第2話 初夜後/翌朝

「こんなにお腹いっぱいなこと、初めて…」

「そりゃよかった。あれだけやったのに割と元気だな」

「かわいいって言われたのも、初めて」

「あー、それは気にすんな」


 いつも娼婦へ囁いてるリップサービスが、つい淫魔相手でも口から出ちまった。自室のベッドの上、隣で横になっている淫魔から、ごまかすように目を逸らす。

腕の中でゆっくりと腹をさすっていた淫魔は、ふと俺を見上げた。首元では、菱形を組み合わせたような形の隷属紋が、ほのかに赤紫の光を放っている。事の前に付けさせた理由は、もちろん精の吸いすぎ防止だ。こいつのためじゃなくて、俺が吸われすぎないために。


「神父の精は毒だって言ってたけど、全然苦しくない。本当に僕、このまま死ぬの?」


 首を傾げて紡がれた言葉は、あまりに直球で純粋な質問だった。月明かりで輝く緑の瞳が、まっすぐに俺を見つめている。腕枕をした側と反対の腕を伸ばし、視線を遮るように髪を手ぐしで梳いてやる。透き通るような亜麻色の髪はふわふわと指に絡まり、するりとほどけていく。いい感触だ。


「それはお前の体力次第。運が良ければ生き残るけど、そうなったら聖水な」

「……」

「それまで毎晩、食わせてやるから」


アッチの具合はかなり良かったし、使い捨てじゃもったいない。下心を隠すように滑らかな額へそっとキスを落とせば、淫魔は俺の胸に頭を寄せ、静かに肩を震わせた。

うっとうしいが、背中をなでてやった。このくらいじゃ、情は移らんさ。



***



翌朝


 朝特有のひんやりした空気の中、あくびをしながらしゃがみ込んでかまどの縁に手を触れる。表面に彫り込んである紋様をなぞれば、奥からぼわりと赤い火が現れ、ゆらゆらと捻れ揺れながら安定した形に整っていく。顔に熱を受けつつ、楕円形にまとまったのを確認して立ち上がり、鍋の蓋を開けて白い中身にレードルを沈ませて、ぐるぐると混ぜる。ゆっくりと湯気を上げ始めたそれは、昨日の残りのシチューだ。


「おはよう……」

「お、やっと起きたか」


 か細い声に振り返れば、昨日連れ込んだ淫魔が立っていた。他に服もないので俺の寝間着を着せているが、だいぶだぼついている。袖は手の先から垂れ下がってるし、下は膝上まで隠れている。日光の下でまぶしそうに目を細める淫魔は、昨日捕まえた時よりもつやつやと血色が良いように見えた。


「本当に元気そうじゃん。もしかして俺の精、あんまり効果ない?」

「え?えっと…、とても美味しい精だった」

「そういう事じゃないんだよぁ」


 レードルを引き上げ、ほんの少し手の甲に垂らして温度と味を見る。うん、ちょうどいい。かまどの紋様をなぞって火を消し、隣に積んだ木皿を2つ並べた。一つずつ持ち上げて、こぼさないように注いでいく。とぽとぽと音を立てて取り分けていると、淫魔はおずおずと近付いてきた。首元の隷属紋がちらりと光る。


「あの、これからお仕事なの?」

「そーだよ。神父ったって、働かなきゃ飯は食えないからな」

「大変、なんだね」

「そうさ」


 適当に答えながら、2つの皿を持ってテーブルに移動する。それを対面に置く間に、淫魔はまた近付いてくる。そういえば、茶の用意がまだだったな。再度かまどに火を入れ、水と茶葉を入れたケトルを置く。ついでにと、木製のさじを2つとライ麦パンの入ったかごを持ち、テーブルに運ぶ。せっせと俺の後をついて回っていた淫魔は、しびれを切らしたように口を開いた。


「あの…」

「何?」

「僕は何をすればいい?」


 淫魔は首元の隷属紋に手をやって、訴えるように俺を見上げる。なるほど。こいつ、さては使役目的でも契約したと思ってんな。まぁ、選んだのが隷属紋だから勘違いも仕方ないか。


「そういう目的でお前を囲ったんじゃないから。愛玩用?性処理用?そんな感じ」

「……」

「俺、自分の生活に手出されるの嫌なんだよね。だからお前は何もしないでいた方がいい。というか、するな」


 淫魔は釈然としない、とでも言いたげに首を傾げている。無視して薬草茶を入れて席に着けば、シチューの濃い香りがふわりと漂った。次の日のシチュー、味がなじんで旨いんだよな。舌なめずりをした所で、立ちすくんでいた淫魔の腹がきゅるりと鳴った。慌てて腹を押さえてうずくまった淫魔は、恥ずかしいというより怯えたような目で俺を見上げてきた。なんだ、何かトラウマでもあんのか?不思議に思ったがまぁそれはどうでもいい。食事前の祈りを捧げてからさじを手に取り、声をかけてみる。


「そういえばお前、飯食うタイプの淫魔?」

「も、もらえるなら。口から食べるご飯もちょっとだけなら力にできる」

「そう。食うんなら、冷めない内にさっさと食いな」


ライ麦パンを手に取り、ナイフで薄く切りつつ様子を見れば、淫魔は驚いたように目を見開いていた。数歩テーブルに寄って、顔を覗き込んでくる。近ぇよ。


「いいの?」

「腹減らしたやつの前じゃ飯は食いづらいし、俺はそんなにケチじゃない」

「……祓うのに、くれるの?」

「せめて腹ぐらい満たして終わりてぇだろ。いつまで保つかは知らないけどな」

「…うん!」


何故か笑顔になった淫魔はテーブルにつくと、さっそく匙を手に取ってシチューを口に押し込んだ。そのままぱちぱちとまばたきをして、頬をさする。


「…、おいしい!」

「そうか。口に合ってよかったな」


 緩んだ顔で何度もシチューを口に運ぶ姿は、普通の少年となんら変わらないものだった。生き物が夢中で飯を食う姿は、どうにも面白いもんだな。切ったライ麦パンを差し出してみると、一度俺の皿を見て、同じように浸して食べ始める。うん、これは楽しい。数枚切り分けてライ麦パンを包んでいた布に置いてやり、改めて自分の匙を持つ。



案外面白い拾い物をしたかもしれない。この淫魔を祓うのは少し惜しくなったが、それはそれ。最後まできっちり使わせてもらうさ。

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