第4話 女たちのムラムラ解消法その2
建部稲穂はビンカン♥体質である。
見られる事に対して鈍感でもあり、然れども敏感である。
恥ずかしいけど、褒めてくれるし喜んでくれるからいっか~♥ のノリで、大学時代はキャンギャルのバイトで荒稼ぎしていた。普通のバイトがアホらしくなる稼ぎであった。
陽キャである。人当たりもいい。そのくせナチュラル美人。黎明期より活動するキャンギャル追っかけカメコのプロフェッショナル(63歳独身・無職)は言う、
『逸材』
と。
人気は即ち客寄せに、仕事に繋がる。なにせ人当たりもいいし、どんな相手とも楽しく話せるという優秀なスキルを有す。
やがて企業から直指名されはじめると、バイト先タレント事務所のハゲ社長(業界では有名な豪腕)が稲穂に『大学辞めて専属契約しよ! 一緒にスターダム目指そう』と土下座し始めたあたりから冷めて来た。
追われれば逃げる。避けられると惹かれてしまう――そんな魔性の女の口癖は
『女って損よねェ……』
何がそんなのかわかんないけれど、そう言っておけば"ソレ"っぽいからそう言った。
たぶん"月9"とかのトレンディドラマに影響を受けたのだろう。すぐ流される。エビアンホルダーとかホワイトバンドは当然のように買った。
そのノリの軽さから"なんかヤれそう"な雰囲気が半端ない。
でもヤれない……
ハイクラスの男が真剣に口説きにかかると爆笑してしまう――ヤれそうでヤれない、少しセクハラまではいける女……それが建部稲穂――女教師。
【稲穂】
「話は変わるけど――」
【桧】
「あ、変えます?」
逃げたのを一瞬で突っ込まれたが、そこで"ぐぬ"る稲穂ではない。
【稲穂】
「冗談よ冗談……話は繋がってるから安心して」
【桧】
「さすが教職、話の組み立てが巧みです」
露骨な嫌味に聞こえたが、稲穂は向けられたネガティブを2秒で忘れ去ることができた。
【稲穂】
「最近の若者はタイパだのコスパだの言うけどさ、深く考えず都合良く理解不足を誤魔化してるだけに聞こえちゃう。あれはよくないわ。愛を語り合うのにタイパとかないでしょ?」
【桧】
「先生も"その若い方"だと思いますけれど……そういう風潮には同意見です。私が調べたり考えたりするのが好きすぎる部分もありますが。愛に関しては、私はよくわかりません」
やだ、むしろそれカッコイイ♥ 今度どっかで私も言お!
【稲穂】
「そんなヒノキーに質問! まあまあセンシティヴなこと聞いていーい?」
【桧】
「私の認識が間違っていなければ、私は年下の小娘で、そちらは年上でかつ、教師だった気がしますが、どうぞ」
【稲穂】
「だってヒノキー私より大人っぽいじゃん、落ち着いてるし」
【桧】
「そうでしょうか。みなさんそう仰ってくださいますが、何も考えていないだけですよ私」
【稲穂】
「またまたぁ。聞きたいことはね、めっちゃムラムラ悶々とするときってあるじゃない? ヒノキーはどうやって解消してる?」
最初っからそういえば良かったのに、タイパの悪い女である。
しかし、女は意味の無い話が大好きなのだ。男がそれを指摘すると何故かブチギレるので言わないようにしよう。
【桧】
「それ、教師が生徒に聞く質問ですか……」
さすがの八束桧も困惑の表情。
【稲穂】
「先生だから聞けるんでしょ、生活指導よ生活指導!」
この人には適わないなあ、という表情を見せてから、桧は淡々と語った。
【桧】
「……ムラムラ、悶々……うーん、そうですねぇ。夜の街に出て、行きずりの異性を探して身を委ねます」
【稲穂】
「ウソー!? まじで?」
【桧】
「ただれているんですよ私」
【稲穂】
「……」
【桧】
「まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかった顔をしてますね」
【稲穂】
「まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかったもん! エー、ヤダー! ヒノキーみたいなイケメンクールが軽いのヤダぁ~!」
まあまあレベルで悲しくなる稲穂。教師として訊いたのではないのですかと桧は苦笑を噛み殺しながら、
【桧】
「冗談です。部長が、切り返しは相手の思いつかない事を言って主導権を握れと。私が言うと相手が眉をひそめそうな返し例のひとつだそうです」
【稲穂】
