白樺くん考記

ボワニエール活字製作所

白樺くん考記1 評価されたいという心


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白樺(シラカバ)

カバノキ科カバノキ属の落葉樹の一種。樹皮が白いことからこの名がある。

背が高く、上の方にのみ薄く葉がつく落葉高木の広葉樹で、樹高は10-25メートル 。明るい場所を好む典型的な陽樹である。日当たりが良く、肥沃で水はけのよい土地を好むが、暖地や都市部では生育が悪い傾向があるとされる。


白樺派(シラカバハ)

1910年(明治43年)創刊の文学同人誌『白樺』を中心にして起こった文芸思潮

の一つ。また、その理念や作風を共有していたと考えられる作家達。大正デモクラシーなど自由主義の空気を背景に人間の生命を高らかに謳い、理想主義・人道主義・個人主義的な作品を制作した。主な担い手は志賀直哉・武者小路実篤・有島武郎など。

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白樺くん考記


1.


 忙しい時期で毎日真っ暗になるまでは必ず残業するような塩梅であったのがその日だけは急に仕事がなく、定時で帰れることになった。とりあえず仕事から離れ、帰宅の途につくためビルを出ると蒸すような熱気が身体に覆う。まだ脳内には業務のことが残っていて、あれやこれやらを誰にいわなければならないのではないか。なにか忘れてるんじゃないかしらと思っている。

 その間にも仕事場のビルから駅まで少し歩く。間には繁華街がある。繁華街といっても無造作にいくつもの居酒屋や飲食店が軒を連ねて、細い路地を十数メートル埋めているのであって、通勤路として利用するだけの自分にはその繁華という文字がもたらす印象は表面的にも沸かない。ましてや飲み屋の客やら客引きがよく横に並んで歩いたりそのまま突っ立っている。そのことを思えばまったく通勤路としては甚だ不適切である。

 繁華街を抜けると大きな通りに出て、今度は駅に向かう人々の雑踏がざっと波打つ。その波に乗って、改札を抜け電車に乗る。そこから一時間かけ、また電車を乗り換えると最後、住んでいるアパートの最寄り駅につく。

 会社を離れた時にはまだ明るかったのが、アパートにつく頃には既に暗い。その間の心はどこかぼんやりとしている。帰った後はなにをしようかしら、明日が休みならゆっくりできるかしら。そういったことをスマホで動画を見ながら、あるいは何か曲を聴くか、とにかくなにか暇をつぶすのに時間を使いながら思う。

 ふと連続した音がなった。普段は鳴らないラインの着信音だった。だれかが私に通話をかけている。ポケットから恐る恐るスマホを取り出し、画面を見てみると武者くんというSNSで知り合った仲の良い、友人からであった。

「もしもし」

私は少し怪訝げに言葉を発した。

「おう、白樺くん、元気してた?」

彼は私を白樺くんと呼ぶ。

もちろんニックネームで、私が一時期白樺派の志賀直哉に親しみを持っていたことによる。SNSでは文学の話を彼としていたのだ。

彼は白樺派の武者小路実篤が好きだったので、私は彼を武者くんとよぶのであった。

「おい?聞こえてるかー」

武者君は再度問いかけてきた。とくに深刻ではない、軽い口調だった。

なので私も軽く尋ねた。まあぼちぼちだよ。

そっちは?

武者君は一転すこし苛立ったように、いやクソみたいなことがあってさと話を始める。

「SNSで哲学のグループチャットを始めたんだけど

さ最初は楽しくやってたんだけど、一人おかしなやつが入ってきてさ」

「それはどういった?」

「自分の考えを押し付けてくるやつっていうの

かな」

「厄介だな」

 聴くと彼は哲学の議論をするチャットに参加しているという。といってもそこまで難しいものでもなく、たとえば愛とお金どっちが大事か。あるいは

トロッコ問題、水槽の中の脳———というような

ままありふれたテーマをグループのみんなが自分の思ったこと、考えをざっくばらんに話すという感じらしい。

 「各々の考えを述べてシェアする場、少なくとも 俺はそういう場だと思っているんだが。そいつは他人の意見にはとにかく自論をコメントする。いや、それ自体は悪いことじゃないんだけど、ほかの人の意見に乗っかるならその人の意見から発展させるべきじゃない?でもそういうのじゃなくて、自分の話 

のしたい内容に誘導する感じなんよね。たとえば

トロッコ問題といえば昼飯と夕飯どっちが好きで

すか、みたいな、トロッコ問題から発展する内

容?てかまるっきりちがうだろみたいな。それから、それに反論があったりするとすぐ皮肉めいたことや人格批判を混ぜて話をし始める。あなたは客観的じゃない、結局なにが言いたいんですかとか、つまり人からの疑問や俺はこう思うと言われるとそれがもうすでに気に食わないのか。自分が否定されていると感じるのかとにかくああだこうだ議論や問答にもっていこうとする」

