しっぽのための物語
花田縹(ハナダ)
第1話 真夜中のしっぽ
トイレに起きて、一階から階段を駆け足でのぼった。
夜の二階は明かりをつけても、どこかに暗闇が潜んでいて、こちらをじっと睨んでいるようなーーそんな気がするから、アキラはいつも走ってしまう。
でも、今夜は足が止まった。
「入っちゃだめだからね」
母の声がアキラの頭の中で響いていた。
「ブーケのない日は絶対。開いていてもダメ」
母の部屋の扉には、いつもドライフラワーがかかっている。でも今日はない。
銀色のフックだけが扉の真ん中にポツンと残され、少し寂しげだ。
しかもドアが少し開いていて、隙間から白い光が廊下の床にぼんやりと映っている。
「お母さんは魔法使いだから、何が起きるかわからないよ」
母は大真面目に説明をしたけれど、アキラには信じられなかった。
棒から火とか出さないし、ホウキで空を飛ばないし、ただの人間のお母さんだった。
それでも頑なに魔法使いだと主張してくる母に、最近嫌気が差している。
(全然面白くない。いつまでも子ども扱いしてさ)
何も本当のことは話さない。アキラのことは根掘り葉掘り聞きたがるくせに、いつもコソコソと誰かと会って、遠くへ出かけて帰りも遅い。何の仕事をしているか魔法使いと言って誤魔化されてしまう。
そして今夜、ドアが開いている。
一回寝室に戻りかけたけれど、ふと、好奇心が囁く。
部屋の中を覗いてみたらどうだろう。
これは、魔法使いではない証拠をつかめるかもしれない。母の秘密がわかるかもしれない。
アキラは一人うなずいて、ゆっくりドアへと手を伸ばし、それから、そっと押してみた。
音も立てずに、ドアは内側へと開いていった。
途端、草の匂いが立ち込め、湿気を帯びた風がアキラの全身にぶつかって通り過ぎる。
(ーー嘘でしょ)
息ができなくなるかと思った。胸の高鳴りを押し込めながら、静かに広がっていく世界を見つめる。
家の中にいたはずなのに、そこには白い草原が広がっていた。
その上には濃紺の夜空。地平を少し昇った銀色の月は落ちて来そうなほど大きい。
突然別世界に放り込まれてしまった衝撃で、そのまま動けなくなった。
そんなアキラの背後で扉は止まることなく開き続けて、360°を越えてくるりと回り、背中をドンッと押した。
つんのめって前に出る。部屋に入ってしまった。
そして、改めて視界に映る母の部屋の内側を見上げることになった。
完全に別世界の真っ只中に放り込まれた。
ーーお母さんは本当に魔法使いかもしれないーー
薄っすらとした予感がアキラの頭の中をぐるぐると回っていた。
その時だった。
「アキラ!」
名前を呼ばれて振り返る。
そこには、知らない女の子が立っていた。消えてしまった扉の代わりに。
女の子は何故か嬉しそうに大きな目をキラキラさせている。
見たことのない子だ。でも、確かにアキラと名前を呼ばれた。
家の中に違う世界があることに加えて、扉がなくなってしまった上に知らない子に話しかけられたことまで合わさって、アキラは混乱の最高潮に達していた。
(とりあえず、1つずつ解決していこう)
冷静さを取り戻すために、まず女の子にたずねることにした。
「あの、誰ですか?」
女の子の後ろで、白いふわふわとした何かが左右に揺れている。よく見ると彼女にはしっぽが生えている。
(人間じゃない?)
アキラは無意識に一歩後ろに下がっていた。
「知らないの?」
アキラの気など知らず、女の子はニコニコしたままだ。
「知らないです。ごめんなさい」
「そっかー」
白いしっぽがガッカリして、ヘタリと地面についた。
「わたしはあなたのナイトなんだよ」
「ナイト?」
再びしっぽを大きく揺れる。
「これ、どこかでみたことない?」
「しっぽ? どこかで?」
「ドアにいつもかかっていたでしょ?」
そういえば、ドアに飾られたドライフラワーの花束の中にしっぽみたいなふわふわが紛れていた。
「ドアのあれ?」
「そう! あれなの! わたし、あのブーケ。あなたをいつも見守っていたの。典子の代わりに」
典子とはアキラの母の名前だった。
(お母さんは本当に魔法使いなの?)
