第15話 囚われの記憶

 キシールクスの伸ばした手が、夜の冷気を裂いてローザの腕をつかんだ。

 鎧の手は冷たく硬いのに、その力には抗えない。


「やめろ、ローザから離れろ!」

 ナジカが再び飛びかかる。だが黒鎧の将は片腕で簡単に受け止め、逆に地面へ叩きつけた。

 土煙があがり、ナジカの呻き声が森に響く。



「ローザ……思い出せ」

 キシールクスの声が近い。

 その瞳は氷のように冷たいのに、奥底には熱を秘めている。


「思い出せって……何を……?」

 ローザは震える唇で問う。


「おまえが私に甘えてきた夜を。震える身体を抱き寄せたことを。

 湖のほとりで笑ったことを……全部だ」


 その言葉に、ローザの胸の奥で封じられていた扉がきしんだ。

 景色の断片――湖、光る水面、ぴたりと寄り添う自分と、隣にいる黒い影。



 だが同時に、別の記憶がせりあがる。

 ――ナジカの声。「ローザ、泣くな」

 ――ユラの笑み。「おまえはおまえのままでいい」

 支えてくれた、いまの家族の記憶だ。


「……違う。私は……私はもう、あの頃の私じゃない!」


 ローザは必死に振り払おうとするが、鎧の手はびくともしない。

 キシールクスは悲しげに目を細めた。


「そうか。ならば……もう一度、私のものとして思い出させてやる」



 ローザの視界が歪む。

 まるで誰かに心を侵食されるように、過去の映像が流れ込んでくる。

 ――血の薔薇の花弁。

 ――甘えるように寄り添い、眠りにつく自分。

 ――その姿を湖面に映し、静かに見つめるキシールクス。


「いや……やめて!」

 ローザは叫び、涙を流した。



 その声を聞いたナジカが、よろめきながら立ち上がる。

「ローザに……何してやがる!」

 剣を失った彼は、素手で黒鎧へ飛びかかった。

 それは無謀な行為だったが――その一瞬の隙に、ローザは腕を振りほどくことができた。


「ナジカ!」

 解き放たれたローザは、すぐに彼のもとへ駆け寄った。

 その瞳には恐怖と混乱、そしてかすかな決意の光が宿っていた。

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