 武者君はそこまでいうと一息ついたようだった。 

 すこしが間があいたので私が話す。

「グループチャットでか。そうなると皮肉や悪口がずっと2chでいうならレスを埋める状態になるって感じか」

 武者君はいやそうなんだよそうなんだよと電話越しでもうなずいていそうな勢いで肯定の意を示す。

「だからよ、周りも、っていってもチャットだから見えないんだが萎縮しちゃうだろ。しかも数十人もいるからほっとけばいいのを何人かはムカッと来るのか喧嘩なんか始めた日には目も当てられない」

ここで武者君はまた一息ついたようだった。沈黙が流れる。

「まあでも難しいよな。相手は相手の都合があるんだろう」

私は迷った、その嘆息の響きにどのようにこたえるべきだろうか。

彼が私に電話をかけてきたのにはその嘆息の中にあるものを引きずりだしてほしいからに他ならないのだが、私にはそれはいっこうにつかめなかった。

そうこう考えているうちに彼は話しを始めた。

「すまんすまん、なんだか話がまとまらないでわるいな。つまり、話の終着点としては、こういうすぐ攻撃的になるやつってのは評価されたいって気持ちが強いと思うんだ。不必要にね。白樺くんはどう思う?」

攻撃的な人間の評価されたいという気持ちに関して。評価されたい。人間は常にこの欲求を持っているように思える。そして、それには強弱があるだろう。ただ今回の場合はまたすこし違うようにも思えた。

「評価されたい。実際その気持ちが強すぎるんだと思うよ、確かにね。しかし、ただ評価されたいってのとも違うんじゃないかな」

「というと?」彼は疑問に思ったようだった。

 「つまり、別に評価されるだけなら良くも悪くも他人が勝手に決めるだろう。それでいいと思うんだよね。だってそれって変えようがなくね?社会で生きてたら例えば仕事で上司が話が通じないとか、そうじゃなくても取引先だったり、お客さんだったりなんでもいいけど、他人を変える難しさってめちゃくちゃでてくるやん。親が年取ってきてボケてくればどうしようもないし。年を取ればとるほどそういうのが現実味を帯びてくる。だから逆にいえば別に他人が自分をどう評価しようがそれを受け入れるかは自分次第だと思う、それがお互い様だろ。でもそいつはそもそも他人がどう思うかを変えようとしているというかよく評価されたい。正しく評価されたいって気持ちが強いんじゃないかな」

 「つまりレビューならなんでもいいからほしいじゃなくて星5が満点なら星5しかほしくないやつみたいってこと?」

 「そういうこと」

 武者君は少し考えたようだった。

 「いや、なるほど、評価されるってことの中にも分類があるとはあまり思ってなかったな。確かにもう社会人になって数年もたつといい評価をされたいとは思わなくはないけど、それって自分ではどうにもならない部分もあるって分かってくるから、ある意味開き直りというか。自然体でいることが一番重要だなって思ってきてたかも。人からなんか言われても自分は自分、他人は他人だし。 自分の評価は自分で決めるもんなんだよな」

 「そういうことだと思う。ただ件のレス荒しのそいつはそういうのが分かってないんじゃないかな。他者評価が自己評価だから他者評価をとにかく

求めるし、それが自分にいい方に向いてないと気が済まない」

 私がそういうと武者君はなるほど、なるほどね、うんとつぶやいた。

 「いや、なんかもやもやしてたけど整理できたわ。自己評価と他者評価ってあんま理解してなかったけど、聞いてたらなんかわかった気がした」

 「おれもあんま考えたことなかったからあとで変わるかもしれないけどな」

 「まあそれもそれでありじゃね。まあまた時間あるときにでもゆっくり話そうや」

 「おう、ありがとな、それじゃ」

 おう、ばいばい。通話が切れた。

 通話が切れて、しばらくさきほどの話を反芻する。人の口から出た言葉というのは

自ずから出たものであっても、後から何かと自分が言ったようなものではないような

気がしてくるものだ。評価されるということは私は実際求めていないのだろうか。

求めているのだろうが、ただ無理解に慣れてしまっただけ?

仕事上のコミュニケーション、恋愛のこと、すべては自身に決定権があるという考え方はなかった。それを認めるならば、極論なんでも自分の思い通りになってしまう。しかし、実際はそうではない。少なくとも私にとっては。また多くの人にとっても。

私はやはりそう信じるようになった。相性やタイミングというのはいい言葉で以前仕事や恋愛でうまくいかなければ、自分の何が悪かったのかと責めたが今はそういうことはやめようという話になった。

三島由紀夫は昔大層自己嫌悪が強かったそうだが、ふとある時、自己嫌悪は非常に非生産的な感情だと思い、それでよしたと言っていた。

そういった理屈は自分の中で確立されていたわけではなかったが、結局はそれと同じ感情的なことなのだと思う。


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