「ほっ! 冗談でよかった! そしてなによその例は! 英田のアホは一度とっちめてやらないと駄目ね」
【桧】
「それが彼なりの、私への気遣いなんですよ」
建部稲穂はその言葉を聞いてピキーンときた。本日二度目。
【稲穂】
「あっ! いまなんか、青春っぽい匂いがした! え? 英田? やだ、新聞部ってチョー複雑ぅッ! でもでも、オネーサンそういうの好きよ♥」
【桧】
「飛躍しないでください……そうですねぇ、胸がザワザワするとき、私は猫カフェに行きます」
胸がザワザワとムラムラの違いはなんだろう。
稲穂も桧も、一瞬考えたが気にしないことにした。オノマトペは難しい。
【稲穂】
「おお! ヒノキーと猫カフェ? 意外な組み合わせ!」
(ありがち映画の)冷徹ロシア女みたいなのを想像していた稲穂は心底驚いた。
そして、どーせそんな感じで見ているんだろうな、と思っていた桧。興味津々グイグイ距離を詰めてくる稲穂に話し始めた。
【桧】
「私は無愛想で背丈も無駄に高いので、怖がってなかなか近づいてきてくれないんですが――」
【稲穂】
「♥」
警戒した猫に周囲をぐるぐる取り囲まれる桧を想像して、稲穂は激しく悶えた。孤高はいつだってカッコイイ。
【桧】
「どこのお店でも大抵、一匹は私なんかにも興味を示してくれるネコチャ……猫がいまして。鼻や前足でちょんちょんさぐりを入れて……無抵抗だと気付くと、膝の上にのってくれて。その瞬間、私の母性は昇天します」
【稲穂】
「わかるー♪」
【桧】
「しかしながら、私みたいな無駄に女やってるようなモノが猫を撫でてもいいのだろうかという不安がありまして……そうこうジッとしていると、別の子猫ちゃんが私で登る練習をしたり……肩から頭頂部への跳躍を待つ間、人生で一番の心拍数を記録しました。遂に成功した後、何事もなかったかのように頭の上でちょこんと座るんです。私は猫ちゃんを落とさないように全神経を集中して、頭部の柔らかさ……生の暖かさを感じ、世の不条理から解脱します」
【稲穂】
「複雑ぅ。でもなんかわかる! 恋と同じよね!」
なんかよくわかんない事は、恋とか人生に言い換えればそれっぽい――建部稲穂はソクラテスやアリストテレスが度肝を抜かれる哲学を有していた。
【桧】
「(全然違いますけど)まあ、そういう感じです」
第三者からみれば熟年離婚直前の老夫婦の朝くらい適当な返しだった。
【稲穂】
「猫カフェかぁ……なるほどねぇ。確かに解消されそう。癒やされたいのよね、結局は」
【桧】
「癒やしは人それぞれでしょうから、まずそれを見つけることが重要かと思います」
【稲穂】
「私も猫飼おっかな……でも、日中はどうするの? ずっとお留守番? ヤダヤダ! 私、猫ちゃんを一人っきりになんかできないッ」
聞いちゃいない……
【桧】
「だからこその猫カフェでして……」
【稲穂】
「そっか。ヒノキー、私の子猫ちゃんになってみない!?」
なにがそっかなのか。
【桧】
「教師がなにを言っているんですか」
というか本当にこの人は教師なのだろうか……?
勝手に教師を名乗って学園を徘徊しているだけで、実は他の教員も正体を知らない、ただの物好き(不審者)だったらどうしよう。
え?君の知り合いじゃないの? いや、私は君の知り合いだと思って話を合わせて――的な。
飛躍はどれだけしてもいい。面白ければ。部長がそう言っていたなぁと桧は思い出した。
私立なんてけっこー適当だ。教員免許の確認とか……そもそもあんなの自分でも10分あれば偽造できる。ネット照会の迂回方法も二、三パターン思いつく。
なんだか面白そうなので、今度は先生を探ってみよう……部長もノってきそうな案件だ。桧は無表情のまま、そこまで考えた。
【稲穂】
「ヒノキーみたいな超イケメンにお姉様とか呼ばれたら私、自分に自信をもって生きていけると思うの」
【桧】
「自信どころか、日々大胆不敵な畏れ知らずの様にお見受けしますが……不安とか微塵もなさそうです」
【稲穂】
「私だっていろいろ悩みはあるんだよ~? なーんか今日は髪の艶悪い~とか! 最近肩コリも酷いんだよー?」
それは不安じゃなく不満では? 桧はツッコミを飲み込んだ。
【桧】
「……」
『あの女は美人だから9割許されてる。油断するな、バケモノだぞ』
そうは言うものの……と疑っていた部長の解釈を、承服せざるを得ない。
【稲穂】
