に自信ありげな笑みを浮かべていた。


「ちょっと揺れますよ」

 僕は言って、崖の方に意識を向ける。方向を指定すると、ロボットは前足を岩肌に引っ掛けるようにして這い登り始めた。

 後部からは、凛々子が「うわ、落ちそう…!」と短く息を呑む声。

 カークは黙って天井に手をつき、揺れに備えている。

 

 周囲の木々が近づき、枝葉がキャノピーをかすめる。

 雨粒が葉からまとめて落ち、ガラス面を叩いた。

 センサーには、斜面の上方に細い獣道のような平坦部が映っている。

 そこまで登り切れば、崩落地帯を迂回できるはずだ。


 そうやって崖崩れを迂回して、しばらく進んでいるとY字路に出た。

 右手の道は緩やかに登っていて、その先に灰色の外壁がちらりと覗く。

 あれが目的地だ。あの坂を上りきれば、データセンターの入口に辿り着ける。


 データセンターの入口が見えてきた。特に変わったことはないようだ。

 もしかしてC国軍兵士が居るんじゃないかと、用心していたのだけど、彼らはここが核攻撃されることに決まった時点で日本を撤退したのかもしれない。

 少なくとも核被害を受けないところまで引き、様子をうかがってるのだろう。

 

 爆破された入口から入って、奥までロボットを進める。

 もう一つ角を曲げれば、時空の穴が真っ黒い球体として見えてくるはずだ。

 しかしその予想は外れた。

 曲がってみると、時空の穴は白い雪山を映していたのだ。


「おかしいぞ。穴が開いている」

 カークが驚きの声を上げた。

 すぐにキャノピーを開けて、みんなでロボットを降りた。


 時空制御コンソールに向かったカークが言った。

「電源が切られている。C国軍のやつがやったんだな」

「でも此処に居ないってどういうこと?」

 今度は凛々子が訊いた。

「奴ら、この中に入っていったんだ。なにする気なんだ?」

 憮然とした表情のカーク。


「あ、居たよ。こっちからみたら見える。ジョアンの宇宙艇を調べてるみたいだよ」

 凛々子が時空の穴を裏側から見ていった。時空の穴は球体になっているから、見る場所を変えたら違う方向が見えるようだ。


「大丈夫なのか?」カークがジョアンに訊いた

「大丈夫や。彼奴等には傷一つ付けられんわ」ジョアンは自信満々だ。


「とにかく、僕らもソラリムに行きます。後をよろしく」

 僕は凛々子と手を繋いで、カークに言う。入る場所を変えて、C国軍兵士の反対方向に出るように位置を整えた。


 C国軍兵士がソラリムで何をしようとしているのか、今はそれはどうでもいい。

 僕らの邪魔さえしなければ、彼らのすきにさせておこう。


「君らが行ったら、いったんこの穴を閉じるぞ。そうだな今後六時間毎に一度五分だけ開く。時計を合わせておいてくれ。核攻撃の予定までは、あと47時間だ」

 コンソールに向かったまま、カークが大声で言った。

「ミサイル攻撃は防ぐさかい、気にせんでええで」

 時空の穴に向かう僕らの後ろで、ジョアンがそう言った。


 僕らは雪山の映る穴の前に立った。その縁は水面のように微かに揺れている。

 峰々は風に煙るような雪を巻き上げ、遠くで雷鳴のような音が響いている。

 だが、それはこの世界の音ではない。

 空を見上げると、どんより曇っている。そこから雪の粒が無数に落ちてくる。

 厚く垂れ込めた雲の裂け目から、夕陽がわずかに顔を覗かせ、峰々の稜線を淡い金色に縁取っている。


 穴の縁から漏れ出す冷気が、足元の埃を細かく震わせる。

 凛々子が僕の手を握る力を少し強める。

 振り返ると、カークはすでにコンソールに向かい、ジョアンは腕を組んでこちらを見ていた。教会で借りてきたダウンジャケットを凛々子は着込む。

 そして、僕は深く息を吸い、雪の世界へと一歩を踏み出した。


 

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