第3話

 彼女が僕を引っぱっていったのは、屋上に向かう階段にある踊り場だった。


 校舎の端で教室から離れている上に、人から見えにくいところにあるので、カップルがいちゃつくときに使われている。この間も、さっき僕をにらんでいた男子が、友達が彼女をそこに連れて行ったと言って、さんざんうらやましがっていた。


 実際、来てみると、朝で生徒はほとんど登校しているはずなのに、ほとんど声は聞こえない。振り向いても廊下がほんの少し見えるだけで、生徒の姿はない。


 頭上から差し込む日射しがやたらと強い。九月だというのに、まだ夏の気配が消えることはなかった。


「手短に話をしましょ。さぼるわけにはいかないし」


 山林堂は壁を背にして、僕を見た。瞳の輝きは強い。


 改めて見ると、顔立ちが整っていることがわかる。大きな瞳も、小さな口もバランスがよくて、自然と目を惹きつけられる。


 クラスで人気があるのもわかる。


「やっぱり、本橋君だったんだ。昨日、競馬場で会ったの」


 その腕は胸の前で組まれていた。声は淡々としているが、圧力を感じる。


「似ているとは思ったけれど、まさか、あんなところにいるとは思わなかったから、疑っちゃった。声をかければ、よかったな」


 僕は横を向いたまま、口をつぐんでいた。


「ねえ、黙ったままってのはどういうこと? 何か言いなさいよ」


 なぜ、命令されなければならないのか。勝手に呼び出して、勝手に話をはじめたのは、そちらだろうに。


 そう思いながらも、僕は応じていた。


「よくわかったね」

「えっと、何?」

「よく僕だってわかったね。今まで目線を合わせたこともなかったのに」


 山林堂とは口を利くどころか、近くに寄ることすらなかった。


 彼女はクラスの人気者で、もしカーストなるものが存在するのだとしたら、トップに立って、下々の者を見おろす立場にある。実際、彼女の周りから人が途切れることはなかった。朝、教室に来てから学校から出るまで、暇があれば声をかけられ、人に引っぱられて、学校中を飛び回っている。


 ナチュラルにスカウトされるかわいさ。誰に対しても穏やかに接する人柄のよさ。


 人気が出るのは当り前で、ひと月に一回は告白されていると言われる。


 ぼっちの僕とは世界が違う。かかわることはないとは思っていたし、正直、かかわりたくもなかった。


「ああ、あたし、クラスメイトの顔を見るのが趣味なのよ。知っていれば、何かあった時に対応できるでしょ」

「何かって?」

「面倒くさいこと。いろいろあるのよ。クラスでうまくやっていこうとすると」


 そうなのか。本当に面倒くさそうだ。


「だから、前から顔は知っていた。声をかけようとも思ったけれど、いつも横を向いて窓の外を見ていたからできなかった。誰かと話をすることもなかったから、割って入ることもできなかった。だから、昨日、会った時、うまくできなかった。失敗したわね」

「何、口止めでもするつもりだった?」

「そう。昨日、あそこで顔をあわせたこと。誰にも言わないで」


 なんだ、そんなことか。


「いいよ」

「え?」

「誰にも言わない。端からそのつもりはなかった」


 クラスの人気者が競馬場に妙なおじさんといっしょに来ていたと知られれば、大騒ぎになるだろう。そんな面倒ごとに巻き込まれるつもりはなかった。


 というか、僕が洩らしたとしても、クラスメイトがそれを信じるはずもない。立場がまるで違うのだから。


「それでいい?」

「う、うん、いいよ」


 山林堂は困惑しているようだった。まさか、僕が脅すとでも思っていたのか。そんなことできるわけがないだろうに


「じゃあ、戻るよ。面倒は嫌だから」


 教室に戻るため、彼女の横を通り過ぎようとしたところで、声がかかった。


「待って」


 僕は足を止めた。だが、彼女に視線は向けず、うつむいたまま応じた。


「何?」

「本橋君、どうして、競馬場にいたの? 見た感じ、誰かに連れてこられたってわけじゃんさそうだし。もしかして一人?」


 答えたくなかったが、面倒だったので、僕は応じた。


「そうだよ」

「高校生が一人で競馬場に行くなんて、おかしくない?」

「別に違法じゃないよ」


 未成年の馬券購入、もしくは馬券の譲渡は法律で禁じられている。しかし、入場は許されており、入場券を買えば、たやすく入れる。親がいれば、幼児でも入場できるのかだから、高校生が駄目ということはない。制服でも着ていかなければ、目立つこともない。


「馬券、買っているの?」

「買っていない」

「じゃあ、何をしに行っているの」

「馬を見に行っている」

「はあ? そんなことのために、わざわざ? バカみたい」


 山林堂みたいな幸せいっぱいな人には、そう見えるだろう。腹立たしいが、別段、文句を言うほどのことではない。どうせ、誰にもわからない。


 放っておくつもりだった。だが、気がつけば、僕は口を開いていた。


「君にはわからないよ。幸せなんだから」


 そのまま脇を通りぬけようとしたところで、強い力で引っぱられた。


 振り向くと、山林堂が僕の手首を引っぱっていた。思いのほか、それは強い。


「なんで、わかるの?」

「え?」

「あたしが幸せだって。あたしのことなんて何も知らないくせに」

 

声は強かった。思わずひるむほどの強い感情がこもっている。


 山林堂が手を離したので、ようやく僕は自由になって階段を下りられた。最後の一段にかかったところで、また声がした。


「ねえ。今週の土曜日、暇?」


 振り向くと、踊り場に立って、山林堂は僕を見おろしていた。


「暇よね。ぼっちで、遊ぶ友達なんていないんだから」

「だから、何?」

「なら、競馬場に来て。あなたが何をしているのか見てみたい」

「なんで……」

「勝手に人のことを決められて、ムカついたから。あたしのことを幸せだって言う本橋君がどんな人なのか見てみたい」


 嫌だよ。そんなの、かかわりたくない。


「いいよ。来なくても」


 山林堂は笑った。見おろす姿は、傲然という表現がふさわしかった


「そしたら、あなたが競馬場にいたことばらすから。さんざん尾鰭をつけて。ただでさえ避けられているに、新しい噂が加われば、大変な騒ぎになるでしょうね。先生に呼び出されるかもしれないね。それでもよければ、勝手にすれば」


 僕は何も言わずに、教室に向かった。


 もう、これ以上かかわりたくはない。勝手にすればいい。

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