「私ねー、男っぽいところあるのかな? ボーイッシュに見える?」
【桧】
「女性らしさのカタマリのように見えますが……外見は、ですよ。内面は誰にもわかりませんから」
【稲穂】
「私もそう思うんだけどねぇ……昔話、聞いてくれる?」
【桧】
「長くなります?」
【稲穂】
「やだ聞いてよー! 短いってば!」
【桧】
「冗談です、冗談」
【稲穂】
「よねー。ヒノキーくらいよ、私の話聞いてくれるの。神目さんとか英田も、長くなるならプリントアウトしてきてとか言うのよ? なにあいつら? 腹立つー!」
【桧】
「(教師が生徒をあいつら呼ばわりはいかがなものかと思いつつ)まあ、まあ……」
なだめつつ、人の話を聞くのが好きすぎる自分にも問題があるのだろうと桧。
実際、話を聞くのが好きだ。話し上手であれ、そうでなくとも、話の内容ひとつでその人のさまざまな事が理解出来る。
人って本当に様々なんだなと考える時間が、とにかく私は好きだ。
【稲穂】
「ここ(薊学園)に通っていたとき、けっこー……そういう子にアプローチかけられてた」
【桧】
「同性に、という事でしょうか」
【稲穂】
「そう。男の子にもモテたけどね。年上からよく誘われたりもした。でもなんか私、そういうの苦手……というより、口説かれること自体がギャグっぽく感じちゃってさ。あー、マンガとかドラマで見たことあるわー、みたいな? それって現在進行形なんだけどさ。だから、好きになる異性は大抵、変わり者」
【桧】
「さらっとモテた自慢はさておき、そういう受け止め方こそが同性から惹かれるのだろうなと思います」
【稲穂】
「そうなのかなあ……でもヒノキーに言われるとそれが正しいって思っちゃう。恋? ねぇこれって恋なんじゃ?」
【桧】
「違うと思います」
閉店ガラガラされて不貞腐れる稲穂。話を続ける。
【稲穂】
「話を聞いたり、アドバイス……ってほどじゃなくて、自分はこう思う……みたいな感じでのらりくらりしてただけなんだよ? あれいつだっけなぁ……三年の時だったかなぁ。卒業前の休みに入る直前だっけか……一番仲良かった子がね、まさかガチのガチでそっちとは思わなかった」
【桧】
「つまり、親友だと思っていた同性に、そういう告白をされたと」
【稲穂】
「うん。あれは驚いたなあ……そういうカンジ一切なかったから。いろいろ悩んだわー。仲良かったの、友人としてでなくて、そういう意味でだったのかな? って……基本、翌日に持ち越さない性格だけど、さすがに長引いたし、尾を引いたかも」
【桧】
「……どうなったかを言わないあたり、建部先生は大人ですね」
そのときだけ、稲穂が年相応の微笑を浮かべたのを桧は見逃さなかった。
【稲穂】
「大人になんかなりたくないなー。学生のままがいい。ずっと青春の中で生きていたい」
【桧】
「だから顧問を名乗り出たり、こうして頻繁に部室にやってきてくれるんでしょうか」
【稲穂】
「そもそもここにいると楽しいの。ウザいクソガキたちめー!って思う反面、私なんかを受け入れてくれる度量には感謝してる。特にヒノキーは話聞いてくれるから好き。私、頼られるより、実は誰かに頼りたいのかなぁ……」
【桧】
「……」
すすす……側に寄って、桧の腕を指先でツンツンし始める稲穂。
教師と生徒といえども身長差は埋められるはずもなく、桧を見上げる形になる。
美人だ。桧は改めてそう思った。
そんな麗人がいじらしくする姿はずるくもあり。
【稲穂】
「私、ヒノキーの猫ちゃんになりたいなぁ」
伺い立てるような稲穂の指が、戸惑いがちな桧の指を絡め取り始める。
【桧】
「そういうのは駄目ですよ、お姉様」
【稲穂】
「そう?」
冗談で生徒をたぶらかす稲穂もだが、乗る桧もたいがい人が悪い。
ただ、細い指同士は絡み合ったまま。
元は物置として使われていた新聞部の部室。放課後もこの時間になれば運動部の喧噪さえ届かない。
シンと静まる空間に、つけっぱなしのパソコンからファンが囁くような音色を奏でる。
二人の無言が生み出す花の海から、艶麗な香りが満ち渡る――
――そんな百合だかエロだかの匂いを嗅ぎつけた人物がいた。
そこだけは見逃さない"アイツ"である。
イナホ先生のとある日常 三宅蒼色 @miyakeaoiro
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