そう無理やり信じようとしても、このかわいい女の子が、自分の目の前で明るく笑うこの子が、ブーケだなんて。どうやって信じればいいのだろう。
アキラはなんにも言えず、じっと立っていた。
彼女の足元には、ミモザの黄色くて丸い花がチラホラ落ちている。
黙ったままのアキラに、女の子は優しく話しかける。
「ごめんね。ドアが開いていたから、アキラは間違って入っちゃったんだよね」
「ううん。入ったのは自分から」
「入ったら出られなくなるの聞いていなかったの? 入ると扉は消えてしまうし、わたしも出口を知らないから」
「そんなの聞いてない。とりあえず入っちゃだめだって言われてただけ」
アキラの答えに女の子は首を傾げだ。
「ーーじゃあ、なんで入ったの?」
「お母さんが魔法使いだなんて嘘だと思ってたから」
女の子は傾げた首をもとに戻すと、今度は目をパチクリさせた。
「信じてなかったの?」
「全く」
「どうして?」
「そんなの、信じられないよ」
女の子はしっぽをパシンパシンと振り、目をまん丸にさせる。
「それは大変」
「大変?」
「典子はあなたを信じているから、魔法使いのことを話したんだよ」
その言葉にアキラは胸がキュッとなって、思わず俯いてしまった。それを見て、女の子はアキラの肩を優しく叩いた。
「大丈夫。わたしが典子のところへ送り届ける。アキラが怒られないように話してあげる」
その後ろには、月と、空と、白い草原しかない。耳を澄ましても、風が草を渡っていく悲しげな音がするだけ。虫の声もカエルの鳴き声も聞こえない。
「ありがとう」
自然と言葉が出てきた。広くて寂しいところに、一人ぼっちになるところだった。
「いてくれてよかった」
女の子は目を見開いて、しっぽをピンと立てた。
「いや、そんな、だってアキラのナイトだから。わたしのせいだし」
「あなたのせいじゃないよ」
「わたしなの!」
女の子は首をブンブン振った。ふわふわのしっぽもバタバタと跳ねて、なんだか必死に否定している。何かもっと知っているのかもしれない。でも、悪い人ではなさそうだ。道案内してくれるみたいだし、アキラは少し気分が軽くなった。
「そういえば、名前は?」
ブーケの子に聞いてみる。
「名前はないよ」
「ないの? じゃあ、なんて呼べばいいの?」
「わかんない。名前欲しいけどないから」
「じゃあ、ぼくが考えたのでもいい?」
「えっ! そんな!」
「だめ?」
「いいよ。いいけど照れるなぁ」
アキラはなんで照れるのかわからなかった。
「それじゃあ、しっぽさんって呼んでいい?」
「しっぽ?」
「しっぽがいい感じだから」
アキラが指差すと、ふんわりとしっぽは波打つ。
「いい感じって、かわいいってこと?」
「うん。ふわふわしてて、ネコみたい」
「ほんとに? 本当なら、うれしい」
「本当だよ」
アキラには嘘を付く理由はなかったから。女の子はしっぽを引き寄せ、柔らかく撫でた。
「それにする。わたしはしっぽです。ありがとう、アキラ」
嬉しそうに微笑んだ。今度はアキラが照れて少し赤くなった。
「ここはなんなの? お母さんの部屋だったのに」
ごまかすように質問をすると、しっぽの女の子は少し顔を強張らせた。
「ここは魔法の作り出した世界。お金を払って現実逃避をする場所らしいよ」
アキラはよくわからなかった。とにかく、ここから出る方法が知りたかった。
「ぼくは帰れないのかな。明日学校なのに」
「学校に友だちいるの?」
「うん、まあ」
「明日、行きたいの?」
アキラは答えに詰まった。
「多分。体育は嫌だけど」
帰ればお母さんに怒られて、対して楽しくない毎日が待っている。
それでも、やっぱり帰りたい。
もうここから出られないかもしれないと思うと、目がジンと熱くなって、涙が喉までこみ上げるのだ。帰れないなんて嫌だ。
「じゃあ、出口を探さなくちゃ!」
「出口はちゃんとあるのかなぁ」
「あるから大丈夫。行こう!」
しっぽはずんずん歩き始めた。アキラも負けずに追いかける。今泣いなって仕方ない。出口は「ある」と聞いて、アキラは少し明るい気持ちになれた。
「しっぽさんは、ここのことよく知っているの?」
「ううん。でもーー」
何かを言いかけて、しっぽさんの足が止まった。
出口があることを知っているなら、詳しいのかもしれない。ふと思って、聞いただけだった。でも、しっぽさんのしっぽは垂れ下がり、太ももにピタリと張り付いている。
「しっぽさん?」
呼ばれたしっぽは振り返り、無邪気な笑顔を向けた。
「向こうに人がいるから聞いてみよう。月があそこだから、あの辺りだよ」
再び歩き始めたしっぽに、アキラもついていく。
何かを隠しているのかもしれない。それでも、ついていくしかない。
一面の草原の先に何かがあるなんて、アキラは信じらることができないし、一人きりで進むには寂しすぎるから。
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