ハンター&グレイのカラーアトラス人外
ももも
第1章 天使のたまごづまり
第1話 天使
群衆をかきわけ荷車が進む。
荷台には両手を後ろ手に縛られた女性が乗せられていた。
二頭の馬にひかれた荷車は、広場の中央にそびえる断頭台へ鈍い足取りで向かう。道の両脇を埋め尽くした群衆は怒号をあげ、罵声と野次がとびかっていた。
誰もが怒りに満ちていた。ひとつ、ひとつの顔を眺めたが怒った顔になると、みんな一緒になって区別がつかない。赤く塗りつぶされて境界が分からなくなる。
まるで炎だ。炎は渦のように巻き起こり、荷台の女性を飲み込むように燃えさかっていた。
隣に目をやると、父だけが周囲の喧噪から切り離されたかのように、ひとり静けさをまとっていた。
灰色の瞳でじっと観察対象をながめ、いつものように一枚の紙と鉛筆を手に、淡々とスケッチしていた。
何の飾りもない服。
首をあらわにするためにザンギリに切られた髪。
ゴトゴト揺れる荷台の上でも、ピンと伸ばした背筋。
彼女の家系に代々受け継がれてきたおちょぼ口。
その姿を精密に写しとっていた。
父と初めての旅路は、海を超えた隣国であった。ここに来る前に父は、処刑される元王妃を描きとめに行くと言い、それ以外のことは何も教えてくれなかった。
父は多くを語らぬ人だった。父と聞いて思い出すのは椅子に座り黙々と絵を描く背中だ。
――自分の目と耳で見聞きしなさい。お前の目に映るものがすべてだ
父から教わったのはその言葉だけだった。この旅路で二人の関係性が変わるのではと淡い期待を抱いていたが、そんなことはなかった。父は相変わらず父で、何も教えてくれない。だから僕は本から学んだ使ったことのない外国語でたどたどしく周りの人にその元王妃のことを尋ねれば、誰もが悪口をまくしたてた。
――憎い隣国の敵
――国庫を破綻させた赤字夫人
――誰とでも寝る女
だから僕は直接本人を見るまで彼女のことを凶悪無比な極悪人だと思っていた。けれど、違った。目の前を通り過ぎていった、死を前に怯えるでなく覚悟を決めたその毅然な彼女の姿は、美しくさえあった。だから、父を真似て描いた死にゆく彼女の絵の空に、天使をかき加えた。
たとえ首がはねられても彼女の魂は救われますように、と。
そこで初めて父は僕の絵を見て、咎とがめるような口調で言った。
「お前にはそのように見えるのか」
首をふった。でも思ったことを素直に伝えると、父は静かにため息をつくように言った。
「我らの目は真実を見通す目だ。虚飾をしてはならぬ。見たものをありのままに伝えるのだ。それがグレイ家に生まれた者の使命なのだ」
「……はい」
天使を塗りつぶせば、父は満足そうな笑みを浮かべた。
執行の時間はもうすぐそこまで迫っていた。
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