紙がない
――――トイレの紙が、なくなった。
朝からお腹がゆるくて何度も駆け込んだトイレ。
芯だけになったトイレットペーパーはからからと音を立てて最後の一切れを見送り回る。
なるべくしてなった光景を俺はしばし眺めるも慌てはしない。
最後の一切れは一周分以上はある。
拭き足りなかった分をもう二、三ふいて、完了。
立ち上がり、トイレを流して出た。
腹がゆるくとも、歩いて五秒以内にトイレに駆け込めるのだから、リモートワーク万々歳。
手を洗って再び席についた。
——おっと、五分後にミーティングだ。トイレも済ませた五分前行動、完璧。
〜〜〜 一時間後 〜〜〜
くそっ、昨日が締め切りだったか。
飛び込み作業で予定が狂ってしまったことを言い訳に、期日を伸ばしてもらった。
詰めればいけたか? いや、そもそも頭から抜けていた。
昨日も残業だったしな。
残業が起きるのは、天変地異があったか、そもそもの計画がクソだったかのどちらかだ。
完璧な計画こそ美学。
今回は前者だった。俺はやむなしと頭を切り替えることにした。
過ぎたことより、伸びた締め切りの作業をなんとかしよう。
ああ、その前にトイレだ。
…………あっ
トイレットペーパーに手を伸ばすも、その手は空を切った。
カラの芯、出してねぇ。
一糸まとわぬ姿の芯を取り外し、そばのタオルがかかったタオルホルダーにのせてやる。
当然、新しいトイレットペーパーも装填されていなかった。
これでは用が足せない。今日はまだ、長い。
ペーパーホルダーの下で出番を待つ換えの新しいトイレットペーパーを取り出した。
着ぶくれしていたタオル地の予備ホルダーがぺたんとしぼむ。
ホルダーに装着して、完了。
トイレに十分間。
激辛はケツまで痛いってのは、本当らしい。
好奇心だけで昨日の夕飯にした。
この腹の具合、たぶんまだだな。
痛みに悶絶したあの時間はおそらくカミングスーン。
トイレを出て、メールだけ見て……異常なし。
すぐそこの自販機へコーヒーを買いに出た。
〜〜〜 一時間後 〜〜〜
トイレトイレ……
…………あっ
トイレに忘れ去られたペーパーの芯が寂しそうにタオルホルダーの上で横たわっていた。
忘れていた。
まあ、このあと捨てればいいか。
トイレのドアを閉めた直後、はるか遠くから携帯の着信音が流れてくるのが聞こえてきた。
げっ、何かあったか。
急いで用を足すとすぐにトイレを出た。
〜〜〜 五分後 〜〜〜
無事に電話を終え、横やりが入ったが再びトイレへ。
…………あっ
カラの芯捨ててねぇ。
タオルホルダーの上に横たわったそいつが恨めしそうにこっちを見てくる。
すまん。
今度は忘れないようにポケットに入れておいた。
ポケットが膨らむ。
これだけ存在感があればさすがに忘れない。
用を済ませて、トイレを出た。
もちろんポケットのぶつはゴミ箱に捨てた。
よし、完璧。
さあて、午後も集中集中。
〜〜〜 二時間後 〜〜〜
トイレ……のドアを開ける前に、俺はこれまで失っていた記憶を取り戻す。
奴なら捨てた。
そこにあったのは——
中身がなくぺたんこになったトイレットペーパーの予備ホルダー。
補充、忘れた。
————————————————————
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
トイレを出るたびに記憶を失う人の話でした。
しょうもない題材ですが、笑っていただけたら嬉しいです。
過去に忘れられたトイレットペーパーたちも成仏することでしょう……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます